3.シーン1-2(船上)

 先ほどの衝撃と今も続く不自然な揺れに、不安が募る。一体何があったのだろう、まさか氷山か、いやいや、この温暖な気候でそれはない。しかし、そうではなくとも沈没の危険はないのだろうか。

 急いで甲板に出て辺りを見回した私は、我が目を疑ってしまった。船に、訳の分からないエイリアンみたいな巨大タコが、しがみついているのである。いやむしろ、タコみたいなエイリアンなのかもしれない。ちなみにここが宇宙の墓場だなんていう話は聞いていない。

 呆然と立ちすくむ私の後ろから、船員たちの会話が聞こえてきた。

「ありゃあデゴデゴデじゃねーか」

「んだなあ、これはちっとばっかしやべぇかもなあ」

「まさか襲われるとは思わんかったなあ」

 船員さんの緊張感が皆無である。

 存在を知っていて襲われることを想定していないというのは何事か。船員さん、ここはカッコ良く客を守って!

 デゴデゴだかゴデゴデだか言われたタコ型エイリアンは、うねうねとした何本もの足を船体に絡めてがっしりとくっついている。

 それにしてもかなり大きい。脚なんかは腕を回しても半周分すら届かないに違いない。船が重さで傾いている。このままでは最悪、転覆してしまう。

 別にここは大海原のど真ん中というわけではないし、船は単に陸地に沿った沖合いを移動しているだけとはいえ、沈没してしまえばもう、助かる保証はどこにもない。海にはタコみたいなエイリアンがいるのだ。ほかに鮫みたいなエイリアンや、巨大イカみたいなエイリアンや、エイリアンみたいなエイリアンが潜んでいてもなんら不思議はない。

 辺りでは腕に自信のありそうな船員や冒険者のような人たちが、足を引き剥がそうと奮戦している。しかし海からあがりたての軟体動物は、つるつるするわぬめぬめするわで剣の刃が立たないらしい。おまけにかなりの太さがある。恐らく一般人には手も足も出ないだろう。私に出来そうな目下の行動予定ときたら、突っ立って眺めることくらいである。

 火で炙ったらどうか、なんて声が聞こえてきたが、バカか船が燃えたらどうする、なんて声も聞こえてきた。木造船だから、致し方ない。

「アリエさん!」

 どうしようかと辺りを見回していると、突然声をかけられた。オルカ君だ。

「ここは危ないよ、船室に戻った方がいい!」

「いや、沈んだとき中にいたら溺れ死ぬかもしれないですし」

 暗い未来を見据えた私の思考に、オルカ君の顔が微妙にひきつった。

「まだここなら少し距離があるし、立っていても大丈夫だと思います。むしろ、沈没の方が……」

 そう言う私の動きが止まった。視界の端、太くうねっている脚の近くに、うずくまっている子供を見つけたのだ。

「どうかした?」

 途中で言葉を止めた私に、不安げな声でオルカ君が訊ねてくる。私はオルカ君の疑問に答えようとして、ああ、その子と目が合ってしまったではないか。

 すがるような幼子の目に見据えられ、私の呼吸と思考が止まる。一体全体、君は私にどうしろと言うのだ。いや、考えるまでもない。

 後ろからオルカ君の制止の声が聞こえるが、もう遅い。

 何とか子供の元へと駆け寄った私は、すぐさまその子を抱えて引き返そうと試みた。しかし次の瞬間に、バチンと太いタコの脚が叩きつけられ、退路を塞がれてしまう。私たちは、柱と縁に挟まれた狭い空間に閉じ込められてしまった。

 腕の中で怯えきってうずくまっている子供は、まだ三、四歳くらいの女の子だ。恐怖のあまり、泣くことすら忘れて完全に腰を抜かしてしまっているらしい。幸いにも外傷は無いようだ。

 全く、なぜこのような所に小さな子供がいるのかと、私はため息をついた。仕方がない、それは小さい子供だからだ。

 離れた場所から血の気の失せた顔で見守る女性と目が合う。恐らくは母親だろう。まさか、ちょっと目を離した隙に我が子が自分のもとから離れ、しかもよりによってそのタイミングで、いるかどうかもわからないエイリアンに偶然襲われるだなんて予想だにしないだろう。母というのも難儀なものだ。

 今回はたまたま運が悪かった、なんて言ってはいけない。何かあった人たちは皆、たまたま運が悪かったのだ。

 私はしゃがんだ体勢のまま、ゆっくり背後をうかがった。心もとない木の船の縁をはさんで、その向こうには全てを飲み込む夕闇の海が広がっている。そして、そこへ引きずり込まんとする大きな怪物の本体が、直ぐそばにへばりついているのだ。薄紫色をしたグロテスクな軟体動物は、エイリアンと呼ぶにふさわしい。

 目の前を塞いでいる太い脚には、僅かに血管が浮き出ている。軟体で、水気かぬめりかでテカテカしてはいるものの、かなり筋肉質なようだ。自分が標的として狙われることは無いとしても、何かの拍子でこの脚にはねられたらひと溜まりもないだろう。しかし、今この瞬間にも、締め付けられた柱や壁がみしみしと音を立てている。この狭い空間がいつまで持つのか分からない。船が揺れて傾いた拍子に、うっかり外へと投げ出される可能性だって否めない。

「アリエさーん、大丈夫ー? 抜け出せるー?」

 タコ脚の向こう側から、オルカ君が手を振った。私も負けじと声を張り上げ、手を振り返す。

「無理ぽでーす! 助けてくださあーい!」

 潔く諦めた私の爽やかなエスオーエスに、オルカ君の苦笑がまたもやひきつった。それでも随分と良い人らしい彼は、いささか無鉄砲すぎた私の行動にも呆れることなく、真剣な表情でなんとか手立てを探してくれている。

「わっ」

 どこかのマストがバキンと折れ、弾みで船が大きく揺れる。その衝撃で、私は思いきり尻餅をついた。

「うきゃっ」

 別に、私はお猿の真似をしたわけではない。思いきりついたお尻の下に、妙な違和感があったのだ。

 次の瞬間、グニュグニュグニュッと非常に気持ちの悪い動きとともに、タコが脚のひとつを引っ込めた。私ったら、近くにあったタコ足の先っちょを、尻でプチっと踏んずけたのである。なんでこんな所に足があるのだ!

 新たな脚が船に勢いよく絡みつき、揺れが激しさを増す。重力に逆らえずでろんと垂れる軟らかそうなタコ頭に、血管マークが見えた気がした。

 断言しよう。怒らせた。

 まだ至る所では、他のつわもの共がこちらの騒ぎに気付くことなく、勢い増して絡みつく脚と健気に奮闘し続けている。そして、あれよあれよという間もなく、船があちこち破損していく。

 乗員乗客の皆々様、誠に申し訳ございません。転覆のトリガーを引いたのは、わたくしです。

「おねえちゃん……」

 小さな少女が、不安そうに私を見上げて小さな手でひっしと胸にしがみつく。やめてくれ、幼女。そんな目で私を見ないでくれ。

 これは土下座か。土下座なのか。今ここでタコとみんなに土下座しろということなのか。

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