第239話安芸侵攻2(厳島神社神主家)

 厳島神社の神主家は、安芸国造家であった佐伯氏が世襲していたが、承久の乱で宮方に通じたため、乱が宮方敗北に終わると、異姓の他人をもって任ずべからずとされていた神主職に、幕府御家人である藤原親実が補任された。


 そう、藤原親実が初代藤原流の厳島神社神主となったのだ!


 藤原親実は中原親能の養子になったと言われており、親実は神主就任当時より幕府御所奉行の職にあったことから、神主として厳島神社に居住することはなく、鎌倉において将軍に近侍していた。そのため、惣政所とよばれる代官を派遣して神社の統括にあたらせた。親実の在任中の1207年と1223年の二度にわたって厳島神社は火災に見舞われ、親実は再建造営事業にあたった。鎌倉幕府は厳島社殿の再建事業を促進するため、親実を安芸守護に任じている。


 父親の藤原成親は、祖父・家成が鳥羽法皇の第一の寵臣であったことから昇進は早かった。後白河院の側近として平治の乱に参戦したり嘉応の強訴・鹿ケ谷の陰謀に係わり、最終的に平清盛により備前国に配流され、食事を与えられずに殺害されたといわれる。


 祖父の藤原家成は、白河法皇が没して鳥羽院政期に入ると父・家保と兄・顕保は失脚状態になる。代わりに早くから鳥羽上皇に仕えていた三男の家成が台頭する。家保は鳥羽上皇の支持を背景に父の持っていた利権を独占して鳥羽院政の中心を担う存在となった。諸国においては数多くの荘園を形成して、経済的にも目ざましい躍進を遂げた。その子孫は羽林家の四条家として現代に至るまで続いている。


 曾祖父の藤原家保は家保の一家は、兄である長実の系統を凌いで善勝寺流の嫡流の地位を占めるに至った。 だが、白河法皇が没して鳥羽院政期に入ると家保と嫡男の顕保は失脚状態になる。


 高祖父の藤原顕季は歌道家の流派のひとつ六条藤家の祖で善勝寺流初代である。


 五世の祖は藤原隆経で、藤原北家魚名流で魚名の子末茂の後裔である。


 そうなのだ!


 藤原親実の直系は途絶えたと言われているが、一代さかのぼれば父・藤原成親の兄弟は四条家・山科家として血脈を伝えているのだ。まあ直系男子が継いでいるかと言われれば、そうとも言えないのだが、養子を迎えているとは言っても同じく由緒正しい公家であり、藤原家の流れなのは確かだ。


四条家現当主:四条隆益(家業は料理庖丁道・笙)

山科家現当主:山科言継(家業は装束・衣紋)

鷲尾家現当主:(家学は華道・神楽・膳羞だが現在は断絶)

西大路家現当主:(家業は書道だが現在断絶)

油小路家現当主:(西大路家の庶流だが現在断絶)


 四条家も山科家も、俺の朝廷支援が行われるまでは困窮を極め、分家の鷲尾家・西大路家・油小路家が断絶しても、再興させる資金力がない状態だった。いや、自分達が食べて行くのが精一杯で、側室や妾を持って子供を作ることすら出来ず、細々と家名を残す状態だった。


 だからこそ俺が御上の勅命に従い、天下泰平の為に厳島神社神主職を継承するように御願いしたら、断ることなど出来ない状態だった。俺を怒らせて、支援の金銭を止められることは死を意味しているからだ。まあそんな事は極力したくないが、天下泰平の邪魔をするようなら容赦できない。


 まあ見返りと言う意味で、支援の金銭を増額し妻妾を増やせるようにして、庶子が産まれたら断絶した分家の再興を約束したから、むしろ喜んで協力してくれた。


 そうそう、安芸に下向してくれたのは嫡男の産まれている山科言継で、未だ跡継ぎに恵まれない四条隆益には子作りに励んでもらうことにした、俺の手足となってくれる公家は多い方がいいからね。

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