1-16 食い違い
江坂は顎を突き出し、スーツのズボンのポケットに手を突っ込み、靴音を立てながら祥次郎に歩み寄った。
「確かに、俺がすべて仕組んだことさ。けど、そのことで何か悪いことがあったのか?俺は、会社の士気を乱す人間を罰しただけのことだ。あなた方はもう調べはついてるんだろうけど、池沢理香という社員は、社長であるこの俺のやり方に、何かと不満をぶつけてくるようでね、このまま放っておいたら、せっかく赤字から立ち上がろうとする社員たちの和を乱すだけだと思ってね」
そう言うと、江坂は棚に飾ってあるペルシャ風の唐草模様で彩られた壺を持ち上げ、一呼吸し、ゆっくりと両手で撫でまわしながら、つぶやくように語りだした。
「彼女がシフトの日に、新宿のホテルに置いてあったアズレージョが盗まれたのは、俺の指示で、総務の佐久間に持ち出すよう伝えたんだ。けど、池沢にもっとホテルマンとして自覚があれば、ホテル内の美術品に常に目を見張らせて盗難を事前に防げたんじゃないか?と、俺は思ってる。俺は以前から、美術品の位置図を作って、盗難にあわないよう、常に確認するように指示してきた。今回もその指示をきちんと守っていれば、こんなことは起きなかった。俺の運営方針に文句を言う前に、自分の仕事をしっかりやってほしいもんだね」
そう言うと、江坂は、壺を撫でながら、不気味な笑い声を上げた。
「果たしてそうでしょうか?確かに池沢さんは、あなたの指示を守らず、館内の美術品に常に目を見張っていなかったかもしれませんが、この件の問題点は、池沢さんと雰囲気の似ている佐久間さんを使って盗みをさせ、それを池沢さんの単独犯として、ホテルから警察に訴えたことです。池沢さんは、無実の罪で、危うく逮捕されるところだったんですよ」
祥次郎は、江坂の背後で、冷静に訥々と反論した。
「探偵さんは、ウエストサイドホテルの現状を知ってるでしょ?」
江坂は笑いながら、祥次郎の方を振り向きもせず話を続けた。
「赤字を抱えてて、倒産寸前だったんですよね?」
「その通り。その窮地から立て直すために、この俺がウエストサイドホテルにやってきたわけ。親の経営するホテルが、資金を全面的にバックアップしてくれて、何とか、少しずつだけど、建て直す目途がついてきたんだ。あとは、社員が士気を持って、一丸になって仕事に取り組んでもらうことが、何より大事なんだよ。そんな時に、俺のやり方が気に入らない云々言ってる場合だと思うか?身の程をわきまえろと言いたいわけ」
「けど、卑劣なやり方で追い込むのは違うんじゃない?池沢さん、何よりこのホテルでの仕事が好きだって言ってたわよ。そんな人を、あなたの意に沿わないからという理由だけで、
ソファーに座って、二人のやり取りをずっと見ていた秋音が、居てもたってもいられず、立ち上がって、拳を握りしめながら叫んだ。
しかし、江坂は微動だにせず、ニヤニヤと笑いながら言い返した。
「苛めた?誰が?まさか、この俺が?」
「違うわよ、あなたの部下の、重田支配人にやらせていたんでしょ?」
すると、江坂はお腹を抱えて大笑いした。
「重田が苛め?バカを言うのもいい加減にしろよ!重田には、お前の部下が会社のルールを守らず、不満ばかり言ってるから、ちゃんと指導しろとは言ったけどな」
「指導?本当に?あんなに優しい支配人が池沢さんを怒鳴ったり、女性一人で夜勤させたりできるのかしら?あなたは、細かい所まで支配人に指示しているはず。支配人は真面目な人だし、このホテルを守りたいと強く思っていたから、あなたの言うことを逐一全てやり遂げてきただけ。とぼけるのは大概にしてよ」
秋音の必死の訴えを聞いて、江坂の笑い声は益々大きくなった。
秋音の言葉は、途中から、江坂の笑い声の中に次第にかき消されていった。
「まあ、俺が池沢をこの会社から追放しようと色々仕組んだことは認める。が、俺がそこまで指示したという証拠は残ってるのかい?重田や池沢から聞かされた話だけなのか?」
「目に見えるような証拠はない。ただ、彼らの言葉は真実だと思う。重田さんと池沢さんの話は、大体一致するし。ゴルフ場に転籍になった坂口さんも、高崎に転勤になった佐久間さんも同じような話をしていたし。これだけ話が一致しているのに、それを疑うだなんてできないわよ」
「それが証拠?仮に、あなた方が警察にこの話を持って行っても、今の俺と同じことを言われるぞ?俺が指示したという証拠が具体的に出せなければ、あなた達が今言ってることは、俺に対する名誉棄損になるというのは、分かってるんだろうな?」
秋音は、何も言い返せなくなってしまった。
証拠を出せと言われたら、何も出すことが出来ない。
「重田も池沢もそうだったけど、このホテルに勤めてる人間がみんな口々にいう言葉がある。それは『このホテルの仕事が大好きだ』という言葉だ。ホテルの仕事が好きだから、累積赤字による経営破たんは何としても防ぎたいそうだ。俺の親は、当時の社長や、社員たちのその強い気持ちを汲んで、支援することを決めたんだ。俺は、親から言われて、このホテルの社長を任された。俺はここに来るまでは、ホテルの仕事なんて馬鹿にしていた。世界の美術品を探し出す旅を続けていた方が楽しかった。でも、ここに来て、その意識も変わった。このホテルを守らないといけないと、そのために、出来ることは何でもやろうと思ったんだ」
江坂は、壺をそっとテーブルの上に置くと、窓を見つめながらつぶやいた。
「でも、池沢さんを反乱分子扱いするのは違うんじゃない?彼女は言ってたわよ。このホテルが好きであるがゆえ、社長にじかにホテルの抱える問題点を伝えたかったと。今以上にお客さんに来てもらえるホテルにするためには、まずは働く人間がもっと働きやすいホテルにしたいと思ったんじゃないかしら?」
秋音は、江坂の後ろに立ち、訴えかけるように話した。
「へえ、彼女にもそんな気持ちがあったんだね。単にこの俺を追放したがってたようにしか、見えなかったけどね」
そういうと、江坂は少しだけ後ろを振り向き、秋音の方に少しだけ歩み寄った。
「池沢さんだけじゃない。坂口さんに移籍を告げた支配人の気持ちを考えたことある?坂口さんと佐久間さんの無念の気持ち、わかる?何が社員の士気を高めているのよ?何が社員の気持ちを一つにしているのよ?あなたは、ホテルの社員の気持ちをもてあそんでるだけよ。そして、このホテルを立て直そうと一丸になって頑張ってる社員をバラバラに引き裂いているだけ」
秋音は、歩み寄る江坂に向かって、次々と言葉をぶつけた。
「あなたは随分失礼な人間だな。大体、警察でもないのに俺たちの会社を勝手に調べて、引っ掻き回して、社員たちを混乱させているのは、他ならぬあなた方だろう?さっきから聞いてりゃ、好き勝手なことばかり言いやがって。おい、内田さん。この人達を警察に引き渡してくれないか?これ以上好き放題させるのは、うちのホテルにとっては有害でしかないからね」
すると、先程社長室へ案内した内田が、同じ課内の男性社員を二人連れて社長室に入って来た。
男性社員達は、それぞれ祥次郎と秋音の腕を掴むと、力ずくで社長室から引きずりだした。
「こちらの部屋へどうぞ。警察が到着するまでお待ちいただきますので」
内田がそう言うと、二人は、男性社員達にひき連れ去られ、そのまま小さな応接室のような所に入れられると、外側から鍵をかけられて、閉じ込められてしまった。
「ひょっとして、俺たち、軟禁されちゃった?」
祥次郎は、きょとんとした顔できょろきょろしながら、秋音に尋ねた。
「そうよ。じゃなきゃ、何だって言うの?」
秋音は、憮然とした表情で言い返した。
「えーん、怖いよお。なんきんだなんて。このまま僕ら、おまわりさんに逮捕されちゃうの?」
祥次郎は、突然目を潤ませながら、子どものように秋音に泣きすがった。
「き、気持ちが悪い!この期に及んでそんなバカなことやれるわけ?その神経が信じられないわよ!」
その時、扉が突然ガチャという音を立て、中に頑強な男性が一人、コツコツと靴音を立てて入り込んできた。
「あれ?あなたは、宇都宮刑事?」
「ショウちゃんか?よりによって、ここにいたとはね。どうしたの?年甲斐もなく涙なんか浮かべちゃって、ええ?」
目の前に立っていたのは、警視庁刑事の宇都宮だった。
宇都宮は部屋の中に一歩足を踏み入れると、ニコッと微笑み、錠前をジャラジャラさせながら祥次郎たちに見せびらかした。
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