33.シーン2-21(一次判決)

 日も傾いた頃になってやっと魔術士の宿舎へとたどり着いた私たちは、そのままキュリアさんから、今晩は空き部屋を貸すからここに泊まって良いとの了承を得た。さすが高給職の下宿場所なだけあって、そこらの安価な宿どころか、そこらの民家よりかは余程設備が良いらしい。

 はじめここへ来たときに通された待合室で、私、ギャラクシー・パラリラ、さらにはここまで同行してきたよしみであるのかオルカまでも付き合わされて待たされることとなった。そして私たちから少し間をおいてキュリアさんとミリエが待合室に入ってくる。

 キュリアさんが、疲れた顔をしながら言うにはこうだ。

「全く、突然なんてことをしてくれたんでしょうね、あなたたちは」

 私は表に現れた事象にはあまり関係ないと断言しよう。あなたたちではなく、ギャラクシー・パラリラである。

「何百年、いや、もっともっと前でしょうか。我々すらいつからあるのか把握していないほど昔から存在し、そしてそれだけ長い時間の中で一切手出しできなかったマナの淀みを解き放ってくれるとは」

 このタイミングであまり彼女の言葉に口を挟むべきでないのは承知しているが、それでもやはり気になってしまったので、私は聞いた。

「消えたんですよね? 良いことではないのですか?」

 怒るかなと思ったが、キュリアさんは困った顔で首を静かに横にふった。

「わかりませんよ。消えたのか、拡散したのか。後者ならなんてことをしてくれたものかと問いつめさせていただきたいものです」

 彼女は言葉の最後にため息をついた。顔全体で、手に余る、と言っている。それだけ、マナというのは人が自ら関わることができるわりには、その範囲が人の規模からかけ離れているということなのだろう。

「あの場に留まっていたマナの淀みは消えた。辺りのマナの流れも特に異常はない」

 なんとも珍しい。カインだ。

 彼は腕を組んでうつ向いて、しかも瞼までしっかり閉じて長椅子に座っている。ここで喋らなければ居眠りしているととられても不思議はない。なんて態度の悪い奴なのだ。

 やはりはじめ来たときと同じような並びで、カイン、私、オルカの順で座っていた。カインは座ろうとしなかったのだが、私が座りなよと圧力をかけて強引に座らせたのだ。立たれたまま突然ダッシュされたら目も当てられない。

「残念ですが、我々にはそれが分からないのですから、信用に足りませんよ。顔と名前しか知らない者の言葉を鵜呑みにできるほど、簡単な問題ではありません」

 キュリアさんはちらりと私とミリエの方を向いた。ミリエは「多分、問題ないとは思うけど」と自信がなさそうにしている。私は首をすくめてお手上げの意を示しておいた。

 私も問題ないだろうとは思う。何せ、背筋を撫でる気味の悪い気配がないのだ。相も変わらず周囲のマナはねっとりと濃くてむせ返りそうになるが、それはこの辺りのマナの流れがそういうものだからだろうと思う。思うが、しかし私も断定はできない。マナなんてものの動向なんて、分かったものではない。

 オルカも遠慮がちに、おれも問題ないと思います、と小声でそえた。彼は騒動に巻き込まれた挙げ句に歪みの解除中に防御を手伝った功労者である。どこか申し訳なさそうにしているが、私としてはもう少し彼に胸を張らせてあげたい気分である。

 みな大丈夫だろうと言いつつ確証は得られず現状重い空気が流れてはいるが、ともすればこれはチャンスであるとも言える。独断とはいえ彼の行為が良い方へと受け止められれば、どれほどの功績となるだろう。例えしっかり彼のおかげであると認められずとも、聖都の抱える爆弾が消えたらしき事実は本物だ。

 まだ誰も、その裏に潜むもうひとつの可能性について気にとめている気配はない。今の世界は平穏であるという現実が容易くかき消してしまう程度の、まさか自分の身近にそんなものがあるだろうとは考えもしない程度の、あっさりとした可能性だ。

 あくまでも、今回の一件は単なる奇跡なのである。キュリアさん、および聖都の魔術士たちが、良い方向へ捉えてくれることを願う。

「仮にあの場の歪みが本当に消えたのだとしても、前置きなしに突然開け放たれては困ります。人が少なかったから良かったようなものの……」

 結果の是非はさておいて、キュリアさんはもうひとつのマイナス点を指摘した。それに関しては、全くもってその通りだ。突き進んだのはカインだが、そもそも彼を連れ込んだのが私ならば、阻止できなかったのも私である。

「まずは一晩、様子をみさせていただきます。処遇については明朝、お話しします」

 さらに彼女は言葉に一拍おいてから、付け加えた。

「借金、のことも含め」

 借金の部分だけ語調を強めなくても良いと私は思う。

「後ほど部屋へご案内いたしますので、ひとまずはお休みください」

 誰よりも疲れた顔のキュリアさんは、最後にもう一度ため息をついた。この面々の面倒をみるのはさぞ骨が折れることだろう。

 話が終わり、やっとくつろごうとした私を向いて、キュリアさんが「ああ、そうでした」と小さく声をかけた。

「はい、何でしょう」

「伝令係の教会兵が一人、体調を崩して朝から寝込んでしまいまして」

「風邪ですか。大変ですね」

「代番がおらず、まだどこにも回れていません」

「そうなんですか」

「アリエ様は、今、お疲れですか?」

 何を仰りたいのでしょうか。

「階段のぼったり降りたりでめっちゃ疲れました」

「それはちょうど良かった! きっと今は平らな場所がさぞ恋しいことでしょう!」

 何がちょうど良かったのでしょうか。

 キュリアさんはさささと隙のない動きで私の目の前までやってくると、いくつかの書簡といくつかの手荷物を私にくれた。

「届け先と荷物はお渡ししたメモに書いておきました。あと別件で、東門にいる魔術士へ温泉場に移るように連絡を入れてください。代番はすぐに向かわせます。代わりに温泉場の魔術士へこちらへ戻るように伝えてください。あと、西門の見張り兵へ、予定の代番が聖堂で倒れたためもう少し待ってほしいと連絡を。下の小聖堂に見張りが二人おりますので、どちらかに代わりに向かうよう指示してください。非番の魔術士がひとり宿舎におりますので、彼に聖堂の番を頼んでください。それから、宿泊通り、商店通り、民家通りの見張りへ、体調を崩した人がいないか確認をお願いします。兵章をお渡ししておきますので、それを見せていただければ話は通じるかと思います」

 問答無用である。

「あ、それと」

 ふいに言葉を区切ったキュリアさんは、けほんという咳払いで何かを誤魔化し、ちょっぴり私の目をのぞき込んでから、ゆっくりと切り出した。

「あの、アリエ様、その……今年は、ミソを作ってたり……とか」

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