6.シーン1-5(きっかけ自体は些事な大事)

 せめてもの彩りを優しく添える桜色のカーテンが揺れ、見慣れた顔ぶれがその隙間からひょいと現れる。

「具合はどう?」

「うん、悪くないとは思う」

 自分でもよく、これは具合が悪い状態なのか良い状態なのか、分からなかった。

 それまでしばらく体調不良が続いていた私は、突如高熱を出して豪快に倒れ、そのまま病院へと搬送された。そして、恐らくは風邪をこじらせたのではないか、との診断を受けたところだった。

 見舞いに来た友人達は、期日のせまる未完成の講義レポートと、サークルが参加する交流会で行われる演劇の台本を持ってきてくれていた。

 ページをぱらぱらとめくると、登場人物の台詞やト書きがずらりとならんでいる。とても簡単なお話で、王子様が黒い影に囚われてしまったお姫様を救い出す、というものだ。

 サークル員が苦戦しながら知恵をしぼっている光景がまぶたの裏に浮かぶ。

 いろんな人が気軽に楽しめるようにと、ところどころに笑いを挟みながら進む、楽しく、優しいお話だ。地域交流会でちょっとした余興に開かれる、お遊戯のようなものだった。

「王子様役、楽しみにしてるね」

 そう言われ、私は苦笑した。くじ引きで当たってしまったようなものだったのだ。

 台本に基づき役を決めたというよりは、まるで関係の無い酒の席で、皆気分上々のなか勢い任せに行ったくじ引きときたものだ。私自身、話の内容などろくに知らぬまま乗りに乗ってやったるかなんて引き受けてしまったのだから始末に負えない。

 男子人員だっているのに、それを差し置きこの私が王子様。まいったなあと、笑うより他にない。

「ねえ」

 今度、面白そうな映画をやるみたいだよ。皆で一緒に見に行こうよ。そんな他愛ない会話が、延々と続く。

 その時の私は、それら全てが叶わぬ夢となってしまうことなど、考えもしなかった。

「ねえ、アリエったら。寝ちゃったのかな?」

 ちょいちょいと突っつかれている気がして横を見れば、オルカが私を覗き込んでいた。私は右手をひらひら振って、寝ます、という意を示してから、今度こそ完全に目を閉じた。これ以上起きていても、余計に疲れるだけだろう。せめて夢の中くらいは、穏やかに過ごしたいものである。

 ちなみに、寝る寸前の情報はそのまま夢になりやすい。疲れのせいかすぐに眠りについた私は、夢のなかで見事にそれを回収した。

「なんだよこの王子究極奥義って」

 私は見舞いに来た友人に、笑い混じりに悪態づいて台本を押し付けた。

 読めば読むたび、本当にあれは正当なくじ引きだったのだろうかと疑いたくなる内容だった。

「前に言ってたじゃん、究極奥義は土下座だって」

「現実世界の究極奥義と物語の王子の究極奥義になんの関連性が」

 くじ引きで役を決めたのは、もちろん台本が完全に仕上がってからだ。

 内容を把握しふてくされる私を眺めながら、友人達はくすくすと笑っている。

「さては貴様、謀ったな?」

 友人は笑いながら「ううーんなんのことかなー」とわざとらしくとぼけてみせた。サークルといっても、ほとんどが気の知れた仲同士でやっているものなのだ。どう考えても黒だろう。

 王子は、とにかく散々だった。

 まず、黒い影に呪われてしまった王子は、その呪いのせいで父母や兄弟を失い、居場所を失い、失意の中に生きていた。そんな王子が、黒い影に囚われてしまった孤独な姫君を助け出すために、決意を重ね、勇気を取り戻していくというお話だ。そこまでは良い。

 しかし、なぜか王子はとことん道化じみていた。殺陣やアクションも用意されているが、王子は鮮やかかつ身軽な動きで立ち回りつつ、しかし肝心なところで滑ってこけたり、することなすこと情けない。そんな王子の究極奥義は土下座。そして締めの台詞はどういうわけかアドリブときた。そこはかとない悪意すら感じられるではないか。

「しかも何この超必殺王子ロボって!」

 笑いを織り混ぜつつなんて生易しいものではなかった。完全に狙っている。登場人物の背景などは結構重苦しいものなのに、そんな雰囲気が感じられない。

「ほら、いいじゃんいいじゃん。ちょっと一風変わったお誕生日プレゼントってことで」

 疑問符を浮かべた私に友人のひとりが示したのは、演劇の行われる日にちだった。合点がいった私の口は、半開きの状態で固まった。

 そう、この王子様役は、ドッキリ誕生日プレゼントを兼ねて、半ば私がやらされるべく用意されていたのだ。まいったなんてもんじゃない。やられた、完敗だ。

 ここまでされたら受けてたたねば私が廃る。そして見事成功させねば、私の立つ瀬がないではないか。

「もう、私の王子超カッコいいんだから、覚えてろよ」

 そんな冗談を言い合いながら、別れの挨拶を交わし、友人達は帰路についた。

 結局私は次の日に急激に体調を崩してしまい、もうしばらくは安静の身となるのである。

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