1-18 再生への道

 重田は、カウンターの上で肘をつきながら祥次郎の顔を見つめ、自ら警察に行った理由を語り始めた。


「社長は、個人的に美術品の収集して、ホテルの中に展示しているじゃないですか?一方で、自分の持ってる美術品をオークションで高額で売りつけているようでして、時々本部の方に苦情が来てたんです。アカウントはホテルのものを使ってましたからね。おまけに、アカウントを使える立場じゃない池沢が、盗んだアズレージョをオークションに出したという話が出ていたので、不審に思いまして。私は新宿店の支配人で、役員でもあるので、アカウントを使える立場ですから、これまでの取引の一覧表を引き出して警察に調べてもらおうと思ったのです」

「警察から聞きましたよ。社長が法外な値段で粗悪品を流していたみたいですね」

「我々も一度、社長に尋ねたのです。しかし社長は、この無機質なホテルに美術品でも飾らないと、お客様に見向きもされなくなるぞ、私はそのためにオークションでお金を確保し、そのお金で多くの美術品を購入しているんだ、と言って、一向に聞き入れてくれませんでした。そして、アカウントを使ってうちの大事な部下を陥れようとしていることを知って、大きく失望しました」

「最悪!支配人を前にこんなこと言いたくないけど、あの社長、本当に聞く耳持たずよね」

 秋音は、顔をしかめながら話に聞き入っていた。


「私はこのホテルが好きですし、ホテルの仕事が好きです。社長のやり方がおかしいと思っても、このホテルが社長のお父様の会社から融資を受けている以上、社長に文句を言わず付いていきました。でも、それももう限界だな、と思いました。私が警察にお話することで、ひょっとしたら警察は社長を逮捕するかもしれない、そして、その時には社長のお父様がお怒りになり、融資をやめるかもしれない。けど、今はそれでもいい、と思える自分がいるんです」

「どうしてですか?」

 祥次郎は、口をぽかんと開けて、重田の顔を見つめた。

 すると、重田はフフッと軽く笑い声を上げ、顔を上げ、目を大きく見開いた。


「いつか、誰かがこの状況を変えないと、このホテルは駄目になってしまう。そのためには、自分が犠牲になるしかない、と思ったのです。実際、部下である池沢や坂口、そして佐久間は自分の意思でこの状況を変えようと動いていました。私は彼らを指導する立場であるのですが、彼らを擁護できない自分がとてももどかしかったのです。でも、探偵さんは昨日、私に言いましたよね?守るべきものは『プライド』だって。本当に、その通りだと思いました。私はこのホテルの仕事に、プライドを持って取り組んでいる。だからこそ私は、まずは警察にすべてをお話することで、この悪い雰囲気を一掃し、社員の士気を高めたい。融資が仮に打ち切られても、士気を高めて力を結集すれば、乗り切っていけると思ったのです」


 祥次郎は、重田の言葉を聞くと、大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ち始めた。


「素晴らしい!あなたの行動は、きっと多くの社員を幸せにする!あなたこそが、この穢れに満ちた社会のチャンピオンだ!」


 そう言うと、祥次郎は英国のロックバンドの名曲を口ずさみながら、重田の片腕を掴み、高々と掲げた。


「マスター、やめてよ!一人でやるならともかく、支配人を巻き込んでアホな真似しないでよね」

 秋音からの刺すような一言を聞くと、祥次郎はシュンとして背中を向けた。


「このお店の雰囲気、とてもいいですね。居心地がいいというか。我々のホテルも、こういう感じでありたいですね。接客業ですから、悪ふざけはできないですけど、言いたいことを言い合える雰囲気は大切だと思いますので」

「そ、そうですか、参考になったようで、よかったです」

 秋音は、重田からの思わぬ反応に苦笑いした。


「探偵さん、今のノンアルコールカクテル、もう一杯良いですか?とても美味しいのでおかわりしたいですね」

「OK!」

 祥次郎は、顔をくしゃくしゃにして笑いながら、親指を立てた。


 □□□□


 警察の取り調べを経て、ウエストサイドホテルの社長・江坂丈明は逮捕された。

 重田が提出したインターネットオークションの結果一覧が、くしくも粗悪な美術品の国内流通と不当に高額での販売を行っていた証拠品となった。

 また、取り調べの中で、江坂は経営方針に対する意見を述べた池沢理香を排除すべく、アズレージョ盗難事件とオークション取引を仕組んだことや、その事件の裏側を知っていた坂口歩夢と、社長にアズレージョ盗難事件の犯人役を命じられ、祥次郎にそのことを告白した佐久間麻友を左遷したことも認めた。

 坂口と佐久間の件は、二人の行動を不審に思った他の社員からの通報を受けて、事件発覚を恐れた江坂が左遷人事を行ったとのことであった。

 江坂は、自分の思い通りに経営を進めるにあたり、ホテル内の美術品の管理だけでなく、会社に関する不都合な情報があれば、直接江坂に報告するよう社員に触れ回っていたようであった。

 重田が言っていた通り、江坂による徹底的な集権体制や情報管理の結果、社員が翻弄され、お互いを監視するようになり、社内の雰囲気が悪化してきたようであった。


 粉雪が舞い降りる寒い夜、秋音が白い息を弾ませて「メロス」の重いドアを開けた。

 カウンター席には、黒髪のショートボブの女性が、グラスを片手に祥次郎と話をしていた。


「り、理香さん!?」

「秋音さん!」


 後ろを振り向いた理香は、秋音の顔を見るなり、理香は椅子から降り立ち、駆け足で秋音へと近づいた。

 二人は抱擁し、久しぶりの再会を喜んだ。

 

「会いたかった!元気だった?よくがんばったね。ごめんね、もっと早く証拠を警察に出せば、もっと早く帰せてもらえたのに」

「いいのよ、秋音さん。こうしてまた会えたんだから。そして、私の無罪を証明してくれて、本当にありがとう」


 理香は、すすり泣きしながら、秋音の着ていたコートに顔をうずめた。


「会社には、戻れそう?」

「うん、社長が逮捕されて、役員人事が一新されるみたいだし、社長による不当な人事異動はすべて見直しになるみたいだから、たぶん戻れるかな?と思う」


 理香は顔を上げ、目に涙を浮かべたまま秋音に笑いかけた。


「ほらほら、涙拭かなくちゃだめじゃん。じゃ、これから理香さんの無罪とこれからの活躍を祈って、二人で飲もうか!」

「うん!飲もう!明日は休みだから、朝までOKだよ」

「俺も、明日は休みみたいなもんだから、朝までOKさ」


 祥次郎はいつの間にやら二人の間に入り込み、ニヤリと笑って親指を立てた。


「はあ?マスター、ここからは女二人でお祝いしたいのよ。マスターはあっち行って。どうせ途中で邪魔するんだろうから。何なら今夜はこれで帰ってもらえるかな?」

「ば、バカ言え、ここは俺の店だ!何で俺が帰らなくちゃいけないんだ!」

「あのさ、男の人が傍に居ると気が散ってざっくばらんな話もできないのよね。さ、帰った帰った!」


 祥次郎は、秋音に背中を押され、いつの間にやらドアの外に追いやられてしまった。

「な、何で俺が追い出されなくちゃいけないのよ?俺もまぜてよ!仲間外れは寂しいからやめて!入れてくれなければ、ここで大声で泣いちゃうぞ!え~~ん!」


 すると、ドアがギギギと音を立てて開き、秋音が顔を出した。


「ごめん、マスターのコートとマフラー渡すの忘れてた、ハイ、これ」

 そう言うと、祥次郎の手にマフラーとコートを手渡し、再びドアを閉めた。


「え?ちょっと!開けてよ!開けてってば、ねえ!」


 祥次郎はドアノブを強く引っ張り、こじ開けようとしたが、内側から鍵を掛けられてしまったようで、何度引っ張っても開かなかった。

 雪の降り方が次第に強まり、気温が下がる中、祥次郎はドアを何度も叩き、子どものように泣きわめいた。

 ドアの内側からは、秋音と理香の二人が、楽しそうに大声を上げて笑う声が響き渡っていた。


「ねえ!お願い!入れてちょうだい!ハ、ハックション!!風邪ひいちゃうだろ?開けておくれ~」


 祥次郎の必死の訴えにも関わらず、ドアは開くことはなかった。

 粉雪にまみれた祥次郎は、ドアを開けるのを諦め、コートとマフラーを羽織ると、地上へと続く階段に降り積もった雪を踏みしめながら、独り寂しくトボトボと歩き去った。

 駅前の商店街に出ると、街中にはクリスマスキャロルが響き渡り、色とりどりのイルミネーションが輝いていた。

 楽しそうに行き交うカップルや子ども達の中を、祥次郎はコートのポケットに手を突っ込み、背中を丸めて、時には周りが振り返るくらいの大きなくしゃみをして、そそくさと歩き去っていった。

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