3-16 遺恨

「さあどうする?わが弟よ。君にとっては、千載一遇のチャンスじゃないか?ここにいる社長を消し去れば、全てが解決することなんだから」

 野口は、あざ笑うかのような表情で、まるで挑発するかのような口ぶりで、祥次郎にアルコールの入った瓶をよこすよう催促した。


「兄貴、あんたは昔からそうだった。そうやって美味しい話を持ち掛けて、最後には裏切っていった」

 そう言うと、祥次郎は立ち上がり、コツコツと靴音を響かせながら野口と裕也の元へと歩み寄った。


「俺が高校出たのに、どれだけ苦労したか、知ってるのか?俺も、おふくろも、あんたが父親に頼み込んで学費を出してくれるという言葉を信じてたのに。でも、あんたは言葉ばかりで、何にもしてくれなかった。金持ちの家で育てられたあんたは、貧乏な家に預けられたこの俺を心配して、お金を工面してやるから、高校を何とか卒業しろよ!って言ってくれたよな?でも、その後何の連絡も無いまま。とうとう学費が払えなくなって、朝も晩もアルバイトしたよ。で、ようやく卒業できた。あの時俺は、心から悔しかった……裏切られたという思いで、ひたすら悔しかったんだよ」


 祥次郎の話を聞き、野口はフッと我に返った表情で祥次郎を見つめた。

 その隙に、祥次郎は野口のスーツを掴む裕也の手を振りほどくと、二人の間に入り、鬼の形相で立ちはだかった。

 裕也は怒りがまだ収まらない様子で、手をガタガタと震わせながら、祥次郎の話に聞き入った。

 野口は、ズボンのポケットに手を入れ、時折髪の毛を掻きむしるしぐさを見せると、ニヤリと笑い、口を開いた。


「まあ、あの時は本当に悪いことをしたと思う。君はその後、相当苦労して高校を出たという話は、私も人づてに聴いていたからね。だが、君は昔と変わらずバカだな、とも思っている。せっかく目の前にチャンスが転がっているのに。そもそも合併の話を無しにしてほしいというのは、君のアシスタントの秋音さんからのたっての依頼なんだぞ。それを店主の君が拒むなんて、滑稽だとしか思えない」


 すると祥次郎は、野口の目を睨むように見つめ、唸り声をあげるかのような口調で言い返した。


「秋音ちゃんは、こんな形での解決は望んじゃいない。誰かを殺して、それですべてがチャラになるなんて、望んじゃいないよ。それに、合併で社員の士気が下がって弱体化した今のウエストサイドホテルでは、仮に今回の合併話がチャラになっても、いずれまた買収されてしまう。そして……あんたはどうせ、口先ばかりで、最後には俺との約束を反故にするだろうから」


 すると、野口は肩をすくめ両方の掌を上にあげ、やれやれ、と言わんばかりの表情で祥次郎に背を向けた。

「社長、鍵を貸してください。もう、帰ります。あなた達と話せば話すほど、疲れてきた。これ以上話すのは時間の無駄だ」


「ダメだ!私はあなたを許さない!裕恒を返せ!このままで帰れると思うなよ!」

 裕也は再度、野口の懐に飛び込み、体を押さえつけようとした。

 すると、野口は裕也の腕を捕らえ、そのまま床に体ごとねじ伏せた。


「こ、この……!」

「さあ、おとなしく、鍵を貸してもらおうか」


 そう言うと、野口は裕也に馬乗りになり、上着ポケットを手で弄り、そっと鍵を取り出した。

「返せ!鍵を返せ!このままここから帰してたまるか!」


 すると、野口は立ち上がり、不敵な笑みを浮かべながら手を振った。


「それじゃ、私はこれで帰る。社長、あなたがちゃんと息子さんを教育していれば、こんなことにならなかった。せいぜい自分を恨むんですね。寺下君、私が去った後、色々心もとないだろうけど、社長の面倒を見てやっておくれよ。あ、それから祥次郎君、秋音さんのこと、よろしくな。彼女には心から感謝しているよ」


 そういうと野口は片手を挙げ、ドアノブに鍵を差し込んだ。

 ドアが少しずつ開き、廊下の様子が徐々に目に入ってきたその時、野口は突然両手を挙げた。

 そのまま逃走する様子もなく、ドアを出たところで微動だにせず、言葉も発さず、ずっと直立していた。

 祥次郎は不審に思い、後ろから廊下を覗き込むと、廊下の奥から数人の警察官と、スーツ姿の刑事が野口の元へ近づいてくる様子が見えた。


「オッス!何とか間に合ったようだな。ショウちゃん」

「う、宇都宮刑事!?」


 宇都宮はニヤリと笑って親指を立てると、懐から逮捕状を取り出し、野口の顔の前に提示した。


「野口三喜雄、詐欺の容疑で逮捕する」


 野口はフフッと鼻で笑うと、そのまま宇都宮の目の前に歩み寄った。

 警察官が手錠をかけると、祥次郎の方を振り向き、苦笑いした。


「またな、我が弟よ。秋音さんを、よろしく頼む」


 そう言うと、軽く頭を下げ、警察官に連行されながら廊下を歩き去っていった。


「さ、詐欺容疑って……何の件で?それに、証拠はあるんですか、刑事?」

 祥次郎は、訝し気な表情で宇都宮に尋ねた。


「あるさ。田崎若菜から洗いざらい話を聞いたよ。田崎の父親の経営している会社は経営難で、野口の仲介で他社に吸収合併されたって若菜が話してたけど、よく調べたら、野口は最初から田崎の父親の会社を乗っ取るつもりで持ち掛けた詐欺話から始まったことだったんだ。本当は裕恒さんの殺人教唆容疑で捜査を進めていて、篠田ケインズの証言は取れたけど、肝心の殺人に使われたアルコールが見つからなくてな。こっちでは立件できなくて、今回は詐欺容疑での逮捕になったんだ」


 宇都宮が誇らしげな表情で経過を説明すると、祥次郎は緑色のボトルをカバンから取り出し、宇都宮に手渡した。


「これは?」

「刑事が探してた、裕恒さんを殺したのに使われた酒ですよ」

「あ~!これ!これだ!探してたんだよ~!裕恒さんが飲みに行っていた「フロイデ」やショウちゃんの店をずっと捜索していたんだ。というか、そんな大事な証拠を、なぜ俺たちに見せなかったんだ?これがあれば、俺たちは最初から殺人教唆容疑で立件できたのに……」

 宇都宮は、歓喜極まる声でボトルの表面を何度も撫でた。


「警部、これは自分の兄が起こした事件です。それに、社長の所に調査報告する際、きっと兄は出てくるだろうと思ってね。こんな卑劣なやり方で、多くの人間を苦しめて……だから兄には現物を見せつけて、自分のやったことの重さをとくと思い知らせてやりたかったんです」

 祥次郎は、うつむき加減の表情で、冷静に答えた。


「バカ野郎!それでもし相手が逆上したら、ショウちゃんの命が危険にさらされたかもしれないだろう?兄弟が関わってるから自分1人で何とかしようとするなんて、考え方が甘いぞ!」

 宇都宮は、しかめっ面で、床を足で何度も踏み鳴らしながら問いただした。

 すると、祥次郎はやや呆れ顔で、腰に手をあてながら話した。


「ご心配ありがとうございます、刑事。でも俺、兄にはいつの日か、自分の昔の遺恨を伝え、恨みを晴らしたかった。こんな酒使って、何人もの人間を苦しめて、お前の本質は昔と何ら変わってない!って言いたかったんだ。だから、警察にも秋音ちゃんにも関わらせず、邪魔者無しで話をしたかったんだ。」


 宇都宮は顔をしかめて首をかしげ、祥次郎の意図を十分理解できていない様子だった。


「兄はもう忘れてるかもと思ってたけど、ちゃんと覚えてましたね。少しはあの時の罪を償おうとする気持ちはあったのかな?」

 そういうと、祥次郎はクスっと笑い、宇都宮の前で頭を下げると、カバンを持って社長室から退室した。


「お、岡崎さん!お待ちになってください!この件については、後日お礼を……」

 裕也が大声で祥次郎を呼び止めようとしたが、既に姿は無かった。

 裕也と寺下、そして宇都宮は、嵐が過ぎ去った後の静けさのような雰囲気中で、ぽかんとした表情で社長室の中に取り残されていた。

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