1-17 約束

 宇都宮は、部屋の鍵を持ったまま、祥次郎に近づき、肩をポンポンと叩いて白い歯を見せた。


「鍵は?どうしたんですか?」

「ああ、これか。ここのホテルの社長をしている江坂丈明さんから取り返したんだ」

「え?」


 すると、宇都宮と一緒に来た刑事が説明を始めた。


「たった今、江坂社長を事情調査のため警察署に同行してもらいました。粗悪な美術品を不当な金額で売買した容疑で」

「え?どういうこと‥ですか?」

「こないだ署に同行してもらった池沢理香さんと佐久間麻友さんから、色々事情を聴きましてね。最初は池沢さんが犯人と睨んでいましたが、あなた方が示してくれた証拠の検証、池沢さんと佐久間さんからの事情聴取、そして盗まれたというアズレージョの鑑定もしました。このアズレージョは、ポルトガルの現地美術商から買ったそうですが、この美術商が粗悪なレプリカを作って世界中に流通させている悪質行為で現在告発を受けておりましてね。それにこの美術商、世界中で同様の行為を行っている美術商と連携しているそうで、江坂社長自身もオークションなどを通して粗悪品を高額で売りつけたりしているそうです」


 祥次郎と秋音は、唖然としながらその説明に聞き入っていた。


「アカウントを調べたんですか?」

 秋音は、ホテルのアカウントは役員しか使えないことを思い出した。


「ええ、ホテルから資料の提供があったので、調べました。その結果、ウエストサイドホテルのオークションアカウントはほとんどが美術品のやりとりで、その中には、不当に高い金額で最低落札価格が設定されていたものもありました。そして、美術品のほとんどは、先程申し上げた粗悪レプリカでした」


「よりによって、自分で自分の首を絞めてしまったようだね」

 祥次郎は、しょうがないなあと言わんばかりの表情でつぶやいた。


「こいつが、オークションの結果だ。相当荒稼ぎしていたみたいだな」

 宇都宮が、ホテルのアカウントのオークション一覧を二人に見せた。


「すごい、落札額が百万円下らないものばかりだね。でも、こないだ控室に飾られていた美術品を見た限りじゃ、確かにあのホテルにはそぐわないけど、そんなに高級そうには見えなかったけどね」

 祥次郎は、一覧をじっと目を凝らして見つめながら、つぶやいた。


「ねえ、理香さんと佐久間さんは、もう事情聴取は終わったの?」

 秋音は、宇都宮にこれまで事情聴取のため警察署に同行させられていた二人のことを尋ねると、

「ああ、もう自宅に帰したよ。悪かったね。何日間も付き合わせちゃって」

 宇都宮は、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。


「ところで、宇都宮刑事、我々との約束、もうお忘れですか?」

 祥次郎はニヤリと笑うと、宇都宮は思い出したのか、明後日の方向を見て指でこめかみのあたりをいじりながら、涼しい顔で答えた。


「ああ、そうだったな。池沢さん逮捕のタイムリミットまでに、証拠を出すことが出来たら、罰ゲームをするんだったっけ?約束したんだから、守らないとね。で、その罰ゲームとは?最初にお断りしておくが、我々は警察官なんだ。警察の名前を汚すようなオファーなら、お断りするぞ」

「そうですな……本当ならば、駅前で上半身裸になってもらって、ネクタイを締めて、ハンドマイクを持たせて『私は私は警察です!皆さんの生活の安全を、愛を込めて力いっぱいお守りします!』と叫んでもらおうと思ってたんですがね」

 祥次郎は、ニヤリと笑って宇都宮の顔を指さし、罰ゲームの内容を告白した。


「だ、だから、そういう警察の名前を汚すような罰ゲームはダメだといっただろ?もっと違う内容にできないのか?」

 宇都宮の顔からは先ほどまでの余裕の表情は消え、血の気が引いているようにも感じた。


「いえ、約束は約束ですぞ。まあ、今回はあなたに助けてもらったので、とりあえず、半分はチャラにしましょう」

「は、半分?残り半分はどうするんだ?」


 祥次郎は笑いながら、宇都宮にゴニョゴニョと耳打ちすると、宇都宮は床にひれ伏し、

「ご、ごめん、二度とやらん。だから、許してくれ。な?ショウちゃん。今度、ブランデーを店に入れるから、それで堪忍して。な?」

 といい、半泣きの表情で頭を下げた。


「いいですよ。さ、お仕事があるんでしょ?どうぞお帰り下さい」

 と祥次郎が言うと、宇都宮は、うつむいたまま無言で部屋を出て行った。


「な、何を言ったの?」

 秋音は、宇都宮の突然の豹変に驚きつつ、祥次郎に顔を向けた。


「さあ?それが何なのかはナイショだね。ま、宇都宮刑事とは開店以来の長い付き合いなんで、その間に色々あったんだよ。借りもあれば、貸しもあるからね」


 祥次郎はそう言うと、片手を振って、足早に部屋から出て行った。


「ちょ、ちょっと待って!どこに行くのよ?マスター!」

「店だよ。というか、もうすぐ開店時間だよ。今日は色々つかれたけど、もうひとがんばりするか!な、秋音ちゃん」


 祥次郎と秋音が「メロス」に戻ると、ドアの前に、一人の男性が立っていた。

 ダウンジャケットを着込み、姿勢が良くやや白髪交じりの男性の横顔は、二人とも見覚えがあった。


「あれ?支配人さん?」

「そうです。重田です。こんな早い時間に来ちゃって、すみません」


 重田は、頭をかきながら、二人の前に向き直り、ニコッと微笑んだ。


「そういえば、今日は休みでしたよね?」

「そうなんです。ちょっと近くで用があったもので、その帰りに立ち寄りました。昨日、私が気分を悪くしてトイレを汚してしまったり、タクシーを呼んでくださったりして、その時のご迷惑もあるので、お礼をしたいとも思いましてね」


 そう言うと、重田は有名な洋菓子店の紙袋を祥次郎に手渡した。


「そ、そんなお気遣いは要りませんよ。トイレを汚すお客さんなんてしょっちゅうですし、私自身が汚して秋音ちゃんに怒られたことがあるし」

「マスター、後半の部分は余計だよ」

 秋音は、横目で祥次郎を睨みながら言うと、重田は口に手を押さえて笑い出した。


「と、とにかく、外は冷えますから、中にお入りください。今日は二日酔いは大丈夫ですかね?お酒は控えますか?」

「そうですね。恥ずかしい話ですが、お酒にはめっぽう弱いので」


 祥次郎はドアを開けると、重田の背中を押して店の中に迎え入れた。


「じゃあ、ノンアルコールのカクテル作りますね。手元にある果物で作ってみます」

 祥次郎はジャケットを脱ぐと、シャツを腕まくりし、冷蔵庫からグレープフルーツとレモンを取り出した。

 グレープフルーツをじっくり絞り、ジンジャーエールと混ぜ合わせ、そこにスライスしたレモンをアクセントに添え、重田の前にそっと差し出した。


「すごいですね。昨日もそうですが、何という早業。私も仕事でこういう風にパパっと対応できるようになりたいですね」

 重田は、感心しながら祥次郎の顔を見つめた。


「いや、長くやってると、頭の中に嫌が応でも知識がこびりついてくるんですよ」

 祥次郎は、重田の誉め言葉に照れながら答えた。


「美味しい!さっぱりとした酸味と爽快感があるというか。ノンアルコールでもこんなに美味しいんですね」

 重田は一口飲むと、その味に感動し、さらにもう一口、また一口とカクテルを味わいながら、余韻を確かめながら飲んだ。

 やがてグラスが空になると、重田はふっとため息を付き、頭に手を当てて目を閉じ、何かを考え、しばらくして口を開いた。


「昨日、探偵さんに自分の胸の内をわーっと話して、吹っ切れたというか。身体も頭の中もスッと軽くなったような気がするんです。自分の行くべき道が、見えた気がしまして」

「そ、そうですか。支配人さん、お酒を大分飲んでいたようだから、今日はもう昨日のことなどお忘れになったのかと思いましたけど」

「いや、自分が話したことや、探偵さんから聞かされた言葉は、不思議と記憶の片隅に残っていたんです。本当に奇跡的というか‥」

「おお、それは良かった。これで気分新たに明日から仕事できますね」


 祥次郎は、空になった重田のグラスをカウンターから取り出すと、洗いながらにこやかに語り掛けた。

 重田も、にこやかな表情で再び口を開いた。


「で、自分が守るべきものが見えた今、自分がまずすべきこととして、今日、警察に行ってきたんです。私が、どうしても見せておきたいものがあったので」

「警察?」


「警察」という言葉を耳にし、洗ったグラスを拭きとる祥次郎の手がピタッと止まった。

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