1-4 一件落着?

 祥次郎と秋音、そして重田と理香は、一階の奥にある障がい者向けのトイレに入った。トイレの正面には、コルク地の壁画に青と白の二色で描かれたアズレージョの絵が飾られていた。重田は、早速持参した美術品の配置図と写真をもとに、この絵が控室にあったアズレージョと一致するかどうか確認した。


「間違いありませんな。これは、控室にあったものと同一です」

 重田は、細部まで何度も確認し、控室にある絵と同一であることを認めた。


「え?これが?何でこんな分かりやすい場所に?」

 秋音は、あっけない結末に、大きな驚きを見せた。


「ここは普段、ほとんど利用者がおりません。ほかのトイレが混みあう時間帯や、おむつ替えをする方などが利用することがある位です。我々社員のトイレは、別にありますんでね」

 重田は、手袋を身に着けて、アズレージョを慎重に壁から外した。

 アズレージョには、農繁期の農村の様子が青と白の二色で丁寧に描かれており、素人では描くことが難しい重厚さと繊細さがあった。


「探偵様、すごいですね。この場所をよくぞ突き止めてくれました。ひょっとしてここにあったのをご存じだったのでしょうか?」

「い、いや。たまたまですよ」


 祥次郎は、まんざらでなさそうな顔で照れ笑いしながら答えた。


「さすがは探偵様ですね。このことは社長にも報告しておきます。お礼は後で十分させていただきますよ」


 重田は、にこやかな表情で祥次郎に向かって一礼した。


「ねえ所長、これって、素直に喜んでいいのかしら?」

 秋音は、複雑そうな表情で祥次郎に耳打ちした。


「ば、馬鹿いえ、とりあえずは解決したんだから、それでいいじゃないの。ここは素直に現実を受け止めようよ」

 祥次郎は慌てながらも、毅然とした表情で言い返した。


 アズレージョを無事に元の場所に戻すと、重田は早速社長に電話を入れた。


「後で社長が確認にくるそうです。とても喜んでいらっしゃいましたよ。これにて一件落着ですね」

「わかりました。じゃあ我々は、事務所に戻ります。さ、行こうか秋音ちゃん」

「は、はい。じゃあね、池沢さん」


 秋音は、苦笑いしながらも、理香に手を振った。

 理香は、あまりにもあっけない結末に、何とも言えない様子であったが、とりあえずはホッとした表情で、にこやかに手を振り返してくれた。


 その晩、祥次郎は、いつものように「メロス」の営業を始めた。

 秋音は買い物に出かけており、祥次郎は一人でカウンターの中で作業をしていた。

 祥次郎が大ファンである英国のロックバンドの曲が、室内に大音量で響き渡っていた。祥次郎は、時々口笛を吹いたりフレーズを口ずさんだりしながら、黙々と準備を進めていた。

 その時、重いドアがギギギと音を立て、少しずつ開きはじめた。


「マスター!今日も強いお酒、ある?」


 そこに現れたのは、池沢理香だった。

 前髪が顔中に覆いかぶさり、近寄りがたい雰囲気を作りながら、理香はカウンターの前に腰かけた。


「え?今日は無事に事件解決したじゃないですか?なんでまた、強いお酒を?」

「うるさい!何が解決よ!全然解決してないわよ!」

「え?どういうことですか?」


 理香は、カウンターに顔を突っ伏し、大声で泣き始めた。


「さっき、本部から社長が来たのよ。そして、トイレにあったアズレージョを見てたとたん、物凄い剣幕で怒り始めたのよ。『これは私が買いつけてきたものとは違う!お前の目は節穴か!』ってさ」

「じゃあ、あれはニセモノということ?」


 祥次郎は、メキシコから直輸入したテキーラをグラスに注ぎこみながら尋ねた。


「そうなんだって、ニセモノだったんだって」


 理香はカウンターから顔を起こすと、グラスを手にして、一気にテキーラを喉へと流し込んだ。


「それは理香さんの目が節穴じゃなくて、私どもの目が節穴だったんですよ。本当にごめんなさいね」


 祥次郎は、深々と頭を下げた。


「いいのよ、最初からそんなにあてにはしていないから。はい、おかわりお願いね」


 理香は上目遣いで祥次郎を睨むと、空になったグラスを差し出した。


「以前ここに来た時、館内に警備カメラが付いているって言いませんでしたっけ?」

「うん。あるわよ。アズレージョの盗難が分かった後、録画内容を確認したけど、不審な人影も何も映っていないの」

「じゃあ、トイレにあったアズレージョは?あれは元々、あの場所にはなかったんでしょ?」

「そうよ。配置図を見たけど、あそこにはアズレージョはおろか、美術品なんて何にも置いていないし。マスターがトイレに入った時には、置いてあったの?」

「そうですね。私が入った時にはありましたよ。」


 理香は、怪訝そうな表情でうつむくと、両手で顔を押さえた。


「あ~~もう、どこの誰がやったのよ?ましてや私たちをけむに巻くような真似をして、一体何のつもり?」


 祥次郎は目を瞑り、しばらく考え事をした後、理香の背中をポンと叩くと、ニコッと笑いながら語りだした。


「理香さん。さっき私がトイレで見た、ニセモノだというアズレージョ、今はどこに置いてあるんですかね?」

「ああ、確か支配人が警察に持っていったわ。悪質ないたずらだって言って。控室のアズレージョの件も、社長の命令で被害届出すって」

「警察?」

「そうよ、だからもう、マスターの出番はないかもよ」

「ええ?じゃあ、もう理香さんに会えないの?そんなのイヤだ。ボク、さみしいっ。ね、また会いに来て。それともボクが会いに行こうか?」


 祥次郎は、子犬のようなつぶらな瞳で、理香の手を握って何かを懇願するかのような表情で訴え続けた。


「やめてよ!何、この変態オヤジ。私は今、真面目に話をしてるのに、自分の疑いを解きたくて真剣に依頼してるのに。今日はもう帰る!」


 そう言うと、理香はバッグを掴み、そそくさと椅子から降りて、店の外へと出て行った。


「俺の出番はもうこれっきりか。ここからが本領発揮なのに、何だか寂しいなあ」


 祥次郎は深くため息を付くと、理香の飲みかけのテキーラの入ったグラスを下げ、シンクで洗いながら、再度ため息をついた。

 その時、重いドアが音を立てて開き、黒いコートを着込んだ初老の男性が、靴音を立てて店の中に入ってきた。


「ショウちゃん。ひさしぶりだな!」


 男性は、笑みを浮かべながらコートを脱ぎ、それを抱えたまま椅子に腰かけ、カウンター越しに祥次郎に話しかけてきた。


「あれ、宇都宮うつのみや刑事?久しぶりですねえ。どうしたんですか、今日は」

「この辺りをぶらぶらしていたら、ここに辿り着いちゃってね。アハハ、たまには美味しい酒でも飲もうかなって」

「ええ?でも、今はまだ仕事中なんでしょ?ダメじゃないですか」


 宇都宮晋(すすむ)は、警視庁のベテラン刑事である。沢山の難事件に取り組み、解決させてきた実績がある。祥次郎とは仕事上、ライバル関係にあるが、「メロス」が開店した時からの常連であり、仕事が一段落すると、ふらりと飲みに来ることもある。


「今日は本当に、飲みに来たんですか?見た感じ、まだ仕事してるって感じしますけど」

「あはは。ショウちゃんにはウソはつけないな。実は、さっきからこの辺りを張り込んでいてね。美術品盗難の容疑者と睨んでいる女が、このお店からさっき出ていったのを目撃したんでね」

「よ、容疑者?」


 宇都宮の口から「容疑者」という衝撃的な言葉を聞き、祥次郎の顔から笑顔が消え、グラスを洗っていた手が全く動かなくなってしまった。

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