第2話
*
「次はー水戸―水戸―終点です」
拗れた佳奈への想いは、どれだけ言葉を重ねても伝わらず、中学卒業の春に自覚した片想いは、未だ叶っていない。
そして、今度は佳奈が遠くの学校に行こうとしている。東京の、大学に。
僕は地元にある大学を受ける。東京の大学は、受けない。
つまり、今度こそ僕と佳奈は離れ離れになるかもしれなくて。
中学のときは簡単だった。だって佳奈のことをただのドジな幼馴染としか思ってなかったから。地元の県立高校ではなく、偏差値の高い私立高を第一志望にした。
でも、今は。
一瞬。ものすごく性格の悪い考えが頭を過った。
もし、僕が受験票を佳奈に届けなかったら。どうなる?
佳奈は他にも都内の私立大学を受けている。でも、それらの大学は地元の大学よりかは優先度が低い。それなら、また同じ大学に進学できる可能性が広がる。
制限時間を伸ばすことができる。
徐々に減速していく列車は、目的の水戸駅に停車しようとしている。車内の人達が、降りる準備をし始める。
大学四年間あれば、もしかしたら今度こそ、ちゃんと佳奈に気持ちを伝えることができるのではないか? そんな、自分勝手な思いが走り始める。
列車は駅に到着。ドアが開き、僕はホームに出る。改札へと歩いていく人を横目に、僕はホームの真ん中で立ち尽くす。
どうする、きっと受験票を届けなかったら、佳奈は諦めて帰って来るだろうか。きっと、そうだ。受験票を忘れる受験生なんて、それそれの大学に何人かいるはず。そういう生徒に対して何も対応をしないなんてことはないはず。だから、このまま僕が受験票を届けなくても、佳奈はどうにかすれば受験はできるはず。
どうにかすれば。
でも、きっと佳奈はそうしない。
受験票を忘れたことで頭がいっぱいになって、僕が来なかったら、もう諦める。佳奈はそういう性格だ。パニくると、どうしようもなくなっちゃうんだ。
降りたホームに、停まったままの折り返し列車。
これに乗れば、佳奈は──
足が、もう動き出す、そのとき。
佳奈のある表情を、思い出した。
*
それは、高三の夏休み。僕の部屋で一緒に勉強していた佳奈は第一志望の私大の赤本を解いていた。
「……佳奈って高二からずっとその大学行きたいって言ってたけどさ、何か理由あるの?」
僕は勉強に一息入れたかったので、佳奈に話しかけてみたんだ。
「え? ……えっとね……私、翻訳家になりたいっていうのは蒼汰知ってるでしょ?」
「うん」
佳奈は昔から何故か英語だけは滅茶苦茶得意だった。あんな性格なのに。……結構ひどいこと言ってるな、僕。
「私のね、尊敬しているというか、そういう先生がその大学で授業持ってるんだ。あと、ゼミも。だから、なんだ」
そのとき見た、彼女には似ても似つかない真剣な表情は忘れることができなかった。いつもほわほわしているのに、そのときだけ、芯の通った、真っすぐとした瞳をしていた。
*
佳奈の、夢を壊すことが僕にはできるのだろうか。
折り返し列車に向きかけた足を止め、僕は自問する。
あのとき、高校受験のときに一方的に佳奈に惚れたくせに、大学受験のときにそれを利用して佳奈の夢を壊すことが、許されるのだろうか。
いや、許されるわけがない。そして、それを犯す度胸も、僕は持ち合わせていない。
僕は改札階に繋がる階段を、ダッシュで駆けあがり始めた。
ごめん、ひどいこと考えた。
僕の個人的な感情で、佳奈の人生を揺るがすところだった。
だから、僕は届けるよ。最後まで、佳奈のフォローをする。
それが、僕と佳奈の距離を引き離す結果になるとしても。
「佳奈っ!」
試験会場は水戸駅北口から三分のところ。走れば一瞬だった。
「そ、蒼汰っ……あり、がと……」
会場の入り口前で待っていた佳奈を見つけた僕は、彼女のもとに駆け寄る。予想通り、涙ぐんだ顔を僕に向ける。
「ほら、行け、もう時間ギリギリだろっ」
彼女の右手に、握った夢の切符を渡す。
「う、うんっ」
それを受け取った彼女は、一目散に会場の中へと向かっていく。
「ありがとうっ、蒼汰っ」
残った僕はひとつの達成感を味わい、ひとつの感情を堪えつつ、帰りの列車に揺られた。
結局、佳奈は第一志望の私大に合格した。僕も地元の国立大に無事受かり、そして。
十年以上隣の家で過ごしてきた佳奈との日々は、終わりを告げることになった。
佳奈は大学の近くに一人暮らしをすることになった。その引っ越しの日。片手に持てる荷物だけ抱えて、佳奈は水戸駅七番線ホームで、品川行きの特急電車を待っていた。僕は、その隣で佳奈を見送りについてきていた。
最後に、もう一度だけ言葉を重ねるために。
「間もなく、七番線に、特急ひたち、14号、品川行きが到着します──」
佳奈の乗る電車の接近放送が流れる。もうすぐ、別れのとき。
目の前を、白を基調とした車体に赤のラインが入った電車が走り抜ける。やがてその速度を緩め、停車する。
「あのさ。佳奈」
「何?」
電車のドアが開く。佳奈は車内に入り、ドアの側で立ち止まって僕の方を向く。
「……ずっと、好きだった、つ──」
続きの言葉を言おうとした。今度こそ、伝わるように。なのに。
「うん、私も蒼汰のこと、好きだよ」
佳奈は、被せるように僕にそう言うんだ。
「ちがっ、そういうことじゃ──」
慌ててもう一度気持ちを綴ろうとするけど、タイムオーバーだった。
特急のドアがゆっくりと閉まり、「元気でね」と言う彼女の口の動きだけが目に入る。
「そ、そういう意味じゃ……ないんだよ……!」
必死の叫びは、誰にも届くことなく、浮かび上がった線路に吸い込まれていった。
「……なんで、気づいてくれないんだよ……どうして、僕は……僕は……」
ホームに膝から崩れ落ち、僕は気持ちを漏らす。
黄色い点字ブロックが、少しずつ色を濃くするのに、それほど時間は必要としなかった。
最後まで、佳奈に僕の想いは、届かなかった。
一方通行のまま、終わった。
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