1-3 謎の部屋


 翌日、祥次郎は、秋音とともに「ウエストサイドホテル新宿」を訪問した。

 祥次郎はツイードのスーツに蝶ネクタイをまとい、丸い縁の眼鏡をかけて、まるでイギリスの推理小説に登場する名探偵のようないでたちであった。

 秋音は、グレーのスーツに黒ぶちの眼鏡をかけて、仕事ができそうな雰囲気のアシスタントという感じのいでたちであった。

 入口のロビーで待っていると、理香と同じショートボブの髪型をした女性が二人を迎えてくれた。


「あれ、池沢……理香さん?」

「いえ、私は総務の佐久間麻友さくままゆと言います。池沢ですか?今呼んできますからお待ちくださいね」


 佐久間は二人に背を向けると、館内電話で理香を呼び出していた。


「あの人、理香さんに似てるよね?まさか……本人?」

「いや、まさか。理香さんはもっとハツラツとした感じだよ。今の人はおしとやかそうな雰囲気だもん」


 しばらくすると、理香がヒールの音を響かせながら奥の廊下から姿を見せた。

 昨日あれだけ強い酒を飲んだにも関わらず、二日酔いの様子もなく、姿勢よく制服をきちっと着こなし、お辞儀をして二人を出迎えた。


「こんにちは。昨日はごめんなさい。お店に入るや否や皆さんに絡んじゃって」

「良いんですよ。こちらこそ、うちのおバカ探偵がやけどして大騒ぎして」

「そういえば探偵さん、右手に包帯巻いてますね。大丈夫ですか?」


 祥次郎は苦笑いしながら、包帯を巻いた手を後ろに回し、痛くない素振りをした。しかし、時折ジンジンとしびれるような痛みが手の中に広がり、涙が出そうになった。

 やがてロビーの奥から、スーツを着た二人の男性が現れた。二人は理香の隣に立つと、名刺を二人に渡した。


「はじめまして、このホテルの支配人兼管理課長をしている重田照幸しげたてるゆきと言います。こちらは、アシスタントの坂口歩夢さかぐちあゆむです」

「はじめまして、坂口と申します」


 男性二人が名刺を配ると、祥次郎と秋音も自分たちの名刺を取り出し、手渡した。


「探偵さんですか?お二人とも」

「あ、この女性は私の助手でしてね。でも、私よりも仕事ができて、最近私の出番が減って困ってるんですよね」


秋音は苦笑いしながら、祥次郎の口を塞ごうとした。

重田と坂口は二人のやりとりを見てクスクス笑っていたが、しばらくして重田は口を開いた。


「私どもにお話があると伺いました。さあ、どうぞこちらの控室にどうぞ」


 坂口は、祥次郎と秋音の二人の前に立ち、先頭に立って控室へと誘導した。

 控室に入ると、絨毯が敷き詰められ、食器棚の上には、黄金色に輝くシャーレや、ウエストウッドの大きな皿、ペルシャ風の唐草模様の壺など、高級そうな美術品が多く置かれていた。


「すごい!このホテルチェーンの部屋って、内装がいたってシンプルなのに、社員の控室は何でこんなにゴージャスなの?」


 秋音は、きらびやかな内装にしばらく目を取られていた。

 二人がソファーに腰かけると、重田と坂口も対面のソファーに腰かけた。


「さて、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」


 重田が問いかけると、祥次郎は葉巻を口にくわえ、白い煙を吐き出すと、ニヤッと笑って問い返した。


「トイレをお借りしても、よろしいでしょうか?」

「はあ?」


 秋音は呆れかえってしまったが、祥次郎はにこやかな表情でそのまま立ち上がった。


「店で済ませてくるの忘れちゃった。ごめんちゃい。お借りしますね」


 そう言うと、祥次郎は坂口に先導されつつ、トイレへと向かった。


「用件って、うちのトイレを借りたいだけなんでしょうか?」

「いやいやいや、違いますっ。所長が戻ってきたら、ちゃんとお話しますから」


 秋音は、赤面しながら重田の言葉を必死に否定したが、祥次郎の空気の読めなさぶりに、肩を落としてしまった。


「あの……本当に大丈夫なの?あの人」


 理香は、テーブル越しにヒソヒソ声で秋音の耳元で尋ねた。


「まあ、ここから本領発揮しますよ。たぶんね」


 秋音はうつむきながら苦笑いし、小声で答えたが、胸中は不安でいっぱいだった。しばらくすると、さっぱりした表情の祥次郎が戻ってきた。


「ふう、気持ち良かった。秋音ちゃんも、我慢せず行ってくると良いぞ」

「所長、今私たちはここに何しにきたのか、ご存知ですよね?」

「わかってるよ。それはともかく、さ、トイレにいっといれ」

「オヤジギャグはいいですから!それと、私のことなんか気にせず仕事してくださいよ」


 すると、祥次郎はソファーに座り、目を瞑って腕組みし、何やら考え込み始めた。

 しばらくの間、物音一つすらしない静寂が室内を包み込んだ。

 やがて、ソファーからスウスウといびきのような声が聞こえてきた。秋音が何事かと振り向くと、祥次郎が頭を秋音の肩にもたげ、ずっと居眠りをしていたのだ。


「所長!何寝てるんですか?いい加減にしてくださいっ。恥ずかしいから、起きて下さいよ!ねえ、起きてちょうだい!」


 秋音は、肩に乗った祥次郎の頭を何度も引き上げようとするも、すぐに肩に倒れてきてしまった。

 ため息をつき、うなだれる秋音を前に、重田は呆れ顔で立ち上がった。


「すみませんが、私どもも忙しいので。これでお引き取りいただけませんかね?」

「え、ええ?私たちは、皆さんに相談したいことがあって伺ったんです。時間は取らせませんので。所長をいま起こしますから、もうちょっとお待ちください!」

「お待ちくださいも何も、熟睡されていますよ」

「しょ、所長!起きて!私たち、何しに来たんだと思われてるわよ!」


 祥次郎の様子を見て、重田は穏やかな表情で問いかけた。


「所長さんは大分お疲れのようですね。空いたお部屋をご案内しますので、しばらく休んでくださって結構ですよ」

「は、ははは。すみません。私たち、泊まりに来てるお客さんみたいですよね」


 秋音は、重田とともに祥次郎の肩に手をかけ、二階にあるシングルルームへと連れて行った。足を引きずられても祥次郎は目を覚める気配もなく、そのままベッドに横たわらせられた。


「すみません、起きたらすぐご連絡しますね」

「わかりました。ちなみに私どもはシフト上もうすぐ交替の時間になりますので。今日皆さんとご一緒した池沢が担当になりますので、お話は池沢にお伝えください」

「ええ?い、池沢さんだけ?」

「はい。大変申し訳ないのですが」

「支配人さんは、シフトの対象外なのでは?」

「いや、我々もシフトに入ってるんです」

「そうすると、美術品が盗まれた日って、池沢さんだけがシフトに入ってたんですか?」

「え?どうして、当ホテルから美術品が盗まれたことをご存じで?」


 秋音は、理香から相談があったことを悉く重田に説明した。

 重田は、首をかしげながら、つぶやくように話し出した。


「たしかに、あの日は池沢だけがシフトに入ってました。彼女は備品の管理担当でもあったので、備品のチェックは抜かりなくしっかりやっていました。しかし、よりによって、池沢がシフトに入った日に無くなったようなのです」

「支配人さんは、思い当たる節はありますか?」

「いや、無いですね。池沢の前後のシフトに入った社員にも聞いてみたのですが、やっぱり分からないそうです」

「では、どうして池沢さんがシフトに入った日だと、断言できるんですか?」

「ちょうど、池沢がシフトに入った日の翌日に、本部から社長が来る予定になっており、それまでにこのホテルに飾られた全ての美術品を点検しておくよう、本部から指示がありました。私は、社長が来る三日前には全て目視で確認しています。特に、VIPをお招きするのに使う控室には、多くの美術品がありますので、慎重に確認しました。しかし、いざ社長がおいでになり、ホテル内の美術品を見て回ると、控室に飾ってあったポルトガルで買い付けたアズレージョのタイル画が盗まれていることに気づき、大変お怒りになって帰っていかれました」


 秋音は、重田の言葉をメモに取りながら、一連の流れを確認した。


「支配人さんが確認した時には、アズレージョは控室にあったのですね?」

「ええ。私もきちんと確認しております」

「どうやって、確認作業を行うんですか?」

「社長が美術品を持ち込むたびに、我々はその設置場所を位置図に書き込み、写真を撮っておきます。私が確認した時も、位置図や写真をしっかり見ながら進めておりましたよ」

「池沢さんも、同じやり方で確認するんですよね?」

「そうです。これは社員全員に徹底しています」


 その時、ベッドから大きなあくびが聞こえた。

 祥次郎がようやく起きたようである。

 腕を伸ばして大きく背伸びをすると、何やらブツブツと独り言を言い始めた。


「トイレに飾ってあった絵、アズレージョですよね?色鮮やかな青と白のコントラストがすばらしいですな」

「え?」


 祥次郎の言葉を聞いた瞬間、重田と秋音の動きが、ピタッと止まった。

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