22.シーン2-10(真っ赤な暴露)

 足音も遠退きしんとなった室内に、私が深く息をはく音が響く。カインの方をちらりと確認すれば、彼は前を向いたまま、ぽつりと虚空を眺めていた。今まで必死に隠していたのに意外とどうでも良さそうな反応をされて肩透かしを食らっているか、はたまた途方にくれているかといったところかもしれない。

 今度こそ大丈夫だから安心してほしい。以後、私から迷惑をかけることはないと思われる。多分、ないと思われる。他に私が言えることは、お金払ってね、くらいである。

 ちなみにこれは口約束、否、厳密に言えば約束はおろか拘束すらもしていないのだが、カインからはあまり去りそうな気配がしてこない。その心意気やよし、なかなか律儀な御仁である。もちろん、ちゃんとお金を払ってくれるのならば、私としては何だろうと問題ない。

 少しだけ気が抜けた私は、もう一度深く息をつきながら背もたれに体重を預けた。

「はあ、これから借金生活かあ……」

 そんな私をミリエが疑いの目で見つめてくる。

「アンタ、無理やり彼に借金おしつけなかった?」

 そう言いながら、彼女は私の両脇に座る少年二人をそれぞれ睨む。ミリエに凄まれても、オルカもカインも何も言わない。今さらである。それに、カインの放った魔術が原因で私が船から放り出されたことは事実なのだ。

「もう、信用ないなあ!」

「あたしがどれだけアンタの妹やってきたと思ってんのよ!」

 腰に手を当てながらあきれ返ったようにミリエが言う。私は膝の上に肘のせて頬杖をついた。

「たったの十六年と十数日」

 彼女が先日帰省してきたのは、何を隠そうバスティル姉妹のお誕生日と成人を祝うためである。早すぎるような気もするが、あのちびすけミリエが今ではずいぶんと一端の顔をするようになったものだ。思えば私も、相当の道のりを歩んできたことになる。

 にやりと笑いながら答えた私をミリエはしばらく睨んでいたが、しばらくすると諦めた様子で肩の力を抜いた。

「あれ、そうなんだ! おめでとう」

 私たち二人の吉事に気づいたオルカが嬉しそうに話す。さりげない気遣いの出来る気持ちの良い子だ。

 キュリアさんが戻ってくるまで暇になってしまったミリエは、はっと思い出したようにカインの方を見るや、好奇の視線で寄ってきた。

「そう言えば、まだあなたの名前、聞いてなかったわね」

 私はすかさず割り込んだ。

「ちょっと待った。なぜ私はアンタ呼ばわりなのにこっちはあなたなんだ!」

 ミリエは私を無視して続けた。

「ね、あなた、名前なんていうの?」

 ミリエよ、なぜ先ほどから手のひらを返したように語調がそんなに柔らかいのだ。まさかこういうのが好みのタイプだとでもいうのだろうか!

 私は恨みの視線をカインへ向けた。仕返しか。借金をふっかけた仕返しに私から妹を奪おうと言うのか。

 ついに明るみとなった彼の顔の印象を述べるならば、整った精悍そうな顔立ちだ。しかし、じゃあ彼はどんな人物でしたかと問われたならば、みな口を揃えてこう答えるだろう。頭が赤い人でした。

 神がつくりたもうた奇跡の美形でもない限り、頭の上半分を占めている誘目色には敵うまい。つまり、魔力と髪と目の色以外はごくごく普通の人である。

 他に何かあるとすれば、そんな神が使わした奇跡の天使ミリエが詰め寄っても、眉ひとつ動かすことなく、無機質なまま表情が変わらないということだろうか。睨んでいるともとれるほどに鋭く冷たい視線からは、一切の感情が読み取れない。こんなに可愛い女の子に詰め寄られているのに顔色ひとつ変えないだなんて、なんと無礼なやつなのだ。

 借金をした上そのいくらかを押し付けたという謹慎すべき身でさえいなければ、可愛いだろうがよく見ろスカタン!と、世を中途半端にしか見ることのないであろう、その半開きの舐めた瞼を無理やりこじ開けてやりたいところである。

 彼に関して最後にもう一言だけ述べておくなら、頭頂部まで見事に真っ赤なフサフサだった。残念、禿げてはいなかった。地毛であればの話である。

 ミリエの再びの問いかけに対しても、やはりカインは無言をつらぬいたまま、険しい表情を変えようとしない。笑顔にすれば素敵だろうに、目つきが悪いせいで台無しだ。

 困りはじめたミリエの様子に、オルカが慌てて助け舟を出してきた。私もミリエを助けるべく、すかさず舟に相席させてもらってみた。

「おれたちはカインって呼んでるけど」

「私はパラリラと呼んでいるけど」

 ミリエは私を無視してオルカの方を見て聞いた。

「カイン……苗字は? カインなんていうの?」

 なぜ苗字まで気にするのだ。まさか家を調べて押しかける気か。許可できぬ。

「えーっと」

 オルカは頬をかいて気まずそうな顔をした。残念、苗字まではわからない。

 彼はカインを横目でうかがい、カインからは反応が得られないことを悟ると、今度は私の方をちょいちょいとつついてきた。ぼさっとしてどしたの、なのか、アリエ先生出番です、なのか、やべえおれちょっとトイレ、なのかは分からない。

「うーんと、分からないなら、いっそ新しく苗字つけてあげたら? 無理やり聞くのもいい迷惑だって。そうだなー、カイン・パラリラなんてどう」

「アリエ、それほとんど原形留めてないと思うよ。しかもだから、パラリラって何」

「新しくつけるんなら原型留める必要ないじゃん。えーと、じゃあカイン・ドラッグ」

「それはなんだか危ない気がするからやめた方がいいって」

「じゃあカイン・スーパッパ」

「アウト! それアウト! 駄目、絶対!」

「じゃあカイン・パラリラデトツゲキ」

「で突撃、って言った? 言ったよね! どんだけパラリラ使いたいんだよ! なんかパラリラの意味がつかめてきたんだけど、絶対それやめた方がいいと思う! もっと明るい感じのにしようよ」

「カイン・パーリラ・パリラ・パーリラ・パリラ・パーリラ・パリラ・パラリラふうふうっ」

「なっが! 長いよ! 浮かれ過ぎ! ミドルネーム多過ぎだし!」

「ぱっぱパラリラ・ピーヒャラ・ピーヒャラ」

「余計浮かれてる!」

「じゃあギャラクシー・パラリラ」

「あ、わけわかんないけど何かちょっとかっこいい。それにしよう」

「えっ、まじかよ!」

「わりと本気」

 まさかである。

「カインって呼んでるって言ったじゃない」

 諦観していたミリエもついに混ざってきた。

「じゃあまとめて、カイン・ギャラクシー・パラリラで」

「おお、無駄にカッコいい!」

 オルカはギャラクシーという単語がいたく気に入ってしまった様子である。神秘なる宇宙の魅力は尽きない。

「クラドラグカインだ。苗字は無い」

 せっかく結論が出たところで、結局カインは会話に割り込んだ。

 苗字がないというのは、一般家庭にも家の名があるこの辺りでは珍しい。随分珍しいところから来たようだ。さすがギャラクシー、そこまで範囲を広げておけばそんな地域もあるのだろう。

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