第一幕 旅は道連れ、情けなし

2.シーン1-1(船上)

 雲ひとつなくよく晴れた空のもとを、潮の香りと共に心地よく風が吹き抜ける。夜になれば頭上には無数の星々が瞬き、輝く月が揺れる水面を照らし出す。

 そんな心ときめく大海原の情景とは裏腹に、私の気分ははてなく重い。これから待ち受けているであろう試練のことを考えては、海に身投げし何もかも忘れ、どこか遠くへ泳ぎ去りたい気持ちへ駆られる。

 聖都へと向かう定期船に乗り込みしばらくすること、早一日目の太陽も暮れようといったところからが事の発端と言えるだろう。

 穏やかな海の上、狭い船上では特にすることなどなく、太陽が空を夕暮れの色に染め始める絶景を堪能した後、私は船内へと戻っていった。

「やっ、えーと、アリエリーナさんだったっけ」

 船内の客用休憩室に入ろうとすると、船の中で顔見知り程度に仲良くなった乗客が出てくるところとはち合わせた。少し寝癖気味の黒髪にバンダナをした快活そうな十七、八くらいの少年だ。長く伸びた黒い髪を後ろで括り、装備品は胸囲部分を覆う簡素な革の防具と旅人ご用達のマント、そして剣という、いかにも冒険者然とした格好である。強いて言うなら、深い紺をした上衣の襟がどことなく民族調である。どうやら彼も一人旅らしかった。

 にこやかな笑顔でとても印象が良いが、どうにも魔力が高いらしく、それが苦手な私としては少しばかり近寄りがたい。休憩室でたまたま近くに座っていたとき、暇していたのか歳が近いからか、はたまた気さくな人柄の為か、彼の方から声をかけてきたのが最初だった。それからなんだかんだで会話が弾み、これまでも何度か話をしている。名前は確か、シャチみたいな名前、そう、オルカといったかな。

「はい、そうですよ。あ、アリエで構いませんよ」

「じゃ、アリエさん。今はこっちには入らない方がいいよ」

 客用休憩室は二部屋あった。

「どうしてですか?」

「今ちょっと中で揉め事が起きてるみたいで……おれも抜け出してきたんだ」

「マジでか」

「あはは、うん、マジだよ。だから入るならこっちの方がいいんじゃないかな」

 船内は狭いし他の乗客だっている。狭いからこそ鬱積も溜まるものかもしれないが、たった数日も無いような航海中くらい、穏やかに過ごしてもらいたい。

 彼は私たちが短い時間ながらもお世話になった馴染みの部屋の中を、扉を透かすようにして苦笑しながら見つめた。ちなみに別にどちらを使わなければならないという決まりはない。こうなったらもう片方の部屋に入るしかない。

「そうですか、ありがとうございます」

 そう言うと、私はもう片方、隣にある部屋のドアに手をかけた。オルカ君は外で風に当たって気分転換してくるそうだ。ご愁傷さまである。

 扉を開けて中を覗くと、特に何もない一室に、幾人かの人々が思い思いの場所に腰を落ち着け、休んでいる。ちょっとした距離を移動するための安価な定期船なので、大した設備など何も無いのだ。

 私はぱらぱらと散らばる乗客の密度が低いスペースに目星をつけると、ぶつからないようにそろそろと歩き出した。だがしかし、さてもう少しかな、なんて思ったところで、なんたることか私はこけた。

 足を挫いてバランスを崩し、しかもよりによって滅多にないはずの波に揺られた船の振動に煽られて、そのまま謎の奇声と共に前へとつんのめる。そして慌ててバランスをとろうと腕を振り回した結果、運悪く真ん前にいた乗客の脳天めがけて、渾身のチョップが炸裂した。

「ごっ、ごごご、ごめんなさいすみません!」

 なんてこった!

 そのまま手をついてその人の前へと倒れ込んだ私は、あわてて可哀想な被害者の顔色をうかがおうとして、そっと上を覗きこんだ。

 もしかしたら、怒っているかもしれない。なんたってこちらは手が割れるかと思うほどの威力だったのだ。向こうはさぞや頭が割れる思いがしたことだろう。

 私の目の前にいる人物は、旅人御用達のマントのフードをすっぽりと目深に被り、今なお無言で座り続けている。何か反応をくれないと、それはそれで怖いものがある。

 そっとフードの中を覗きこむようにして上を仰ぎ見た瞬間、ギラリと光る双眸と目が合った。驚いた。金色だ。

 さらに驚くべきことに、フードの翳りからちらりとかいま見えた髪が、燃え上がるように鮮烈な赤い色だったのだ。赤毛なんてものがあるが、そんな一般的に生産されて世に出回っている色ではない。色の加法表現RGB、Rの数値が二百五十五で存分に振りきっており、反動としてGとBはまるで皆無と言っても過言ではないほど鮮やかな赤色だ。本当に頭が割れて血が滴ってきたのかと思ってしまったではないか。

 今、この場で断言しよう。こいつは賊だ。否、族だ。間違いなく威嚇色だ。百歩譲って宇宙人だ。なんて危険な香りのする人なのだ!

 毒のある生物とは、それだけではやはり外敵から襲われてしまうため、毒を持っているということを知らしめるために、いかにも目立つ色をしていることが多々多々ある。また、稀に見かけるアバンギャルドなパンク精神を持つ若者も、髪を奇抜な色に染め上げ時には奇抜な形に刈り上げて、これまた奇抜な服を着て他とは違う自らの存在感をアピールしていたりする。まさにそれだ。

 しかして目前の人物もそんな世の摂理に違うことなく、異様な魔力を放っている。

 この世界の人が持つ魔力、もとい、この世界に存在するマナというものは、生きとし生けるもの全ての生命力となるとともに、大量に浴び過ぎれば毒となり害を及ぼすものなのである。魔力とはつまりマナを行使する力なわけだが、ほとんどの人は扱えるんだか扱えないんだか、なんていう程度の魔力しか持っていない。

 ごくごく稀に、オルカ君のように強い力を持っているらしき人がいないわけではないのだが、今まさに目の前でもんもんと異様な魔力を醸し出している人物は、そんな稀な存在すら遥か遠くに霞むほど、ともすれば周囲の生命に害でも与えるのではないかと疑りたくなるほど強烈だった。

 そう、威嚇色なのである。俺マジやべえぜ。近づくと怪我するぜ。彼は、自らの身をもって、それを周囲に知らしめているのであろう。

 ふと手元に目をやると、何たることか剣の柄に手をかけているではないか。私はちょっと目の前で転んじゃっただけなのに、そしてちょっとうっかり脳天にチョップをお見舞いしちゃっただけだというのに、その反応は傷つくじゃないか。全体的な印象から考えてもまだまだ年若い、ともすれば少年ではないかと思われる人物は、そのまま無言で私を警戒し睨んでいる。

 カーキ色をした旅人御用達のマントの下に見える服は、すっきりとして装飾こそ少ないものの、生地のところどころ、裾や横の部分などなどが綺麗に蒼く染められている変わった服だ。どこかの民族衣装か何かだろうか、しかし全体的な印象としては特攻服といった方がしっくりくる。効果音にパラリラなんてつけたらもう何も言うことなど無い、完璧である。はっきり言ってすごく怖い。

 正直な話、私は泊りがけの往復旅で、旅費をばっちり持っての旅路なので、掏られたら最後、泣きを見る羽目になる。無論、泣きを見る羽目で済めば、の話だ。

 これ以上近くにいるのは何やら危ない気がしたので、私はもう一度軽く詫びると、そそくさと立ち上がった。「おい姉ちゃん、タダで済まそうってのかゴラァ」なんて言葉のかからないうちに、早くこの場を離れたい。むしろこの部屋から出たい。隣の部屋は何かごたついていたらしいが、もしかしたらもう落ち着いているかもしれない。

 即座に出入り口まで引き返そう、と足を引いた瞬間に、またもや船がぐらりと揺れた。一応ここは内海なので、元々穏やかな海域のはずなのに、先ほどから少々船が揺れすぎである。前後の状況から考えても、嵐なんて来る気配はない。穏やか過ぎて予定よりも船の進行が遅れている、なんて話まで聞いている。

 何かあったのかな、と思ったのもつかの間のことだった。ドカン!という謎の衝撃音と共にさらなる大きな揺れに見舞われ、足を引いたままだった私は、大きくバランスを崩してしまった。皆まで言うな。またこけた。

 先ほどとはまた違った奇声を発しながら、私は再び勢いよく倒れ込んだ。なんたることか今度はクロスチョップである。ああさようなら、私の安全なる旅路。

 またも相当な威力だったらしく、危険な香りのする人物はちょっと痛そうなうめき声をあげている。

 彼がうめいている今が逃げるチャンスである。一応盛大に詫びを入れておいてから、私は返答を待たずして勢いよく部屋から飛び出した。

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