第79話大宰府築城

1538年4月『筑前国・大宰府』種子島少弐時堯・10歳


「凄いものでおじゃるな!」


「すべては禅定太閤殿下が、父上様を大宰権帥に任じて下さった御陰で御座います」


「そもそも少弐が御上と朝廷に献金献納せねば無理な事でおじゃる、余の推薦など大したことないでおじゃるよ」


「そんなことはありません、禅定太閤殿下が今上天皇陛下と公卿衆を説得して下さった御陰で御座います」


「ほっほっほっほっ、そう言ってくれるとうれしいでおじゃるな、しかし大宰府の工事は想像以上でおじゃる」


「禅定太閤殿下の屋敷も、兼子殿の屋敷もこちらに新たに築きます」


「ほっほっほっほっ、愉しみでおじゃるよ」


 父上様と俺は、大宰府を完全に作り替えるべく大築城工事を行う事にした。いや元々新たに築城した各拠点の城は、長距離射程のカノン砲を攻守で運用すべく考慮していた。しかし九州の覇者となる以上、最も拠点とすべきは大宰府以外になかったのだ。


 大宰府は「遠の朝廷」と呼ばれるほどの大事な拠点だ、京の都に似せた条坊制による街区を整備するのはもちろん、大宰府の北に大野城、南に基肄城などの城堡を再築城した。


 何より大宰府自体の外郭部に堡塁を多数配置した、つまり掩体壕やトーチカを組み合わせた多角形要塞としたのだ。


 歴史的には武器の発達と共に、大砲による攻城側の攻撃力が著しく上昇した。そのため城壁は無力化してしまい、従来の砦や城では大砲に対抗できなくなったのだ。


 そこで土を盛った防衛陣地を都市の外縁に配置し、砲撃の衝撃を軟らかい土で吸収できるように設計した。また斜面を設け、攻城側の砲撃に対しては城内部が死角となるようにした。一方で守城側からの砲撃・銃撃は死角が無いように設計した。また、陣地がお互いの射程を補完することにより死角をなくし、更に多数の兵士による銃撃で十字砲火を浴びせられるようにも設計したのだ。


 中世の城郭や星形要塞すっ飛ばし、多角形要塞に堡塁を組み合わせた大宰府要塞を建築しているのだ。ただ鉄筋コンクリート製のトーチカを多数造るには、鉄の生産量がまだ少ないので、鉄の代わりに竹を使った竹筋コンクリート製のトーチカ・堡塁を造った。


 大宰府に関しては、後々40cmカノン砲を搭載した戦艦の艦砲射撃を受けない場所に築く事にしたが、海軍城に関しては反撃できる要塞砲を設置できる場所をあらかじめ設計に余裕を持たせて築城した。


 まあそう言う軍事的なものを大切にした上で、一条於富姫と九条兼子の屋敷はもちろん、下向してきた多くの公家のための屋敷も建築している。


 堡塁は、銃座・砲座・指揮所・観測所・兵舎や弾薬庫となる掩蔽棲息部と交通路等からなる

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