2-11 ファインプレー

 祥次郎が「メロス」に戻った時、開店時間はとっくに過ぎ、何人かの客がカウンターでグラス片手に談笑していた。

 そして、アシスタントの秋音がシェイカーを振り、カクテルを黙々と作っていた。


「秋音ちゃん、一人にさせてごめんな。今から準備するからさ」


 すると、秋音はカクテルをグラスに注ぎつつ、横目で祥次郎を睨みつけた。

 鋭い眼光に祥次郎はたじろぎ、しばらくは体が固まってしまった。

 グラスを客に差し出すと、秋音は祥次郎のシャツを片手でつまみ、引きずるかのように厨房の中へと連れ出した。


「ご、ごめんちゃい。ちゃんと行き先を説明しときゃ良かったよね」

「それも問題だけどさ、他にもあるのよ。何よこれは!?」


 そういうと、秋音は、厨房の小さなテーブルに載ったままの数冊のファイルを指さした。


「あ、これは、まあ、なんだ、日中は暇だから色々……な」

「ごまかさないで!どのファイルにも、『江坂裕恒えさかひろつね』の名前があるんですけど!裕恒って、エクセレントグループ社長の亡くなった息子でしょ?」

「まあ、そうだけど……」

「どうしてそんなファイルを、マスターが持ってるのよ?エクセレントグループに知り合いでもいるの?」


 祥次郎は、頭に何本も釘を刺されたような気分になった。

 正直、秋音には知られないまま、こっそりと進めようと考えていた。

 しかし、捜査関係のファイルを見られたうえ、秋音は簡単にはごまかせないと悟ると、苦笑いしつつも、これまでの経過を時系列で話した。


「ふーん、野口さん、私が寝てた時に来たのか。けど、まさかあの人にエクセレントグループ関係の知り合いがいたなんて!すごい!」

「まあな。でも、その前に野口さんが秋音ちゃんの真心に惹かれたんじゃない?俺だったら相手にされねえな。というか、相手にしたくはないけど」

「ど、どういう意味よ?」

「誉め言葉だよ、秋音ちゃんへのね。まあともかく、ファイルを読んで気になった所には付箋を貼り付けたから、秋音ちゃんも読んでみてくれよ」

「誉め言葉、ねえ……私は、野口さんにお礼を言いたかっただけなんだけど」

「けど、こうやってわずかながら、エクセレントグループにアプローチできる術を見つけたんだからさ。秋音ちゃん、まさにファインプレーだよ!」

「あはは……ファインプレー、ねえ」

「俺は明日も、気になるところを聞き込みして来るからね。これで、ひょっとしたらエクセレントグループとウエストサイドホテルの合併回避に道筋がつくかもしれないからさ」


 すると、秋音は真剣な表情で祥次郎をじっと見つめた。


「ど、どうしたんだよ、急にマジな顔しちゃって」

「マスター!まさか、自分だけでこの事件を解決しようとしてないよね?」

「な、何で?俺一人で行っちゃダメなのかい?」

「私、理香ちゃんが、あのまま納得しているとは、到底思えなくて……」

「ああ、理香さんか。彼女はタフそうだから、他でも十分やって行けると思うけどね」

「マスターは本当にそう思ってるの?」

「だって、昨日話した限りじゃ、ウエストサイドホテルを辞める決意は固そうだし、内心は納得してるんじゃないかって思って」

「自分に言い聞かせてるだけだよ‥…本当は、すごく悔しいはずだよ。分かる?私も同じ境遇だったら、同じことをすると思うよ!」


 そう言うと、秋音は祥次郎から視線を逸らし、後ろ向きの姿勢で、拳を握りしめた。その拳は、わずかながら小刻みに震えていた。


「秋音ちゃんの言いたいことはわかるよ。けど、この件は俺一人で大丈夫だよ。それに秋音ちゃん、今は『昼の仕事』が忙しい時期じゃないのか?」

「大丈夫よ!予備校は毎日の仕事じゃないし、この時期は私じゃなく、受験生が私から教わったことを糧に自分達の力で頑張る番だから。私は心の中で、彼らにエールを送ることしかできないし」

「もし俺がここで、一緒に来たらダメだと言ったら?」

「そうね……もしダメっていったら、今度宇都宮警部がこの店に来た時、こないだ半裸で女性客にネチネチ絡んだことをチクるからね」


 秋音が腕組みをしながら、ニヤリと笑った。


「や、やめて、そ、それだけは!頼む!」


 祥次郎は慌てて秋音の手を握ると、子犬のようなつぶらな瞳で切実に訴えた。


「今度は二度目かな?いや三度目かも?さすがの宇都宮刑事と言えど、今度は許しちゃくれないわよ」

「そう、そうなんだよ!だから、ね?お願い!秋音ちゃん、今度また美味しいワイン仕入れてきたら、真っ先に秋音ちゃんに渡すからさ、ね?許してちょんまげ!」

「ちょんまげじゃないっつーの。ワインももういらないから、私を捜査に同行させてくれる?そしたら、こないだの件はそっとしておいてあ・げ・る」

「わ、わかったよ!じゃあ、そこにあるファイル、ちゃんと読んでおいてくれる?結構分厚いから読むのに時間がかかるけど」

「は~い!じゃあ、仕事終わったらじっくり読ませてもらうからね」

「まったく……本当は、秋音ちゃんを巻き込みたくないんだけどな」


 祥次郎は煙草に火を灯すと、目を閉じて何度か吸いながら、怪訝そうな表情を浮かべた。


 □□□□


 翌日、茅場町のオフィス街、祥次郎と秋音は着慣れないスーツ姿で、多くのビジネスマンが行き交う歩道を歩いた。


「一度夜の仕事を始めると、こういうかしこまった場所は苦手になっちゃうんだよなあ」

「それは私も同じですよ!久しぶりだなあ、こんなカチっとしたスーツ着こんだの」


 やがて二人は、天まで届きそうなほどの高いオフィスビルに突き当たった。


「このビルの中に、寺下法律事務所がある。なかなか名が知れた弁護士みたいだね」

「そ、そんなすごい人が、マスターに依頼してきたんだ」


 エレベーターを降りると、ガラス張りの小奇麗なエントランスが真正面に見えた。


「ここみたいだね」


 祥次郎がそう言うと、受付の女性に名刺を見せ、早速応接室に通してもらった。


 ソファーに腰かけても、二人とも緊張のあまり身動できず、無言のままじっと待ち続けていた。ようやく寺下が応接間に姿を見せたのは、祥次郎たちが事務所に着いてから十分以上過ぎた頃であった。


「お待たせしました。ちょっと先客との相談が長引いてしまい、すみませんでした」

「いえいえ、こちらこそ、急におしかけてしまって、ごめんなさいね」

「いや、我々こそ、アポイントなしであなた方のお店に押しかけてしまって、申し訳なくて」

「あ、そうそう、今日はうちの助手を連れてまいりました。関口秋音といいます。普段は私の店で一緒に仕事しているんですが、探偵としても、私の有能な助手としてがんばってくれています」

「はじめまして、関口といいます」

「ああ、あなたが、野口さんにウエストサイドホテルの合併中止を依頼された方ですかね?」

「そうです。失礼ですが、野口さんのお知り合いでしょうか?」

「ええ、私はエクセレントグループの顧問弁護士でして、以前、他の仕事で付き合いがあった野口さんから、エクセレントグループとウエストサイドホテルの合併中止ができないかって話があったんですよ」

「すごい、野口さん、エクセレントグループに知り合いがいたんだ!さすがだわ、あの方」

「野口さんは、企業合併の仕事を長らくやってるんで、私どもも他の企業を吸収合併した際、大変世話になりましてね。私もさすがに断りにくくて」


 寺下は苦笑いをしながらも、目はしっかり祥次郎と秋音から全く逸らしていなかった。むしろ、二人のしぐさや表情を、しっかり観察しているように見えた。


「ねえ弁護士さん、私の友達が、今回の合併で今まで長く勤めてきたウエストサイドホテルを辞める決意をしたんです。他の社員も続々辞めているみたいで……何とか今回の合併は避けられないのでしょうか?」

「いや、何とかなるかどうかは社長の判断です。社長にこの件については相談済みなのですが、社長から条件を提示されましてね」


 そう言うと、寺下は以前祥次郎に話した、社長の息子・裕恒の死が病死かどうか、確認してほしいという依頼を秋音にも話した。


「そ、そんなの、どうやって調べるのよ?そういうのは警察の鑑識とかの仕事じゃないんでしょうか?」

「いや、警察もそして我々も、あの手この手を尽くしたものの、結果的に病死という判断は覆りませんでした」

「そうなんですか」


 秋音は、途方に暮れた表情を見せたものの、再びまなじりを上げた。


「でも、私たちも探偵の端くれです。出来る限りのことはやります!そして、私の友達に、もう一度ウエストサイドホテルに戻ってほしいんです!」


 秋音は、拳を握り、目を見開いて寺下に訴えるかのように話した。

 しかし、寺下はこの件については全く口を開かず、じっと秋音の表情を見つめていたままであった。

 その時、祥次郎はカバンから裕恒に関するファイルを取り出し、寺下の目前に提示した。


「寺下さん、私、ファイルを読んだり、知り合いに聞きこみしたくらいで、まだきちんと確証を得られたわけじゃないんですがねえ。裕恒さんの病死の件は多分……第三者が絡んでる可能性、とても高いと思いますよ」

「!?」


 その瞬間、寺下は表情に冷静さが無くなり、口元を押さえ、大きな驚きを見せていた。

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