第211話井上宗子・波多野秀忠・内藤国貞

1544年10月20日『京・種子島屋敷』種子島権大納言時堯・16歳 


 丹波の大名・国衆の多くは戦うことなく俺の家臣となったのだが、特に没落しかけていた大名・国衆は家運を取り戻すべく必死でアピールしてきた。彼らは自家を没落させた敵対大名・国衆を憎悪しており、種子島家の力を背景に復讐を望んでいた。


 俺としては報復合戦など望んでいないので、勝手に復仇戦を起こされては困る。だから徳丸白虎や検非違使担当官たちを通じて、勝手戦を仕掛けたら滅ぼすと厳命させた。だがそう言えばそう言ったで、愚かな者は勝手戦を仕掛けられたように偽装し、敵対する大名・国衆を俺に滅ぼさせようと画策した。そんなことをして、俺を騙せると思っているのだから馬鹿にしている!


 新庄城主の井上宗子も勢力を落としていた国衆の1人で、小守護代の家柄であったが見る影もなかった。だが衰退する家を復興させようと必死であったし、何より徳丸白虎や検非違使担当官たちの命を厳守していた。だから井上家を丹波家の中核の1つとしたのだが、1番の理由は波多野秀忠に力を持たせすぎない為だった。


井上宗子:丹波小守護代


波多野秀忠:丹波守護代


「波多野家家臣団」

細工所城主・荒木氏綱・波多野旗頭七人衆


 波多野元清と賢治の兄弟は、1526年に足利義維を奉じた細川晴元が阿波から堺に上陸、「堺政権」とよばれる体制を樹立した時に、細川晴元を支えた功績で京支配に関与するようになったことがある。長年の戦乱で何度も主君を変え力を蓄え、細川高国政権の時には船井郡上村荘の代官職を獲得、摂津国杭瀬荘を押領するなど勢力を着実に拡大していった。


 しかも1509年から現在まで、経済的に困窮する皇室に上村荘からあがる炭などを皇室に貢租し続けている、だから俺としても無下に対応することができない。だが、波多野秀忠が信頼できるかといえば、全く信頼できないのだ。


 特に問題なのは、丹波口近くに勢力を持ち逸早く俺に降伏臣従を誓い、優秀な家臣を養嗣子を送って欲しいといってきた、丹波守護代・内藤国貞と抗争を繰り返していたのだ。


 戦国乱世だから、時に内藤家と波多野家は味方となったり敵となったりしていたが、敵対していた時に主君から互いに守護代職を受けたため、どちらが正統な守護代かで争っているのだ。特に波多野家が手に入れた上村荘は、内藤国貞の居城・八木城の後背地にあり、丹波から京都へ通じる山陰道と摂津へ下る能勢街道が通じる交通の要衝であった。


 だから俺としたら波多野家は潰すか力を削ぎたいのだが、長年皇室に貢租し続けているから、皇室の守護者を自認する種子島家としては、こちらから攻撃を仕掛けるわけにはいかないのだ。


内藤国貞:丹波守護代


「内藤家家臣団」

穴太城主・赤沢加賀守義政 

東掛城 ・赤沢加賀守義政

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