第278話披露宴

1547年10月:京・種子島屋敷


「いやはや、とても目出度いでおじゃるな、近衛殿」


「そうですな九条殿」


「九条殿、そろそろご家族も京に戻されてはどうかな?」


「一乗谷は雅な所だから、何の心配には及びませんぞ、鷹司殿」


「ですが近衛殿、朝廷の陣容が整って来ているのに、家族が越前にいるのはいかがなものかな」


「心配は御無用、晴嗣は京におり政務を疎かにはしておらん」


 俺と近衛家の息女・ひ文字との結婚式・披露宴は火花散る戦場と化していた。この時代の公家社会では、結婚式を行わなければ正室とは認められなかった。九条兼子と一条於富は、大宰府で下向して来ている公家衆や家臣達の前で結婚披露宴をしたのだが、今回京で近衛ひ文字と結婚披露宴を行うに当たり、もう1度同時に結婚披露宴を行う事になってしまった。


 家格の問題で、3人の正室を横並びにしたのだが、嫡男・太郎稙時を後継者と定めているので、どうしても序列が露わになってしまった。同じ高さに3人の正室が並んでも、俺の直ぐ右側に九条兼子が座り、その外側に一条於富・近衛ひ文字の順番に座っている。俺の左側には、太郎稙時・次郎冬時・三郎義時・四郎義正と子供達が並ぶ。


 近衛稙家は強かな男で、妹の慶寿院を足利義晴に嫁がせて、急速に足利将軍家との関係を深め公家社会での立場を強化した。足利義晴が争乱に巻き込まれて、近江国坂本に脱出した際にも随行して同地に下っている。そしてそのまま家族を越前一乗谷まで随行させたのだ。まぁ自分と嫡男の晴嗣は京に入ると言う、強かで臨機応変な対応はしているのだが。


 しかも美貌と評判の高い娘のひ文字を俺に嫁がせて、天下人の外戚として権勢を図ろうとしている可能性もある。ただ五摂家の中で、九条家・一条家に後れを取らないようにしているだけとは思えない。それは未だに妹を離縁させず、他の家族を越前朝倉家に落延びた足利義晴に付き従わせていることでも明らかだ。


 最後の最後まで、天下がどちらに転んでも近衛家が生き残れるように図っている。



九条太郎稙時(1541年3月15日)7歳:生母・九条兼子

鷹司次郎冬時(1542年12月6日)6歳:生母・九条兼子

種子島月子(1543年11月11日)5歳:生母・一条於富

種子島三郎義時(1543年12月12日)5歳:生母・九条兼子

種子島四郎義正(1544年12月22日)4歳:生母・一条於富

種子島五郎義宗(1545年2月7日)3歳:生母・九条兼子

種子島六郎義龍(1546年3月25日)2歳:生母・一条於富

種子島七郎義虎(1546年4月2日)2歳:生母・九条兼子


九条兼子:1525年2月20日(22)・正妻

一条於富:1527年9月17日(20)・正妻

九条初子:1532年11月26日(16)・義理の姪

近衛ひ文字:1532年1月11日(16)・正妻


近衛稙家(1503):太閤

近衛晴嗣(1536):内大臣・左近衛大将

鷹司兼輔(1480):禅定太閤

鷹司忠冬(1509):太政大臣

九条稙通(1506):禅定太閤

一条房通(1509):藤氏長者・関白

一条兼冬(1529):右大臣

二条尹房(1496):太閤

二条晴良(1526):左大臣

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