32.シーン2-20(一次判決)
体の芯を鷲掴みにされた不快感の残留にうなされ、夢か現かはたまた別のどこかの間をぐるぐると彷徨う。耳元でやかましく鳴り立てる目覚ましのアラームみたいな誰かの声に、思わず眉をひそめてしまう。
ガツン!と頭に鋭い衝撃が走った勢いで、私は一気に飛び起きた。
「もうっ、心配したじゃないの! だからなんで付いてくるのって言ったのよ、馬鹿!」
ぼやけた視界がはっきりと輪郭を露にしてくるあいだ中ずっと、見慣れた少女の顔が私の視界全面を陣取っていた。
「ミリエ、殴らなかった?」
「もう少し自分のこと考えて行動しなさいよ! 目を覚ましたから良かったようなものの、もし、覚まさなかったら……」
ミリエは言葉の最後の方で、声を震わせたあと潤んだ瞳で口を閉じた。
大体の状況を理解して、私はふうと息をついた。何であろうと、ひとまずアリエは無事だったのだ。良いことなのだろうと思う。全く、とんだ嫌な予感をさせてくれたものだ。
まだ少し夢うつつをさまよう気分が抜けきらないが、ふくれているいつも通りの妹にどこか安心してしまう。私は静かにくすりと笑った。
「心配してくれたんだ?」
「な、何よ、当たり前じゃない! あ、あたしが心配したら悪いわけ?」
「殴ったんだ?」
「殴ってないわ」
なぜそこだけ冷静に即答するのだ。
「揺すった拍子にぶつけたんだ?」
「さ、行くわよ」
どこに行くのだ。
周囲のようすを確認すると、私はまだ先程の部屋の中にいたらしい。隅の方で、壁に背を預けて座っていた。
あれほどまでに荒れ狂っていたはずの膨大なマナは、まるで嘘のように静まり返っていた。ただ、カインを取り巻くマナの流れに多少の不吉な乱れを増やし、彼の魔力と彼の周りを渦巻くマナだけが、どこか寂しく部屋に取り残されている。こっそり当人の方を窺ってはみたが、相変わらず、彼は鋭い目付きと無機質な表情のままで、何も言わずに突っ立っていた。
私が倒れてからの一部始終をミリエに聞いたところでは、あの後すぐの状況がなかなか切羽詰まっていたらしく、気絶した私を避難させる間もなく荒れるマナの鎮静化へと取りかかったとのことらしい。
カインが封を扉ごと破ったことで、この場に溢れていたマナが外へと漏れだした。私たちはおろか、この建物の中にいた人にも影響が出てしまうほどだったらしい。ここまできたら、私を避難させてもあまり状況も変わらないしということで、それよりもこの場のマナを鎮静化させることを優先したのだという。
「て、えっ、ちょっと待って、何さらっと重大なこと言ってくれてるの、そんな簡単に鎮静化できるもんだったの?」
今まで何やってたんだよ!と私は思わず突っ込んだ。
私の言葉に、ミリエが少しだけ眉をつり上げた。
「そんなわけないじゃない!」
次の言葉を発しようとしたミリエは、少しだけ口ごもってためらった。そして、そっと横を見て様子をうかがうと、気まずそうに教えてくれた。
「その、カインが……」
「ああ、なんだ」
納得である。
「なんだって何よ」
「え、いや別に深い意味はないけど」
カインがこの場の荒ぶるマナを鎮めたらしい。ミリエとオルカは、その際に迸る激流のようなマナを、防御魔術で食い止めるので精一杯だったようだ。
「まあ、良かったじゃん、聖都の杞憂がいっこ減って」
「何のんきなこと言ってんのよ! 聖堂にいた人が何人か倒れたのよ!」
「えっ、うそマジ?」
辛うじてこの場へ足を運べていたような状態の参拝者らは、どうやら耐え切れなかったらしい。こんなところへ無理してまでなぜ参拝に来るのかという疑問は野暮なのだろう、お気の毒としか言いようがない。
「キュリアも軽く目眩がして転んだ拍子にちょっと怪我したって」
私の血の気が引く。
「……おこ?」
「結構おこ」
激おこじゃないだけ救いようがあると思うしかない。
そしてそして、屋内の様子をあらかた確認し終わり、ようやく気絶した私を連れ出そうと戻って来たところになって、ちょうど私の目が覚めたというわけだ。
軽く目眩を覚えながらふらふらと立ち上がった私は、ミリエに少しだけ不安の色を織り混ぜた視線を向けた。ミリエは残念そうな顔でふるふると首を振る。何事もないと思いたい。
若干マナの流れに淀みが残ってはいるが、そもそもそれは側にモンモンボーイが立っているからであり、すでに辺りからは魂を抉るような不穏な気配が消えている。部屋を出ようとした私は、ふと思い付いてから足を止めて、オルカに軽く詫びたあと返答を待たずに松明を掠め取った。
「わ、アリエ、どうしたの」
まわれ右をして部屋の中心へ向き直ると、松明を翳して中の様子を確認する。鎮静化した今はもう完全に暗く、炎の明かりのみが漆黒の空間を照らしている。はっとした私はもんもんしている人物の方を向いた。
「光んないの?」
「なぜ俺を見る」
珍しく彼から返答があったことは何だかもう気にするのも面倒なので置いておこう。この場にあったマナが辺りを照らすほど発光していたのだから、同じくらい魔力が高い彼なら同じくらい光ってくれればかなり助かるというものだ。暗い夜道も真っ赤な頭のパラリラさんが照らしてくれればなんのその。
松明をかざしながら、まずは部屋の中心まで移動する。こうして沈静化したあとで落ち着いて部屋の中を確認すれば、がらんとした空間は思いのほか広いらしく、七、八坪ほどあるようだ。石の床を照らし、付近を照らす。ちょうど、私が今いる部屋の中心辺りだけ床の色が黒ずんでいるような気がしなくもない。逆に天井を仰いでみたが、じっとりと暗い闇が広がるばかりで不安を煽る。
再び松明をかざして四方を確認すると、目星をつけていた入り口とは反対側の壁の側まで移動する。壁面の、ちょうど私の背丈から頭ひとつほど上のあたりに、錆び付いた金属らしきものが埋め込まれているではないか。足元を確認すると、近くに同じく錆び付いた金属のリングが落ちている。なるほど、キュリアさんが私に人か何かだったのかと問われたときに、苦い顔をするはずだ。
他にも確認してみれば、錆び付いた金属は出入り口のある場所を除く三方の壁にあるらしく、向かって左右の壁には、ご丁寧なことにそれぞれ壁の上下二か所に留め金が埋まっている。鎖の長さにもよるだろうが、これでは入り口を向いて立つか座るかするしかない。
不意に、藤色の髪と瞳が脳裏をよぎる。まさか、だ。
「悪趣味だなあ」
いずれにせよ、サドマゾ拘置も甚だしい。
「悪どい顔して言わないでよ。気持ち悪いわね」
どんな顔だ。失礼である。
部屋を出て建物の入り口付近で待機しているキュリアさんと合流してみると、案の定というか、非常に声をかけづらい気配が漂っていた。確かに言われて見てみれば、手首と甲のあたりを擦りむいていた。
「お、お待たせいたしました」
中が迷宮のようだったので、出るのにも一苦労である。結界を張って石造りに鎖でつないだのだから、迷路にまでしなくても良いのではなかろうか。あれでは逃げ出されようが逃げ出されまいが追いかける側も骨が折れることだろう。
キュリアさんは一瞬だけ眉尻をぴくりと動かしたあと、私の方を向いた。
「ご無事ですか」
目に見えて怒ってはいるが、それでも私を心配してくれていたようだ。
「ひとまずは宿舎に戻りましょうか。お話がありますので」
断言しよう。最悪のタイミングである。
宿舎までの道のりが、遠くて短い。カウントダウンを刻みながら、一歩一歩と段差を降りる。宿舎についたらしばらくの間はご臨終である。
来た時以上に重い足取りでゆらゆらと階段を降りているのが私だけだなんて、私は処遇が決まったあとで、かの赤髪の少年の胸ぐらに掴みかかって一発グーでお見舞いを浴びせても、バチがあたらないに違いない。彼はやはり顔色ひとつ変えることなく、恨めしそうな視線を向ける私をいつもどおり冷たい目で見返した。
ここに彼を呼び込んだのは私だが、それでも自分の身から出た錆ならば自分で殴り飛ばしたっていいのではなかろうか。
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