1-6 守ってあげたい

 秋音は、空になったワイン瓶をテーブルに置くと、理香の隣に座り、膝を突き合わせて彼女の言葉に聞き入った。


「社長って?どうして社長が?」

「そうよ。今の社長が来てから、私の勤めるホテルがおかしくなり始めたの」

「何があったの?」

「私が入社した時、ウエストサイドホテルは創業者が経営してたんだけど、経営が悪化して、国内外のリゾートホテルを手掛けるエクセレントグループに買収されたの。今の社長は、エクセレントグループの御曹司よ。彼が来てから、みんなおかしくなり始めたの」

「エ、エクセレントグループって、ミシュランの格付けでも星が付くほどの世界的なホテルグループじゃん。海外各国の政府高官とかも泊ってるホテルでしょ?」

「そう。でも社長は、経営なんてほとんど無知に近いわ。社長のお父さんが、将来自分のグループを継がせるまでの修行先として、うちのホテルに置いてるだけ。でも、負債の返済で面倒見てもらってるから、誰も社長の文句を言えなくって」

「そうなんだ」

「社長は、うちのホテルに来るなり『こんな無機質なホテルじゃ、そこらのビジネスホテルと大して変わらんぞ!』って言って、自分が買い付けた美術品を飾るようになったの。そして、美術品を飾るだけじゃなく、その管理を徹底してやるように指示してきてね。本来のホテル管理の仕事よりもそっちが優先になってきちゃって」

「確かに美術品の位置図作りとか、見回り点検とか、監視カメラとか、ただ事じゃないようね」

「傍から見たら、こんなバカげたことに時間も労力も費やしてるのが滑稽に見えると思う。私も正直耐えかねて、社長がうちのホテルに視察に来た時、直接意見を言ったことがあったの」

「社長に直談判したんだ?」

「『美術品をこんなに沢山ホテルに飾って、経営上どういうメリットがあるんですか?経営を改善させるためには、多くの方に利用してもらえるよう、多角的に見直しを図ることが先決じゃないですか?』ってね」

「ええ~!そこまで、言っちゃったんだ。まあ、正論ではあるけどさ」

「そしたら、社長は鼻で笑って、美術品のすばらしさを延々と説いて『君は若いから、まだその良さを理解できないんだろうな』とだけ言い残して、帰っていったの。でもね、問題はそこからだった」

「そこから?」

「うん、会社を挙げてのイジメが始まったの……私に対して」


 その後理香は、これまで受けた壮絶ないじめの数々を、延々と話してくれた。

 特に、支配人である重田から受けたいじめが酷く、夜間シフトは女性一人だけにすることはないものの、理香の場合は一人で対応させられたり、ホテル管理について少しでもクレームが付くと、上司が誰も同行せずに一人で対応させられたり、おまけに理香が単身で起こしたミスとして無理やり始末書を書かせられたり……。

 会社の総務にも一連のいじめについて相談したが、取り合ってもらえず、それどころか、無断で相談したことについて、重田から厳重注意を食らったこともあったらしい。


「ひどい。いや、ひどいってもんじゃないね。そりゃ、テキーラをヤケ飲みしたくなるわね」


 秋音は、ため息を付きながら理香の顔を見つめた。

 理香はすべて話し終わると、膝を抱えたまま泣き出した。


「私は小さい頃からホテルマンの仕事にあこがれててね、就職活動した時には、このホテルの創業者の経営方針に惹かれて入社したんだ。けど、今は経営が社長の独りよがりになっていくだけだし。だから私は、意を決して社長に直談判したの。もちろん、首を切られることも覚悟だった。ただ、自分の勤めるホテルを、少しでも良くしていきたい、その一心だった」


 秋音は、理香の体を抱きしめると、理香は秋音の胸のあたりに顔をうずめて嗚咽した。


「大丈夫だよ。うちのマスターが、絶対に解決してくれる。だから、もう少しだけ、辛抱してくれるかな?」

「あのおバカなおじさんを?本当に信じていいの?」

「彼は、このけがれた世の中のチャンピオンだから。お酒が入ると、いつも私にそう言ってるわよ」

「やっぱり信じられない。そんなふざけたことを言う人には任せられない」

「私も最初はそう思ったんだ。でも、ああ見えて、やるときゃやるタイプなのよねえ。私もマスターと出会ってまだ三年だけど、未だに考え方や行動が読めなくてさ」


 秋音が泣きじゃくる理香を抱きしめるうちに、秋音の胸の中で、スウスウと鼾を立てて寝始めてしまった。

 秋音もワインの酔いが回ってきたのか、少しずつ意識が遠のき、そのまま眠りについてしまった。


 翌朝、まぶしい朝陽がカーテンの隙間から差し込み、秋音が目を覚ました。


「ああ、いつの間にか寝ちゃった……結構度数高いワインだったな。でも美味しいワインだったよね、理香さん。あれ?理香さんは?」


 昨夜、秋音の胸の中で眠りについていたはずの理香の姿は無かった。

 秋音は慌てて部屋中を探し回ったが、既にその姿を確認することはできなかった。


「一体、どこに行ったの?外には警察がうろついてるかもしれないのに。」


 その時、ダイニングテーブルの上に、二個のワイングラスと、飲み終えて空になったワイン瓶、そして、メモ用紙をちぎって書かれた書置きがあるのを見つけた。


『昨日は本当にありがとう。秋音さんのお蔭で一晩身を隠すことができたし、自分の本当の気持ちを誰かにすべて話すことが出来て、スッキリしました。けど、いつまでも逃げることはできないし、私はこれから警察署に行き、自分の潔白を証明しようと思います。ごめんなさい。 池沢理香』


 秋音は書置きを握りしめると、部屋着のスウェットの上にダウンジャケットを羽織り、マンションのドアを開けた。階段を下り、玄関を出ると、そこには黒いコートを羽織った図体の大きな男がニヤニヤと笑いながら立っていた。


「やあ、秋音ちゃん。お久しぶりだね」

「宇都宮刑事!?」


 秋音は、まさかという表情で辺りを見回したが、既に理香の姿は見当たらなかった。


「宇都宮刑事、何の用?今日は飲みじゃなくて、お仕事でここまで来たの?」

「まあね。しかし、池沢さんの後をずっと追って来たら、よりによって秋音ちゃんの自宅だったとはね」

「じゃあ、ここでずっと待ち伏せしてたってわけ?」

「その通り。池沢さんが出てくるまで、ここでずっと待ってたんだ」


 宇都宮は煙草に火をつけ一服すると、寒そうに体を震わせ、咳き込みながら煙を吐き出した。


「宇都宮刑事、池沢さんがどこに行ったか知らない?」

「どこに行ったかって?彼女が部屋から一人で出てきたから、そのまま警察署まで任意同行してもらったよ」

 宇都宮は、当然と言わんばかりの態度で、呆れ顔で秋音を見つめながら返事した。


「えええ!任意同行?じゃあ今は、警察署に?」

「そうだよ。池沢さんの勤めてるホテルから、美術品が盗まれ、オークションに出されたっていう被害届が出てるんだ。今のところは彼女が一番、疑いがかかってるわけでね。ただ、証拠が十分じゃないのでね。だから、我々としては、彼女のアリバイを確かめておきたい。そんなわけで、逮捕じゃなく、任意同行ってことにしたんだ」

「もし、証拠が出揃ったら?」

「そりゃ、即効で逮捕しかないな」

「じゃあ、何も証拠が出なかったら?」

「嫌疑不十分で、釈放かな?」

「わかりました。じゃあ私たちは、彼女を救うため、徹底的に調査させていただきますからね。彼女は、あのホテルを誰よりも愛してる人ですよ。私は彼女を守るから。いや、絶対守り抜くから!」

「ほほう、秋音ちゃんも、ショウちゃんと同じだね。まあいいや、やれるもんなら、やってみたまえ。その代わり、十分な結果が得られず、逆に彼女が犯人だという証拠が出揃ったら、彼女は逮捕されることになる。その時は、彼女を匿ったあなたとショウちゃんは、犯人隠避で罪に問われることになる。ま、がんばりたまえ」


 そう言うと、宇都宮は秋音の肩を叩き、足早にその場を去っていった。

 秋音は悔しい気持ちで一杯だったが、これ以上警察を煙に巻こうとするのは却って理香につらい思いをさせるだけだと思い、諦めてトボトボと部屋へと戻った。

 テーブルの上に残されていたグラスを片付け、シンクの中で洗うと、ワイングラスを揺らしながら、伏し目がちにやり場の無い思いを語っていた理香の顔が、秋音の目の前に再び蘇ってきた。


『自分が守らなくちゃ、他に誰が彼女を守ってくれるんだろう?』


 そう強く思った時、秋音はグラスを洗う手を止め、慌ててポケットの中を探り、スマートフォンを取り出すと、祥次郎へ電話をかけた。


「マスター、おはようございます。突然ですが、これからちょっとお話があるんです。そちらに行っていいですか?え、まだ寝てた?こんな大事な時に、何寝てるんですか!?今すぐ行きますから、起きて待っててくださいね!」


 秋音はため息をつきながら電話を切り、スマートフォンを閉じると、大急ぎで着替え、昨日店に持ち込む予定だったお菓子と果物を片手に「メロス」へと向かった。

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