第33話日向国制圧

1535年10月『大隅国・国分清水城』種子島左兵衛尉時堯・7歳


「「「若殿様、これからよろしくお願いいたします」」」


「うむ、よき奉公を期待しておる」


 父上様率いる大艦隊が、日向国の湊を経由して上京されたのだが、その大艦隊の威容と戦力に恐れをなしたのか、日向国の有力国衆全てが降伏臣従にやって来た。


 まあそれも仕方のない事だろう、上京艦隊は関船でも南蛮船の利点・帆柱と綿布を採り入れた風上にも切り上げて進める合いの子船に改造されていたから、素人目には南蛮船の大艦隊に見えたのだろう。しかも薩摩国もそうだったが、日向国でも半農半武の地侍以外の自作農・小作農が種子島家の領内に逃げ込んできている。もし種子島家や大友家から攻め込まれたら、まともに籠城すらできないような状態だった。

 

 日向国北部を治める有力国衆・懸土持日向守親佐、高千穂地方を治める有力国衆・三田井親好、宮崎郡一帯を治める有力国衆・豊州島津豊後守忠朝は、俺の出した結構厳しい条件を全て飲んだ。まあ3家の使者が来て直ぐに空を飛んで3者の居城まで行き、城の上空を法螺貝を吹いて翔け巡ってやったから度肝をぬかれたのだろう。


 3者は統治者として最低限の能力を持っていたから、直轄城地の支配は認めたが、陪臣でも城地持ちは種子島家の直臣に取り立てた。そのため3家の戦闘動員兵力は著しく低下したし、城持ち陪臣も統治能力のない者は城地を取り上げ給料を払う形態の家臣とした。


 さっそく奴隷隊・足軽隊を派遣して、放棄された田畑を再開墾して食料の生産を始めた。今から作れる穀物は限られているが、それでもせっかくの耕作地を放置しておくわけにはいかない。


 それと大隅国・薩摩国・日向国を結ぶ堤防・防波堤兼用の軍用道路も造らせるように手配した。狭い山越えが必要な峠は仕方ないが、出来る範囲で軍勢を素早く移動させる事の出来る道を整備させるべきだ。もちろん馬車鉄道の敷設も進めなければならない。


 新たに降伏臣従してきた国衆の領地に、肥後国と豊後国の国衆が攻め込んで来た時に援軍を出せないなどあってはならない。敵に領民が害されるのを助けられないなど国司・守護とし失格だから、国境線で敵を押し止める事が出来るっだけの兵力を計算し常駐させた。だが領内中枢地域から素早く援軍を送るためには、軍用道路と軍用馬車鉄道の整備は急務なのだ。


 もちろん艦隊を使って海上輸送することは出来るが、海が荒れている場合は使えないこともある。俺単独なら空を飛んで行けるが、領地が広くなると2カ所3ヵ所から同時多発的に攻撃されたら防ぎ切れない可能性もある。


 今回のように進んで降伏臣従してきた国衆・地侍を断る訳にはいかないが、領民を完璧に護れる準備が整うまではこれ以上領地を広げたくない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る