第2話 4月・暖簾の前で
「ひーぐーろおおおおおお!!!お前ら!!いい加減にしろーーー!!!」
初老の男が窓を見上げて怒鳴っている。
パリッとしたスーツに身を包み、眼鏡を掛けたこの男は林という名前である。
新入生を温かく迎え入れた矢先にこれだ。
「コラァァァ大学の恥晒しがああああ!!」
乱雑に放り投げられた暖簾を見て怒りに打ち震えている。
「もしもし?あ、今どこ?…うん…え?えーとそうだな…『サッカー同好会』とか書いてる下まで来てよ…横に怒鳴ってるオジサンいるからその辺り」
林はハッと我に帰る。隣にはスーツを着た天然パーマの女子学生が電話をしながら自分を目印にしているのだ。
これはいかん、学生と一緒になって騒いでいたらいかん。
大きく咳払いをし、いそいそとその場を立ち去った。実はもう一つ重要な仕事を任されていたのだ。身なりを整え、眼鏡のガラスを綺麗に拭き、口臭予防のタブレットを口に入れてからエレベーターのボタンを押した。
上昇するエレベーターの中で手帳を確認する。そこには『獅子神様 ご挨拶』と記されていた。
時は少し遡り、林が怒鳴っていた頃。
雨雫皿(うしずく さら)はスマホを耳に当てて待ち合わせの連絡を取っていた。
相手は大本(おおもと)という高校時代の友人。大本はゴリラみたいな体格と顔だから目立つけど、僕みたいな華奢な奴は到底見つからない。そう思った雨雫は、学内で比較的目立つ暖簾の前に立っていた。
「『サッカー同好会』とか書いてる下まで来てよ…横に怒鳴ってるオジサンいるからその辺り」
通話を終え振り向くと、オジサンは立ち去っていた。それにしても、と暖簾を見上げる。サッカーと菓子パの繋がりが分からない。
「雨雫ーっ」と人混みを掻き分けて大柄な男が近づいてくる。
「あ。ゴリラいた」
「誰がゴリラじゃ」
「分かった熊だ」
「熊でもねーよ!?何納得してんの?!」
人の流れが段々とバラつき始める。
「…そろそろ帰ろか、熊」
「あ、もう俺 熊認定なんだ、くまったな」
「ウザ」
「ひでえ無茶振りしたのはそっちだろ!」
場所は変わって応接室。普段は学生や講師が入られないような高級なフロアである。
そこにある豪勢なソファーにどっかりと腰を下ろしている3人の男女。後ろには執事らしきスーツ姿の男が数人整列している。
ソファーの正面には緊張で顔が強張った林がいた。
「し、獅子神(ししがみ)様、ようこそ我が大学へ。まさか、かの有名な財閥である獅子神グループの御曹司様がご入学されると」
「あー良いよ良いよそんな堅苦しーの。大学エンジョイするからよろしく〜」
真ん中に座っていた御曹司こと獅子神奏夜(ししがみ かなや)が右手でピースサインを作ってウインクを飛ばす。
「しかしながら…」
「それじゃあ、息子をよろしくお願いしますね」
息子の両脇を固めているのは勿論両親だ。
息子とは違い、少しピリついた空気を纏う2人に、林は黙って頷くことしかできなかった。
「そういえば熊はバイトどうすんの」
「だから熊じゃねーって!バイトはまあ、下宿先の近くにコンビニあるし、そこにしてみようかな」
ダラダラと歩いている2人の横を、男がすれ違いざまにチラリと目をやり、再び前を向いて歩き続ける。男の手には、絹で織られた浅葱色のハンカチが握られていた。
続く
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