第279話命の恩人・継承問題の大改革

「権大納言殿、貴君は命の恩人だ!」


「さよう! 貴君がいてくれねば忠冬は死んでしまっていた」


「いえいえ、私は医薬を施しただけでございます。養父上様の寿命は天が定められたもの、天命が養父上様にまだなすべき事があると言われておられるのです」


「いやいや、貴君は天命を変えてくれたのだ、そうでなければあの病は癒せんよ!」


 最近では酔うと必ずこの話になるのだが、昨年鷹司忠冬殿は死病に取り憑かれた。最初はただの風邪かと思われたのだが、実際には天然痘だった。


 丁度中国地方遠征の時期であったため、俺も気がつくのが遅れてしまったのだが、発症者の頭部と顔に発疹が出来て全身に広がり、生き残った者は瘢痕を残したことでようやく俺に報告が上がってきた。


 看護部隊を総動員したのだが、罹患前の人々に天然痘ワクチンを接種することは出来ても、感染した人たちには治癒魔法を使って治すしかなかった。そしてその患者さんの1人が鷹司忠冬殿だったというわけだ。


 だがこれが俺の公家社会での立場を不動のものにしたのだ!


 公家社会、特に藤原家においては、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が天然痘に罹患して相次いで死去してしまっていた。いや四兄弟以外の高位貴族も相次いで死亡してしまい、政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥ってしまったのだ。この時の天然痘については、「続古事談」などにも記録されており、各公家の公式記録とも言える日記にも書きとどめられている。


 この事がいかに朝廷、いや皇室にも影響を与えたかという証拠に、奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行であることで理解できるだろう。天然痘と言う疫病の撲滅は、国家事業として神頼みするレベルの災厄だったのだ。


 それを俺が平癒させたのだから、近衛家や二条家が歩み寄ってきたのも当然なのかもしれない。ましてや以前から俺と友好関係を築いていた九条家・一条家・鷹司家は、俺の提案は全て諸手を挙げて賛成してくれる状態となっていた。


 それは御上にも言えることで、鷹司家を継ぐ予定が反故にされた俺の次男・鷹司次郎冬時に、摂関職を与えると密かに約束してくださっている。6番目の摂関家の誕生と言う大問題なのだが、他の五摂家も認めてくれている。


 いやそれだけではなく、鷹司家の継承を反故にした代わりはこっちが本命なのだが、冗談交じりに以前提案されていた、松殿家の復興継承が認められ七摂家体制となった。


 だがそうなると、九条家と一条家の当主が摂関職を継承しなかった場合、本家争いが確定してしまう事になる。俺を使って天下安寧を図る御上にとって、九条家と一条家が争う事はとても不都合であった為、早い内に九条家と一条家の本家争いを確定する必要が出てきた。


 そこで今回の天然痘平癒の功績と、尼子家討伐による中国地方の平定に加え、根強く土佐一条家の四国制圧に抵抗する阿波三好家討伐支援をする事で、俺の嫡男が継承する九条家を本家とすることになった。


「七摂家」

九条家:九条太郎稙時

近衛家:近衛晴嗣

一条家:一条房通

松殿家:松殿次郎冬時

鷹司家:鷹司忠冬

二条家:二条晴良

種子島家:種子島三郎義時


「種子島家」

九条太郎稙時(1541年3月15日)7歳:生母・九条兼子

松殿次郎冬時(1542年12月6日)6歳:生母・九条兼子

種子島月子(1543年11月11日)5歳:生母・一条於富

種子島三郎義時(1543年12月12日)5歳:生母・九条兼子

種子島四郎義正(1544年12月22日)4歳:生母・一条於富

種子島五郎義宗(1545年2月7日)3歳:生母・九条兼子

種子島六郎義龍(1546年3月25日)2歳:生母・一条於富

種子島七郎義虎(1546年4月2日)2歳:生母・九条兼子

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