第238話安芸侵攻1(厳島神社)
1546年7月
俺は準備万端整えて安芸侵攻を開始した!
大内義隆の了承を事前に取り付けたが、これには御上の勅命が大きくものを言った。内部抗争の激しい大内家家臣団も、勅命を受けて大内家との合戦も辞さない俺の強気交渉に折れることになった。これにより文治派と武断派が手を組むのは困るから、大内晴持を起点に文治派を取り込む工作をしておこう。
侵攻は海軍を使い、大陸や南方・朝鮮から購入した奴隷で編成した陸軍10万兵を揚陸させた。護衛に第1第2艦隊を投入し、兵員輸送に第3第4第5第6艦隊を動員する、種子島家としても大規模な動員体制だった。
まず最初の攻略目標は、厳島神社だった。
さて、この頃の厳島神社は困った事に大内家の支配下に置かれていた。そもそも1507年に大内家先代当主・大内義興が保護していた足利将軍・義材を奉じて上洛したことが始まりだった。1508年7月に義材を将軍職に復職させたが、この合戦に厳島神社神主・藤原興親も従軍し京都に上っていたが、1507年暮れに病死してしまったのだ。
藤原興親は子がなかったため、興親に従って上洛していた小方加賀守と友田上野介興藤の間で神主職をめぐる争いが起こってしまった。両者の抗争は国元にもおよび、神主家の家臣団でもある「神領衆」が東西2派に分かれて一触即発状態となった。さらに、神主家の内訌に乗じた安芸武田家の武田元繁が神領へ攻め込み、厳島の島衆も2派の抗争に巻き込まれて争乱が繰り返された。
混迷を極める厳島神社神領だったが、小方加賀守と友田上野介興藤は安芸を遠く離れた京で神官職を争うしかなかった。だがここで、尼子家が大内義興の留守をついて安芸などの大内支配域に侵攻した。国元の情勢を危惧した大内義興は、1518年に本国に戻ったが、神官職を争う小方加賀守と友田上野介興藤も安芸に帰国し、東方と西方に分かれて争いを激化させてしまった。これに対して、大内義興は厳島神社神領を自らの支配下におさめ、己斐・石道・桜尾の諸城には城番を入れる処置を取った。
1523年、大内義興の処置に納得が行かない友田上野介興藤は、安芸分郡守護・武田光和らの援軍を得て桜尾城へ入り厳島神社神主を自称し、大内家の城番を追い出した。大内義興はただちに軍勢を送り、1524年には大内義興みずから出陣して友田上野介興藤を降参させた。大内義興も家臣の小方加賀守を神主にするのは強硬すぎると判断したのだろう、興藤の甥・兼藤を神主に立てたが、兼藤が1528年に病没してしまったため、興藤の弟・広就を神主に擁立した。
1541年、大内家の前に屈従を余儀なくされていた友田上野介興藤が反乱を起こした。しかし、大内家の攻撃を受けた興藤は進退極まり、ついに桜尾城において自害することになった。広就も兄に従い反乱軍に加わっていたが、五日市城に逃れたものの結局自害したため、藤原系神主家は断絶していまっていた。
大内家は藤原系神主家を断絶させた後で、神主家一族の小方加賀守の娘を正室としている杉隆真を神主に擁立し、さらに神領衆の所領を安堵し安芸分郡守護・武田家の介入を防ごうとした。しかし、新神主の地位は名目的なものであり、実際の支配にあたったのは桜尾城に駐留した大内家の重臣・鷲頭家であり大内家に味方した神領衆らであった。
さて、こう言う状況であったから、御上から天下平定の勅命を賜っていた事もあり、少々御願をして切り札を頂いた上で安芸侵攻を始めていた。安芸に上陸し、厳島神社を占領して安全を確保したうえで、その切り札を使う事にした。
「厳島神主家」
長屋忠親ー長屋泰親ー長屋泰親=長屋宗親
-藤原教親ー藤原宗親(長屋家に養子へ)
ー藤原興親
友田興藤ー
友田広就
友田某ーー友田兼藤
小方加賀守ー小方隆忠(大内義隆・毛利元就に仕えた)
ー娘
杉隆真(佐伯景教を名乗る)
-娘
棚守房顕
「大内家家臣」
「現在まで続く厳島神社の社家」
棚守房顕(佐伯を名乗る)
「継承順」
藤原教親ー藤原宗親ー藤原興親ー友田興藤ー友田兼藤ー友田広就ー杉隆真
「神領衆・家臣団」
新里若狭守:興親没後に勃発した神領衆の東西抗争における西方の中心人物。
新里隆溢:若狭守の子。大内氏のもとで赤間関役人を務めた後、安芸国佐西郡の支配
宍戸治部少輔:興親没後に勃発した神領衆の東西抗争における東方の中心人物。
栗栖:戸河内を本拠とする神領衆。
糸賀藤棟:新堤築造などの開発事業にも携わった。
糸賀宣棟:糸賀藤棟の弟・廿日市の流通課税を徴収し、神主家の財政を支える重要な立場
「厳島神社領の居館・城郭」
桜尾城 :糸賀藤棟・大永年間の戦争では興藤に従って桜尾城に篭城した
:糸賀宣棟:藤棟の弟。廿日市の町支配に関わった。
藤掛尾城 :小方加賀守・興親没後、友田興藤と神主職をめぐって争った
五日市城 :宍戸元純
大野河内城:大野弾正少弼・佐西郡大野の神領衆
己斐城 :己斐宗端
:己斐豊後守直之・己斐宗端の長男
:己斐利右衛門興員・己斐宗端の次男
佐西郡山里館:山本泰久・大内氏のもとで廿日市の町支配に関わった。
発坂城 :
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます