3-15 冷徹な紳士
野口は表情ひとつ変えず、ゆっくりと語り続けた。
「私自身は、エクセレントグループの他社合併に直接関わってはおらず、アドバイザーという立場で相談は受けていまして。相談を持ち掛けてくるのは、ここにいる寺下さんでしてね」
そういうと、寺下は、極まりが悪そうな表情で苦笑いした。
「まあ、寺下さんはこの会社の顧問弁護士という立場もあるんで、私が説明しますね。エクセレントグループは会社の方針で合併による勢力拡大を進めていて、寺下さんが実質的にその計画を裏で仕切っていたんです。でも、社長の息子である裕恒さんは、役員会でその計画を白紙撤回し、別な経営計画を打ち出してきた。寺下さんはもはや我慢ならん、ということで、私に相談を持ち掛けたんです。ならば私は、ちょうど『持ち駒』が手元にあったので、それで手を打ちましょう、と言ったのです」
「も、持ち駒って、何ですか?」
裕也は、野口が言った意味深な言葉に反応した。
「それって、横浜の『田崎総業』という所ですよね?」
祥次郎は、横目で睨みながら答えた。
「おお、祥次郎君もよくご存じで。田崎総業は、経営が相当ひっ迫していて破産寸前だったようでね。社長が私に相談したので、色々手を打って、大手に吸収合併してもらうことで破産を免れた。ただ、私へのコンサルティング料が払えないようでね。社長は自宅を売却し、今は昼夜仕事をして返済してもらっているんですが、それでも足りなくて、一人娘の若菜さんにお手伝い頂いているわけです。彼女は予備校に通っていて、その学費も欲しかったようですから。お金が欲しければ、私の言うことを何でも聞きなさい、と言いました」
「そうか、それで、若菜ちゃんに『フロイデ』でアルバイトさせたわけか」
祥次郎は、合点が行った様子であった。
「そういうことです。ただ、この作戦を行うには、若菜さんだけでなく、他にも一人お手伝い頂いたわけですがね」
「それが、ケインズさんってこと?」
「その通り。ご存じだと思いますが、篠田ケインズさんは、エクセレントグループのライバルであるウイングリゾートの日本支社CEOです。私は仕事上、エクセレントにもウイングにもアドバイスを送っていました。ケインズさんと相談した時、彼は何とかしてエクセレントグループを業績で上回りたい気持ちで一杯だった。だから、私は言ったのです。うちの若菜さんと組んで、裕恒さんを葬り去ってみては?とね。そして、このボトルを二人に預けたんですよ。まあ、ケインズさんは祥次郎君が言った通り、途中で思い留まってしまったようだけど」
裕也は、驚きの表情で野口の顔を見つめた。
しかし野口は、表情を全く変えず、話をつづけた。
「江坂社長、あなたは合併によるグループの勢力拡大を進めていた。でも、息子の裕恒さんは終始反対していた。あなたは社長であるにも拘らずそれを説得せず、放置してしまった。申し訳ないですが、私としてはこれ以上耐えられず、心を鬼にした次第です」
野口の言葉に、裕也は全く反論できずにいた。ずっと片手で顔の辺りを押さえ、うつむいたままだった。
「社長がウエストサイドホテルの合併を取引材料として、祥次郎君に裕恒さんの死因を調査してくれと言ったのは、我々を侮辱した依頼であり、正直虫が良い話と思いました。まあ、私をずっと気遣ってくれた関口さんからのお願い事じゃなければ、要求は飲めませんでしたけどね」
野口は、祥次郎の方を見て不気味な笑みを浮かべながら話した。
確かに、ウエストサイドホテルとエクセレントグループの合併を回避することは、秋音からの依頼だった。
「あ、そうそう、祥次郎君。もう既にお察しかもしれませんが、若菜さんがあなたの店のお客さんに、私が飲んでいるお酒を注入した理由はご存じでしょう?」
「まあね。これ以上調べられるのはさすがにマズイって思って、若菜ちゃんをけしかけたんでしょ?それに、こないだ秋音ちゃんを殴って気絶させたのも、あんただろう?その件も、同じ理由だよな?もっと突き詰めて言うと……俺の店に、若菜ちゃんを送り込んだのも、あんただよな?」
「ハハハ、ぜーんぶ分かってるようですね。さすが探偵、さすがは我が弟だ」
「けど、さっき『自分を気遣ってくれたのは、秋音ちゃんだった』って言わなかったかい?その秋音ちゃんを殴るなんて、随分ふざけた話だよな」
「まあ、あの件は正直すまなかった、と思ってる。けどな、祥次郎君」
そう言うと野口は立ち上がり、祥次郎と裕也をそれぞれ指さした。
「私は自分の仕事にプライドを持って取り組んでいる。報酬が得られるからとかではない。ここにいる寺下さんもそうだ。それを、あなた達は何なんだ。中身もよく分からない癖に反対したり、取引材料に使ったり、我々の仕事を侮辱するようなことばかりして。それを私は、何よりも許せなかったんだ」
野口はくるりと背を向けると、社長室の出入り口ドアへ向かって歩き始めた。
「ど、どこに行くんですか?野口さん?」
寺下は、野口の背中を追った。
「私から言うべきことはここで全てお話しましたよ。社長、ドアのカギを開けていただけますかね?」
すると、裕也はドアの前に走り、野口の前に立ちはだかった。
その表情には、傍から見ても鬼気迫るものがあった。
「だ、ダメだ。あなたは、私の大事な息子を殺した!そのことは、絶対に許せない!ここから、出すつもりは一切ない!」
すると祥次郎は、クスっと笑い、上目遣いで裕也を見つめた。
「裕恒さんは会社の方針に反して、受けるべき仕打ちを受けただけだ」
「バカ言うな!だからと言って、こんな酷いやり方は許せない!おまけに、息子だけでなく、息子の友人であるケインズ君まで巻き込んで」
裕也の口調は、徐々にヒートアップしていた。
「まあ、酷いやり方ですな。でもね社長、今のエクセレントグループが吸収合併方針で順調に業績を拡大してきた陰で、合併された会社では沢山の人が辞めたり、転籍させられたりしてるのはご存知ですよね?先日合併されたウエストサイドホテルもそうですよ、ね、祥次郎君」
「あ、ああ……」
野口に突如会話を振られた祥次郎であるが、この件については思わず頷かざるを得なかった。
「確かに裕恒さんは、そういう事実を知っていて、他社の吸収合併を推進することを嫌がっていたかもしれない。でも、吸収合併を推進していたのは他ならぬ社長であり、裕恒さんの実の父親であるあなたじゃないか。監督者として、もっと責任を感じていただきたいものですね。さ、ドアのカギを開けて下さい、私はこれから別な用件がありますので」
野口は、興奮気味の裕也の顔を見ながら、冷静に言い放った。
「私の大事な息子を殺した……そのことは、どんな理由があろうとも許せない!」
そう言うと、裕也は野口の胸倉を掴んだ。
「しょうがないなあ……そうだ、祥次郎君。君の目の前にある瓶を私に渡してくれるかね?」
野口は裕也の後ろにあるソファーで腰かけていた祥次郎に向かって、白い歯を見せてニヤリと笑いながら、テーブルの上に載っている緑色の瓶を指さした。
「こ、これは、ダメだ……いくら、実の兄貴の頼みでも、絶対にダメだ!」
祥次郎は瓶を手にすると、慌てて自分のカバンにしまい込もうとした。
「君が手にしている瓶を飲ませたら、おそらく社長はイチコロだ。そしたらウエストサイドホテルの合併話も無くなるだろうよ。これほど君たちにとって、嬉しい話はないはずだ、違うかな?」
野口の言葉を聞き、祥次郎は、歯ぎしりをしながら身構えた。
確かに、このまま野口に瓶を渡せば、野口は瓶に入っている酒を裕也に飲ませ、裕也は強烈なアルコールで意識が朦朧となり、場合によっては急性アルコール中毒で死に至るかも違いない。
その結果、社長が進めていたウエストサイドホテルの合併は回避できるかもしれない。ただ、息子を失った裕也が無念を晴らせないまま、野口はこのまま姿を消す恐れがある。
果たして、どちらが最善の選択か……!祥次郎は、ひたすらじっと考えこんだ。
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