2-9 記憶をたどって

 野口三喜雄と弁護士の寺下は、飲みすぎて夢の中にいる理香の隣に腰かけると、寺下が手帳をめくりながら、カウンター越しに祥次郎に語り掛けた。


「マスターの岡崎さん、あなたは副業で探偵業をされていると伺いましたが」

「まあ、ね。誰かから依頼された時にしかやっていませんけど。誰からそのことを?」

「こちらの野口さんから、この店について色々お話を伺いましてね。勝手ながらあなた方のことを調査させていただきました。そしたら、あなたのことをよく知る人がエクセリアスホテル浜松町のバーテンダーをしていらっしゃったようでして。その方が、あなたのことを色々話してくれました」

「あ、そうなんだ。じゃあ、この俺が変わり者で変態であることも知ってるんだね」


 祥次郎は、ニヤリと笑って人差し指を寺下の額の辺りに突き立てた。


「そうですね。そのことも調査済みです。過去には裸のまま若い女性客に襲い掛かり、警察沙汰になったこともあったようですね」

「……よく知ってるな。そんなくだらない過去まで調べてたのかよ」


 祥次郎は、極まりの悪そうな顔で煙草に火をつけ、寺下を睨みつけた。

 寺下は表情を変えずに手帳をめくり、書いてあることをなぞる様に読み始めた。


「早速ですが、あなたが探偵ということを聞いて、社長の江坂祐二ゆうじから直々に調査をお願いされたことがあるので、お伝えします。社長の長男で、エクセレントグループの後継者とされていた裕恒ひろつねさんが、一昨年、病気で急死されました。社長は、裕恒さんの死が病死じゃないんじゃないか?とおっしゃっているんですよ。裕恒さんは、他の誰かに殺されたんじゃないかって」

「警察には、調査はしてもらったのかな?」

「はい。鑑識にも確認を仰ぎましたが、結果はやはり病気ではないか、とのことでした。亡くなる前から血糖値が高かったようですから、放置したことにより病気の進行が進んでしまったのでは、とのことでした」

「でも社長は、その結論が絶対おかしいと思って、この俺に調べてほしいと依頼してきたわけだ」

「ま、まあ、そうですね。どうでしょうか?社長は、裕恒さんの死因が何なのか、他殺の場合は、犯人が誰なのかまでしっかり調べてほしいとのことでしたよ」

「え?あんたは弁護士だろう?そんなの、色々調べようと思ったら調べられるんじゃないの?」


 祥次郎は依頼の内容を聞くと、首を傾げ、まるで自分がこの若者に実力を試されているような気分になり、不愉快そうな表情で聞き返した。


「私どもはあらゆる手段で調べました。でも、答えが出ませんでした。裕恒さんの死因にはどこも不自然さが無いし、殺されたとしても、十分な証拠が出てこない。一応、お知り合いや社員、取引先に至るまで調べましたが、決定的な証言は得られませんでした。私の方から社長には調査結果を伝えたんですが、いまいち納得はしていない様子です」

「そこまで調べて証拠が出ないなら、あなたが言う通り、病死なんじゃないの?」

「そう思うんですが、社長がなかなか認めてくれなくて……我々も顧問弁護士ではありますが、エクセレントグループ様の案件のほかにも何件か掛け持ちしているので、この案件だけに時間を割けないんですよね」


 寺下は、額に手を当てて軽くため息をついた。野口は、そんな寺下の気持ちを慮るかのように、背中を叩きながら、目じりを下げて語りだした。


「寺下さん、この人達なら大丈夫だよ。誠実だし、何よりも窮地に立っているウエストサイドホテルを救いたいという気持ちで一生懸命やってくれるに違いない」


 二人の姿を、頬杖ついて煙草に火を灯しながら見つめていた祥次郎は、野口から寺下に向けた言葉が、まるでウエストサイドホテルをダシにとっているようにも感じ、内心腹立たしさを感じた。

 しかし、自分たちが解決した事件の結果、ウエストサイドホテルの内部分裂が進み、理香までもが仕事を辞めてしまうことに強い自責の念を感じていた祥次郎にとっては、またとないチャンスであったことも事実であった。

 色々悩んだ祥次郎であったが、煙草を吸い終えると、寺下の所へ近寄り、笑顔で語り掛けた。


「わかりましたよ。正直、気は進みませんが、ウエストサイドホテルには我々も色々迷惑をかけてしまったのでね」

「ありがとうございます!では早速ですが、こちらに資料をお持ちしました。裕恒さんの死亡に至る経過と、周囲の人達の証言をまとめたファイルです。これしか資料がないのですが、疑問点などがあればお伝え下さい。私どもも分かる範囲ですが、お答えします」

「何だよ、もうこの俺が受けると考えてそこまで準備してきたわけ?」

「いえいえ、もし受けていただけるなら、出来るだけ早く動いていただきたいと思いましてね。社長も、真実を知りたい一心なんですよ。我々が気後れしてしまう位なんですよ」

「はあ……でも、期待しないでほしいね。正直、探偵はバーテンダーの副業としてやってるだけだから」


 祥次郎は額に手を当て、やるせない気持ちで一杯だったが、その気持ちを知ってか知らずか、野口が微笑みながら祥次郎に語り掛けた。


「それでもいいんですよ。どうにか、チャンスを頂いたんですから。あなた方、特に秋音さんの熱い気持ちに心を動かされましてね。私としても出来る限り自分の持つ人脈を生かして、エクセレントグループの皆さんに吸収合併を考え直してもらうにはどうしたらいいか、あちこち当たってみたんです。その結果、紹介されたのが寺下さんなんです。寺下さんは、すぐ社長に掛け合って下さったんですよ。本当に感謝しかありません」


 祥次郎は震える拳を握りしめた。

 実の兄弟である野口の言葉は、どんなに優しい言葉でも、祥次郎には尖った棘のように胸に刺さってきた。


「悪いけど、もうここは閉店の時間なんでね、これで帰ってもらえるかな?この書類は読んでおくから」


 祥次郎は、それだけ言い残すと後ろを向いて、そのまま厨房に入って行ってしまった。


「わかりました。ありがとうございます。何か疑問点があれば、名刺に書かれた連絡先にお願いしますね」


 寺下は頭を下げると、そのまま鞄を抱えて店の外へと出て行った。

 野口は秋音の様子が気になるようで、秋音の寝顔をじっと覗いていた。しばらく様子を見て、安心した様子でその場を離れ、厨房にいる祥次郎に声をかけた。


「それじゃ、私もこれで……あ、そうそう、一つだけあなたにお聞きしたいことがあったのですが」

「何なんですか?」


 祥次郎は、厨房の中でうずくまるような姿勢で、野口の問いかけに答えた。


「私の気のせいかもしれませんが……あなたには、随分遠い昔、会ったような気がするんですよね。私が、まだ子どもだった頃にね」


 祥次郎が野口の実の弟であることに、野口がとうとう気付いたのか?と思い、祥次郎は内心、相当な焦りがこみ上げた。しかし、今はまだ正体を明かしたいとは思わなかった。


「……気のせいじゃ、ないですか?」

「ああ、そうですよね。ごめんなさい、私の気のせいでした。遠い昔、一緒に過ごした兄弟に似てるなあ、と思ったものですから」


 そう言い残すと、野口は立ち上がり一礼すると、ドアを開け、先に表で待っている寺下の元へ向かった。

 祥次郎は、ドアが閉まったのを見計らい、拳を握りしめ、溜まっていたものを吐き出すかのように叫んだ。


「二度とここに来るなよ……バカ野郎!」

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