4.シーン1-3(船上)
私が覚悟を決めかけたとき、ふと、オルカ君の周囲の空気が変わったような気がした。違う、マナの雰囲気が変わったのだ。彼は魔術で対抗する気になったらしい。彼の魔力ならもしかしたらと、戦況の行方に期待しかけた、その時だった。一瞬にして寒気がするほど辺りの空気が塗り替わり、その変化に全身がぞわりと粟立つ。
むせかえりそうになるような、もんもんとした異様な気配が辺りを包み込んでいく。不意に襲う息苦しさに、私は喉をつまらせた。こんな禍々しい気配の発信源など、考えるまでもない。
なおもしつこくしがみ付いているタコの頭の両側に、幾重にも円と幾何学模様を描いて光が浮かび、なにやら魔法陣のようなものが現れた。
そして次の瞬間、陣と陣の間を光が凄まじい勢いでごうごうと駆け抜けていく。どちらからどちらにだろう、よくわからない。それでも、駆け抜けたと表現するのが一番近いのではなかろうか。同時に、荒れ狂うようなマナの奔流を受け、私は再び息が詰まりそうになってしまった。光の端に僅かに触れてしまった船の縁が音を立てて弾け飛ぶ。
光が消え、陣が消え、辺りに静寂が訪れた。誰も彼もが何が起きたのかわからないという表情で立ちすくみ、船上は時が止まったようにしんと静まり返っている。数拍おいて、タコ型エイリアンは力無くずるりと海へ滑り落ちた。
これで終われば万々歳となるはずである。がしかし、そうは問屋が卸さない。
タコ型エイリアンが離れたことで傾いていた船が思いきり揺れ、船のへりにいた私と少女は足元を掬われて吹き飛んだ。私はなんとか堪えたが、体の軽い女の子はみごとに宙を舞い上がり、あろうことか弾けとんでぽっかり空いた縁の隙間から、暮れなずむ海へと吸い込まれていく。
こういう時は、思いきりが肝心である。
もちろん思いきりだとか肝心だとかそんなことを考える間もなく、私は肝心な場面で思いきり踏み込んだ。
差し伸ばされる小さな腕に手を伸ばし、手応えを確かめると勢いよく体をひねる。
素晴らしい行動力で駆けつけたオルカ君や母親に向けて少女を押し、その反動で元いた場所とは真逆の方へと倒れ込んだ。
「ああ、ちょっとちょっと!」
海へと投げ出される私の腕を掴もうと、慌てたオルカ君が駆け寄ってくる。しかし、第二波の揺れに阻まれて、伸ばした手と手は空を切った。
彼は諦めなかった。とにかくどこでも良いからと私を繋ぎ止める生命線を必死に探し、思いきりひっ掴む。
「ああ、ちょっとちょっと!」
思わず先の彼の台詞を私が復唱する。
「もう、文句言わないで!」
歯を食い縛り、必死の形相で引き上げながらオルカ君が叫んだ。
彼が掴んだ私の生命線は、着ている上着の裾である。
そのまま腰のベルトを掴まれて、私はだらしなくぶらさがった。何か一言述べるなら、なるべく私の格好を見ないでほしいものである。
くの字に曲がる腰の上はわいわいと私を引き上げんとする声で賑わい、橙と紺と黒が織り成す輝きに、穏やかな海面が揺れる。タコがいない凪ぎの海は平和である。
「あ、ごめん」
ふと上から声がした。
何事かと上を仰ぎ見ようとした私の眼前を、ギラギラと光輝く抜き身の細剣が滑り落ちて行く。ややあって腰の鞘から抜けたらしい。
「あぶなっ! ていうか」
抜き身なので下手に手を伸ばすと危ないが、それでもただ落ちゆく様を見送るのは口惜しい。
良くないこととは続くものである。私が慌てて腕を伸ばした弾みで、首から下げていたものがするりと抜けて海へと落ちた。ぎょっとしてもがいた手の指の中も、するりと抜けて落ちていく。
「ああーっ!」
鮮やかなる落日を、私のむなしい叫び声と、ぽちゃんと寂しい着水音が締め括る。
ここまでが、私の気分を果てなく重くさせている事の顛末なのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます