叶えることができなかったハッピーエンドを、君と。
白石 幸知
第1話
幼馴染の小山田佳奈から電話がかかって来たのは、僕が朝ご飯を食べ終わってさあこれから勉強を始めよう、と机に向かった瞬間だった。
「もしもし? 佳奈? どうかした?」
僕は勉強机に第一志望の国立大の赤本を置き、一緒にルーズリーフを置く。
「どっ、どうしよう蒼汰……」
電話口から聞こえてきたのは、僕──水野蒼汰──を呼ぶ佳奈の弱々しい声だった。
「ん? 何かあったか?」
そんな幼稚園からの幼馴染の声を聞き、僕は勉強の支度を止め、彼女の話の続きを待つ。
「受験票、忘れちゃったよ……」
「……は? マジで……?」
「どうしよう……蒼汰、私っ……今日のところが一番、一番行きたいとこなのにっ」
僕はつい反射で立ち上がってしまう。ガタンと椅子が倒れキャスターがクルクルと回る音がするがそんなことは気にしていられない。
……今日は、僕の幼馴染、佳奈の第一志望校の入試が行われる日。よりにもよって、そんな日に。
佳奈は、受験票を忘れてしまったと言った。
「……カバンのなか、全部見たか?」
「うん」
「ポケットのなかは?」
「うん」
「財布のなかは?」
「うん」
「……なんか、どこかに紛れてたりとかは?」
「ううん……」
段々と涙混じりになってきた佳奈の声は、今佳奈がどんな表情をしているか容易に想像させた。
──きっと一人で会場の前で立ち尽くして泣きじゃくってるんだ。
僕はクローゼットにかけてあるコートをひったくり、急いで袖を通す。
「ごめん、蒼汰……家にあると思うから、持ってきてくれない……?」
「ああそのつもりだよ、まだ時間あるよな?」
「うん、あと一時間は……」
「会場水戸駅からすぐだよな? 今すぐ向かうからそこで待ってろ」
「う、うんっ……ごめんね、蒼汰……」
そして、電話は切れた。
「母さんちょっと出かけてくるっ!」
「あれ? 今日試験だっけ?」
「いや! 佳奈が忘れ物したって言うからそれ届けに!」
そこまで言い、僕は家を出て隣にある一軒家のインターホンを鳴らす。
「あら蒼汰君、どうかした?」
「あのっ、良枝さん、佳奈が受験票忘れたって電話掛けてきて、部屋にないか見てもらえませんかっ!」
「あら! あの子ったら……見てくるわね!」
佳奈のお母さんとのインターホンはそこで途切れ、しばらく間が空いた。二階建ての一軒家、門の前で待つこの時間は永遠のようにも思えた。
「蒼汰君あったわ!」
良枝さんがそう言うのと、玄関のドアが開くのがほぼ同時だった。
「僕、会場まで持っていくんで!」
門を通って僕は良枝さんから受験票を受け取る。
「ありがとう、助かるわ!」
「いえ! では、急ぐんで!」
左手に受け取った受験票を掴んだ僕は、全速力で最寄りの駅まで駆け出した。
八時十六分発の水戸行きにギリギリ飛び乗る。一時間に一本程度しかないこの街の列車は、ディーゼルのエンジン音を立てつつ水戸駅へと向かう。
電話を受けてから無我夢中で列車に乗ったので、ようやく冷静に思考を巡らせることができた。
佳奈ったらあれだけ忘れ物には気をつけろよって昨日僕が言ったのに……。今まで受けた私大はちゃんと何も忘れ物しなかったのに、よりにもよって第一志望の大学の入試の日にやらかすか……。まあ、さすが佳奈ってところか。
佳奈は、俗に言うドジっ子って奴だ。それも大事な場面でやらかすタイプの。現に今大学入試という大事な場面でやらかしているし。
僕は、そんな佳奈のフォローをし続けていた。
例えば。
*
高二のある日のこと。
「蒼汰……物理基礎の教科書忘れた……」
休み時間、隣のクラスにいる僕にこうやって教科書を借りに来ることは週に四・五回あった。今回は昼休み、お弁当を食べているときに佳奈はやって来た。
「あ、水野のお世話担当また教科書借りに来たー」
「別にお世話担当になったつもりはないけどな」
茶化す同級生にそう返してから物理の教科書を廊下にいる佳奈に渡しに行く。
「はい、教科書。今度はいちご牛乳こぼすなよ」
「だっ、大丈夫だよぉ……」
この間、生物基礎の教科書と副教材の問題集を貸したらいちご牛乳まみれになって返ってきた。佳奈は毎日昼休みにいちご牛乳を飲むことを日課にしている。なんでも、ちんちくりん(佳奈曰く)な身長やらなんやらを大きくするためらしい。でも牛乳そのままは飲めないからいちご牛乳に落ち着いているのが佳奈らしいというか。まあそのときにこぼしたってわけなんだろうけど。おかげで午後の生物の授業はいちごのフルーティーな香りを堪能しながら授業を受ける羽目になった。
「……まあ、いいや。放課後に返してくれたらいいから」
「うん、ありがとっ、蒼汰」
パッと花が咲いたような笑みを浮かべ、彼女は自分のクラスに戻っていった。
「水野―まーだ小山田に告ってないのか?」
僕も自席に戻ろうとするタイミングで、さっき茶化してきた同級生に聞かれる。
「……何回か言ったよ。『好きだ』って」
「そうなんだ、意外だなあ。お前らの関係ってなかなか言い出せずにずるずるなるような感じに見えるからさ」
「一度もちゃんと伝わったことないけどね」
「……あー、そういうパターンか」
「僕がそう言うとさ、『私も好きだよー、蒼汰のこと』って普通に返して、何もなかったように過ごすからさ」
「意味をわかってない、と」
「そうだよ。じゃあ、この話はこれで終わり」
「はいはい、お疲れ様でーす」
僕は自席に戻ってお弁当をまた食べ始める。
この一方通行の片想いは、拗れ始めて三年が経って、今に至っている。
例えば。
中学卒業の春。第一志望の高校に落ちた僕は、ショックから数日間部屋に籠っていた。寝ては起きて薄暗い部屋の天井を見上げ、そしてまた寝る、そんな生活を繰り返していた。
そんななか。
「蒼汰―、佳奈ちゃん来てくれたわよー」
「…………」
一階の母親の声で、まどろんでいた意識を覚ました僕は、しかし反応はしなかった。
すると、階段を上る音がして、
「蒼汰? 入るよ……?」
佳奈は、僕の部屋へと入って来た。が。
「わわっ」
それとほぼ同時に、彼女の体は吸い込まれるように床へと倒れこんで、鈍い音を家に響かせた。
中学の卒業式以来の再会が、これかよ。
「……何躓いてるの? 佳奈」
「ははは……カーペットの隙間に足取られちゃった……。ね、蒼汰。ゲームしよ、ゲーム」
「……いいよ、別に。今そんな気分じゃないし……」
「いいからいいからっ」
佳奈はそう言い、持ってきた据え置きのゲームハードの準備をしようとする、けど。
「あれ? あれれ? おっかしーなー」
映像を出力する三色ケーブルは部屋にあるテレビに繋げたが、電源コードが繋がらないようだった。
「なんでだろう、うーん……」
かれこれ五分くらい格闘したのち、佳奈はひとつの結論に行きついた。
「これ別の電源コードだっ」
「なんでだよ……あっ」
思わず突っ込んでしまった。……いや、普通そういうゲームハードのコード類ってごっちゃにならないように保管するよね、どうして間違う……?
ってか。
「佳奈……何のソフトで遊ぼうとしたの?」
さっき転んだときに弾みで落ちたソフトを見て、僕は彼女に尋ねた。
「へ? 何って、キノコカート?」
「……ハードの種類違うんだよ、これじゃゲームできないって」
「……あはは……やっちゃった……」
困ったように笑う彼女を見て、少し、尖っていた心が溶けるような、そんな気がした。
「……せっかく、蒼汰元気づけようと思って来たのに……これじゃあだめだね……また、同じ高校通えるのに……」
画面がつかないテレビを見つめながら、彼女はへたりと座り込んでしまう。
「……キノコカートなら、別のハードの持ってるから、携帯機だけど。ソフト一個しかなくても通信で遊べるから……それに、僕本体二つあるから、それで、いいんじゃない」
「そ、蒼汰……?」
僕がそう言うと、薄暗い部屋が少しだけ、明るくなったような気がした。
「う、うんっ。それやろうっ」
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