1-5 逃走
警視庁刑事の宇都宮は
「その人ね、新宿にある『ウエストサイドホテル』の従業員なんだけど、自分の所の社長がポルトガルで買い付け、ホテルの館内に飾っていた美術品を盗んで、オークションに出した容疑が持たれてるんだ」
「オークション!?」
祥次郎は思わず腰を抜かしそうになる位、驚いてしまったが、万一、理香に何かがあるとマズイと感じたのか、平静を装い、何事も無かったかのようにふるまおうとした。
「ショウちゃんの店から出てきたの、この人だよね?」
宇都宮は、灰皿の上で煙草の火を消すと、背広のポケットから理香の写真を撮りだすと、カウンターの上に置き、祥次郎に確認を促した。
「知らんです」
「ほお、知らん?今、ショウちゃんの店から出てきたのは、この子じゃないのか?」
「いや、この子ではないですね。」
「ショウちゃんは探偵の仕事が長いから、私があえて言わなくても分かってるだろうけど、犯人隠避行為も立派な犯罪だから、ね」
「いや、だから、この人じゃないですよ」
「アハハハ、ショウちゃん、相変わらず嘘つくのがヘタだな。さ、この人について、知ってることを教えなよ。じゃないと、ショウちゃんも、犯人隠避でしょっぴかれるんだぞ」
そう言うと、宇都宮は、不気味な笑みを浮かべながら、右手で祥次郎のあごの辺りを掴み、上目遣いで祥次郎を睨んだ。
「悪いけど、この人じゃないです!ギェホ、ギェホッ」
宇都宮の手が、祥次郎の顎を締め付けるかのように掴むので、祥次郎は言葉を絞り出すたびに、強烈な息苦しさを感じた。
「そうか、わかった。ショウちゃん、昔から頑固だよなあ」
そう言うと、宇都宮は祥次郎の顎から手を離し、にこやかな表情でコートを着込み、椅子から立ち上がった。
「ただし、さっき店を出た女が逮捕された時には、あんたも警察署にきて事情聴取させてもらうからな。犯人隠避に問われることも、覚悟しておくようにね」
宇都宮はそう言いながら片手を挙げると、重いドアをギギギと音を立てつつ、表に出て行った。
カウンターでは、一人取り残された祥次郎が、苦しそうに咳をしていた。
祥次郎は、咳き込みながらも、何とかスマートフォンをポケットから取り出し、外出中の秋音に連絡を取った。
秋音は、カクテルに使用する沢山の果物と、おつまみ用のお菓子を買い込み、急ぎ足で商店街を駆け抜け、店へと向かっていた。
その時、商店街の端の方を、見かけたことのある顔の女性がフラフラと千鳥足で歩いているのを見かけた。
「あれ?理香さん?」
秋音は、女性にそっと近づくと、ショートボブの前髪が顔中にかかって見えにくいものの、見え隠れする顔の特徴から、理香であることを確信した。
「理香さん!どうしたの?そんなフラフラになって」
「あ、秋音さん?」
秋音は理香に近づくと、肩の辺りを押さえ、フラフラになって四方八方に動く理香の体を落ち着かせようとした。
「秋音さん、あなたの所のマスター、本当に頼りにならないね」
「はあ?マスターが?」
「今、あなたとマスターのお店に行ってきたのよ。アズレージョの盗難事件で、警察が動き始めたって話したら、突然私の手を握って泣き始めて、『もう私に会えなくなるのが寂しい』って。バッカじゃない?あなたがちゃんと動いて解決してたら、今頃こんな騒ぎにならなかったのに」
理香は、鋭い眼光を秋音に向けながら、大声でまくしたてた。
「まあ、マスターらしい言葉だね」
秋音は苦笑いしつつ、つぶやいた。
「でもさ。ああ見えて、結構な数の事件を解決してるんだよね。ただ、傍から見ると本気でやってるようには見えないから、すごくもどかしく感じるんだよね。私も、何度イライラして、ブチ切れそうに、いや、実際ブチ切れたことか」
「そうなんだ?あんな悪ふざけして、頼りなさそうなのに?」
「うん」
その時、秋音のコートのポケットに入っているスマートフォンが、メロディアスな着信音を立てながら、何度もブルブルと振動し始めた。
秋音は、ポケットからスマートフォンをつかみ取ると、耳にあてた。
「はい、関口です。あれ?マスターですか?」
隣にいた理香は驚いた表情で、秋音の言葉に聞き入った。
「え、警察が?そうなんですか?まだこのあたりに居るんですか?はい、わかりました。じゃあ、何とかうまく煙に巻きますんで」
秋音はスマートフォンをコートのポケットにしまい込むと、しばらく黙り込み、やがて理香の耳元で、ささやくように話した。
「理香さん、これから私と一緒に行動して。そして、私の言うことを聞いてね」
「え?ど、どういうこと?」
「警察が理香さんを、アズレージョ盗難の容疑者として捜査しているって。今はとにかく、警察に見つからないように身を隠した方がいいと思う。さ、私と一緒に来て!」
そういうと、秋音は巻いていたマフラーで理香の顔の半分を覆い、腕を理香の背中に回し、自分のコートの陰になるようにして歩いた。
周りを見渡し、自分たちを探している捜査員がの姿がいないことを確認しながら歩慎重に歩みを進めた。
商店街を出て、駅前に出ると、タクシープールにたむろするタクシーに声をかけた。
ようやく空車のタクシーを見つけ、飛び乗ると、理香と秋音はホッと一息ついた。
「理香さん、とりあえず今夜は私の家に泊まって。警察はしつこいから、何とかうまく彼らの目を逸らしていかないと」
「秋音さん、私どうしよう。警察が私の事を四六時中、見張ってそうだし」
「大丈夫、しばらくは私が一緒にいるから。」
「ありがとう、秋音さん」
「とりあえず、マスターには今夜は一人でがんばって店番してもらいましょ」
秋音の自宅近くのコンビニで二人はタクシーを降り、再び理香の身を隠すように慎重に歩みを進め、やがて三階建ての小さなマンションにたどり着いた。
「やっと着いたね。さ、このマンションの二階だから」
秋音はドアを開けると、そっと理香の背中を押し、体をドアの中に押し込んだ。
その後を続くように秋音が中に入り、そのまま鍵を締めると、二人は胸を撫でおろした。
「ふぁあ、何とか逃げ切ったね」
「ありがとう。生きた心地しなかったよ。折角テキーラ飲んで、気を紛らせようと思ったのに、酔いが醒めちゃった」
理香がとぼけたように言うと、二人は声を上げて爆笑した。
「じゃあ、もう少しお酒飲もうか?マスターから、私のご機嫌取りにもらったワインが沢山あるんだ。一緒に飲もうよ」
そう言うと、秋音は小さなワイン庫を開き、白ワイン一本を取り出した。
「すごい!ワイン庫なんて持ってるんだ」
「まあ、こう見えても、バーテンダーのお手伝いしてるし、マスターから何かにつけてワイン頂いてるからさ、それがたまりにたまって、いつの間にやら物凄い本数になっちゃって。で、どこか仕舞っておく場所が欲しくなってね」
「マスター、どうして秋音さんに、そんなにポンポンと気安くワインをあげてるの?」
「ご機嫌取りよ。私、フランスワインが好きだから、マスターが馬鹿やって私がイラっとした時とか、マスターが『これ飲んで、機嫌直してちょんまげ』って言うのよ」
「ちょんまげ!?アハハハ、バカみたい。ますます火を注ぐようなこと言ってどうするのよね」
秋音がワインをグラスに注ぎこみ、理香に渡すと、軽くグラスを合わせ、乾杯した。
「あ、すごく美味しい。酸味があってさっぱりして、何杯でもいけそう。ねえ、このワインはマスターが選んでくるの?」
「そうよ。私ワイン好きで、自分で買って飲むことがあるけど、マスターが選んでくるのは、やっぱり飲みごたえがあるんだよなあ。こういう所は、すごく尊敬できるのになのに」
「あまりにもおバカ過ぎる!ってこと、かな?」
「ピンポーン!」
秋音と理香は、ワインを飲みながら時間を忘れて話に花を咲かせた。
やがて、ワインの瓶は空になり、秋音は別なワインを持ってこようと、立ち上がった。
その時、理香はワイングラスを片手で揺らしながら、ささやくような声で秋音に話しかけた。
「秋音さん。私、社長を許せなくて」
「社長?」
その後理香は、秋音から顔を背け、重苦しそうな表情をしながら、自分が勤めるホテルについて、訥々と話を始めた。
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