2-10 ウイスキーに込められた謎
翌日の夕方、果物や酒の入った沢山の買い物袋を提げて、秋音が「メロス」の店内に入って来た。
「こんばんは、マスター!はあ~今日は二日酔いでちゃんと授業ができなかった。あ、そうそうマスター、昨日は騒ぎすぎてごめんね……あれ?マスター?どこにいるの?」
秋音が店内を見渡したが、祥次郎の姿はどこにも無かった。
厨房の中にも、カウンターにも、その姿を確かめることはできなかった。
「どこ行っちゃったのよ?ドアを開けっぱなしで、物騒じゃないの!」
その時秋音は、厨房の小さいテーブルの上に、沢山のファイルが山積みになっていることに気づいた。
「なにこれ?う~んと……『江坂裕恒の急死に関する考察』?それと『江坂裕恒氏病状及び経過調査ファイル』?な、何よこれ?」
秋音は、ファイルをめくり、書かれていることを一つ一つ確認した。
「ふ~ん、裕恒さんって人、エクセレントグループの社長の息子なんだ。え、というか、何でマスターがこんなファイルを持ってるんだろう?」
□□□□
祥次郎は、すでに「メロス」の開店時間にも関わらず、店を抜け出し、エクセリアスホテル浜松町の中にあるバー「フロイデ」で、ウイスキーを飲みながら旧友であるバーテンダー・小野田千博とカウンター越しに話をしていた。
午前中、祥次郎はファイルを一通り読んで、気になる点や人物を次々と洗い出した。そのうちの一つが「フロイデ」にも関わるものであり、小野田なら分かるのでは?という淡い期待と、すぐにでも確かめたい、という一心から、突如訪問することを決めた。
「祥次郎君、どうしたんだい、こんな時間に?自分の店もそろそろ開けなくちゃいけない時間だろう?」
「いや、エクセレントグループの社長から、顧問弁護士を通して、長男の裕恒さんの死亡原因を調べてほしいって頼まれてさ。俺も突然の依頼で困ってるし、小野田君なら分かるかな?と思う所もあってさ。もう自分の店の開店時間は過ぎてるけど、依頼されたからには早めに解決したいと思ってね」
「……そうか、祥次郎君、社長の息子の死について調査を任されたんだ。出世したなあ」
「そんな言い方するなよ。俺だって、正直言うと気が進まない仕事だよ」
「気が進まないけど、祥次郎君の有能な『助手』からのたってのお願いで、やることになった……って所かな?」
「え?何で知ってるんだい?」
「だって、助手の子、俺の所に色々聞きに来たぞ。『社長に会って話したい事がある』ってさ。かなり息巻いてたよ」
「ああ、そう言えば俺の所にも、小野田君に直談判しに行った話をしていたな。秋音ちゃんはホント正義感強いからなあ。もっと落ち着いて考えて行動してくれたらと思うんだけどな」
「彼女はまだ若いからしょうがないよ。けど、この私だって社長にここまで世話してもらった『恩義』があるからさ、会社の方針に反した行動を手助けするようなことはできないよ」
「そうだよな。この店を開くまで色々苦労したからな、小野田君は」
そう言うと、祥次郎は煙草に火をつけ、煙をくゆらせながら目を閉じた。
「社長の息子って、二人いたよな?弟の丈明はこないだ捕まったけどさ」
「そうだよ。弟の丈明さん……このホテルの跡継ぎなのに残念だけど、罪は償ってもらわないとね」
「丈明は、裕恒さんを殺すだけの動機ってあるのかな?」
「無いと思う。あの二人の性格は正反対なんだけど、何故かすごく仲良かったんだよね」
「そうか。だとすると、この人はどうなんだろう?」
祥次郎は、ポケットから写真を取り出し、小野田に手渡した。
写真には、バーの中で若い男性二人が肩を組んで仲良く酒を飲んでいる風景が写し出されていた。
「こ、これは。裕恒さんと、
「そう。篠田ケインズ。外資系ホテルのウイングリゾートの御曹司だそうだね。この写真、顧問弁護士の寺下さんが持ってきてくれた裕恒さんの病状経過ファイルに入ってたんだ。この二人、よく飲んでいたみたいだね」
「ああ。この二人は良くここに来たよ。裕恒さんとは大学も一緒で、良きライバルという感じだったね」
祥次郎は、煙草を吸いながら写真を見つめた。
写真をどう眺めても、不審な点は浮かび上がらないものの、祥次郎は続けざまに小野田に問いかけた。
「経過を見ると、裕恒さんが亡くなる前に篠田ケインズが何度も接触してるんだよ。見舞いなんだろうけど、不自然な位多いんだよね」
「そうなんだ。でもまあ、あの二人は仲はいいぞ。下手したら弟よりも仲がいいかもしれないな」
「ここには、しょっちゅう来ていたの?」
「うん。よくここで飲んでたよ。時々銀座に行くこともあったようだけど、この店で飲んでることが多かったかな」
「何を飲んでたか、覚えてるかい?」
「そうだなあ……スコッチウイスキーをストレートで飲んでたね。篠田さんが酒豪でね。裕恒さんは真逆で、最初は全く飲めなかったんだけど、篠田さんが『これから上に立つ人間は、付き合い上、酒が強くないとやって行けないぞ!』ってたしなめて、少しずつだけど、裕恒さんもストレートで飲むようになってきたね。最後には、裕恒さんの方が篠田さんよりもストレートをグイグイ飲むようになってたかな」
「ストレートか。俺でさえ、いまだにストレートで飲むのは辛いんだけどな。こないだも、飲みすぎてひどい目にあったし……」
うなだれる祥次郎の手元に、小野田は裕恒が飲んでいたというスコッチの瓶を差し出した。
「こちらが、裕恒さんのキープボトルです」
祥次郎は、ボトルのラベルをじっと見つめると、自分のグラスに少しだけ注ぎ込んだ。
「……!し、しびれる!すごい刺激だな、このお酒!喉が思いっきりしびれる!おまけに胸がジュワーッと熱くなってきちゃった!どうしよどうしよ……!」
「祥次郎君!大丈夫か?」
小野田は急いでミネラルウォーターをグラスに注ぎ、祥次郎に提供した。
祥次郎は、震える手を押さえながらグラスに手を当て、水を一気に飲み干した。
「……ふう、なんだこのボトルの酒、スコッチにしては強力な味だな」
「スコッチには色んな種類があるけれど、四十度以上の度数があって、六十度を超すものもある。これは見た感じ、スコッチでも結構度数が高めの方かな」
祥次郎は体中にしびれを感じ、ずっと座っているのが辛くなった。煙草を吸い殻に強く押し付けて火を消すと、小野田に向かって一礼した。
「仕事中悪かったね。俺もこれから仕事なんだ。悪いけど、このボトル、借りても良いかい?ほかに飲む人が居るのかな?」
「いや、今はいないな」
「ケインズさんは飲まないのかい?」
「それがね、裕恒さんが亡くなってから、この店に寄り付かなくなったんだ。このボトルも、まだ中途半端なのに……」
「ほう。なるほど、ねえ」
祥次郎は、ボトルを振り子のように左右にふると、カバンの中にしまい込んだ。
「またここに来るからね」
「社長の依頼……無事、解決できそうなのか?」
「いや、まだ始まったばかりだから、何とも言えないな」
「私の意見だが、どう見てもあれは、病死しか考えられないぞ」
「そうでしょうか、ねえ?」
「そ、そうでしょうか、って……?」
「ま、いずれ教えるからさ。それじゃまたね」
祥次郎は、後ろ向きに片手を挙げて、そそくさと「フロイデ」を立ち去っていった。
カバンの中のウイスキー瓶がちょっと重いものの、祥次郎にとってはこれが重要な証拠の一つと睨んでいた。
店を出た後、祥次郎は急激に気分が悪くなり、慌ててトイレに駆け込んだ。
店で飲んだウイスキーの感触が、まだ胸の中で残っているようであった。
「グホッ……!か、かなり強力だな。今になっても胸の中からこみあげてくるなんて。酒が弱い裕恒さん、本当にこんな強い酒を、毎度飲んでたのかよ……?」
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