3-9 謎の液体

 一夜明け、祥次郎はいつものようにバーの仕事を終えて、休む間もなくスーツに着替えて、ハンチング帽をかぶって身なりを整えた。

 秋音も祥次郎に帯同したいと言っていたが、記憶障害が残り、いつもに比べて精神的に落ち込みが見られるため、無理はさせず、自宅で休むように伝えた。


「ごめんマスター……こんな大事な時だから、もっとしっかりしなくちゃ、と思うんだけど、なかなか気持ちが前向きになれなくてさ」

「良いんだよ。まずはゆっくり休みなさい」

「ごめんね……。あ、そうそう、マスター。ちょっと、見せたいものがあるんだ」


 秋音は、緑色のワイン瓶を祥次郎に手渡した。


「この瓶、店のボトル棚に置いてあったんだけど、中を開けたら、鼻を突くような強烈なアルコール臭がするの。この店には、こんな強烈な臭いのお酒、置いて無かったよね?」


 秋音から渡された瓶のにおいを嗅いだ祥次郎は、強烈なアルコールの臭いに、思わず鼻をつまみ、咳き込んでしまった。


「た、確かにこんな強烈な酒、うちの店で置いてなかったな」

「考えられるのは、最近、外から持ち込まれたお酒ということかな。私たち以外となると、まさか、若菜ちゃん!?」

「!?」


 祥次郎は、秋音の言葉に目を丸くした。

 確かに、若菜が来てから「メロス」ではアルコール中毒者が続出していたが、仮にこの原酒のまま出されても、臭いが強すぎて飲む人はいないと感じた。でも、何か他の銘柄と混ぜ合わせれば、ひょっとしたら……!

 そう考えた祥次郎は、思い切った「実験」を行うことを決めた。


「秋音ちゃん……棚にあるウイスキー持ってきておくれ!そして、この酒と混ぜ合わせてくれるかな」

「う、うん」


 秋音は、戸棚から次々とウイスキーを取り出すと、それぞれグラスに注ぎこみ、そこに、緑色の瓶に入っている液体をゆっくりと流し込んだ。

 祥次郎はそれぞれのグラスをテイスティングしながら確認したが、うち一つのグラスの香りに覚えがあった。


「こ、この香りは……まさしく、あの酒と同じだ!」


 □□□□


 中央区箱崎にある、「ウイングリゾート」東京本社。

 社長室に通された祥次郎は、応接室のソファーでしばらく待たされると、細身のスーツを着込んだケインズが目の前に姿を見せた。


「これはこれは、探偵様。またおいで下さったようですが、どうかされたのですか?」


 ケインズはテーブルを挟んで真正面のソファーに腰かけ、にこやかに語り掛けた。


「忙しい所、失礼します。本当は先日、こちらに来た時に聞けばよかったのですが、何点か確認しておきたいことがありまして」

「ほほう、何でしょうか?」

「先日、ケインズさんがおっしゃられた『ユキちゃん』についてです」

「ああ、ユキちゃんのことか。どうしたんですか?彼女は何か今回の案件に関わりがあったんですか?」

「ええ。ユキちゃんは、実は私の店でもアルバイトしておりましてね。色々彼女に、今回の事件について聞き込みをしたところ、突然切りつけられましてね」


 そういうと、祥次郎は包帯が巻かれた腕を見せた。


「え、包帯が巻いてある所がそうだったんですか?しかもあのユキちゃんが?」

「そうです。だから私は、ケインズさんもユキちゃんと親しかったと伺っていたので、ユキちゃんに何かされなかったのか気になって、聞き込みに参りました」

「あははは、僕がですか?無いですね。『フロイデ』のアシスタントをしていたかわいいお嬢さんというイメージしかないですね、申し訳ないけど」


 ケインズは、何故そんなことを聞きに来たのか?と言わんばかりの、半ばあきれ顔をしていた。

 すると、祥次郎は、ケインズに向かって目配せしたり、軽く手を振ったりと、様々なジェスチャーをし始めた。


「な、何ですか、気味悪いなあ」


 しかめ面をするケインズをよそに、祥次郎は目配せしたり、ニヤリと笑ったり、親指を上げてみたり、様々なジェスチャーを繰り返した。


「一体何の意味があるんですか?すみませんが、私も色々仕事があるんで、何もお話が無いのであれば、お引き取り頂きたいのですが」

「いや、意味があるんですよ。ケインズさん、覚えてないんですか?あなたが江坂裕恒さんと一緒に通った「フロイデ」でやっていたことですよ」

「ば、バカ言わないでくださいよ。あそこは外国人のお客さんも多いし、それなりに名の通った著名な方も訪れるお店ですよ。そういう場所で、私がそんな悪ふざけをするわけないでしょ?」

「いや、していたようです。マスターの小野田君がお話してくれましたよ」

「マスターが?」

「ええ。私の昔からの知り合いなんでね」


 ケインズは、やれやれ、というような表情でため息をつくと、上目遣いで祥次郎を見つめた。


「まあ、確かに、酔った勢いでユキちゃんにちょっかいを出してたかもしれませんね。ユキちゃんは、ヒロのことばかり相手してたから、私にも気を掛けてくれって、目配せしたりサインを送ったりしてたかも」

「そうですかねえ?小野田君の話では、もっと意味深なものみたいですよ」

「意味深?why?」


 ケインズは立ち上がると、祥次郎の目の前に歩み、両手を腰にあて、睨みながらまくしたてた。 しかし、祥次郎はひるむ様子もなく、ケインズの眼をしっかりと見つめながら、裕恒が飲んでいたというボトルをカバンの中から出し、テーブルの上に置いた。


「またこのボトルですか?いい加減にして下さいよ。こないだも言いましたが、私はこんな度数のきついウイスキーは飲めません」


 すると、祥次郎は、緑色のガラス瓶と、スコッチウイスキーであるマッカランのボトル一本、そしてグラス一個をカバンから取り出し、同じようにテーブルに並べた。


「ケインズさんも大好きなマッカランのウイスキーです。まずは2フィンガー程度、グラスに注ぎ込みます」


 そう言うと、祥次郎は少しずつマッカランを注ぎ、軽くグラスを揺らした。


「続いて、ここに、この緑色の瓶に入っている液体を注ぎ込みます」


 祥次郎は、マッカランの入ったグラスに、緑色の瓶から少しずつ透明な液体を注いだ。そして、グラスを片手でゆっくりと揺らし、二種類の液体を十分に混ぜ合わせた。


「さあ、ケインズさん、どうです?このウイスキー。お仕事中でしょうから、臭いだけでも嗅いでみてください」


 ケインズは、グラスを祥次郎から渡されると、少しずつ鼻をグラスに近づけ、しばらくじっと臭いを嗅いだ。


「ぐはっ!す、すごい。マッカランの甘い香りに混じって、強烈なアルコールの臭いがする……」

「そうでしょ?次に、こちらにある裕恒さんのボトルと比べてみてください」


 そう言うと、祥次郎は先日も持参した裕恒のホルダーのついたボトルをカバンから取り出した。

 ケインズは、またこのボトルか?と言わんばかりのつれない表情を見せたが、渋々と裕恒のボトルの蓋を開け、そっと臭いを嗅いだ。


「こ、これは!」

「そうですとも、似てるでしょ?あなたの好きなマッカランが、殺人ウイスキーに早変わり!って感じです」

「一体何ですか、その緑色のボトルは?」

「このボトル、うちのバーのボトル棚に入ってたんですよ。こないだね、警察から呼び出しを受けて、私の店の客が急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれたなんて話があったので、一体何が原因なんだろうと思いましてね……そして、出てきたのがこの瓶なんですよ。私も秋音ちゃんも、この瓶には見覚えが無くてね。だとすると、最近うちの店でアルバイト始めたユキちゃんしか、この酒を持ち込んだ人物が思い浮かばなくてね」


 そして、祥次郎は立ち上がり、ケインズの椅子の所まで歩み寄り、再度目配せや、手招きするなどのジェスチャーを行った。


「ケインズさん、バーボン派の裕恒さんが、あなたの飲んでるスコッチを時々飲んで、次第にスコッチに嵌っていったみたいですね。で、ユキちゃんが裕恒さんのグラスが空になったのを見て、あなたの飲んでるマッカランのボトルをよこすようサインを送っていたみたいですね」

「ああ、そうですけど」


 すると祥次郎は、ゆっくりと歩いて自席に戻り、ケインズの顔を指さしながら叫んだ。


「そしてあなたは、ユキちゃんにマッカランのボトルを渡した。で、ユキちゃんは、マッカランにこの瓶に入ったお酒を注ぎ込んで、裕恒さんに渡した!違いますか!?」


 ケインズはムッとした表情を浮かべ、しばらく顎に手を当てたまま黙り込んだ。

 沈黙がしばらく続いた後、ケインズは眼光を光らせたと思うと、立ち上がり、祥次郎の目の前に歩み出た。


「そうです。私とユキちゃんで、この酒を仕込んだのです。僕ら二人には、どうしてもやり遂げたいミッションがあったのでね」


 ケインズはついに酒の件を認めたものの、その後発せられた謎の言葉に、祥次郎は言葉が止まった。

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