転:夕暮れに影は這い寄る(1)

 四方を壁で囲まれた学園。その四隅に建てられた監視塔からけたたましい警鐘の音が響く。その闇夜を切り裂く鋭い音色に、学生寮の自室で健やかな寝息を立てていたカイトは慌てて飛び起きた。

「なんだ!? 敵襲!?」

 寝間着代わりのチュニック一枚だけの姿で、けれどもカイトはいつも枕元に忍ばせてあるナイフを片手に、素早く部屋の窓の横に張り付く。そうしてざっと室内を見回し、一応は危険がないことを確認してから、手鏡を利用して外の様子をうかがう。

 手鏡の狭い視界の中でちらほらと盗み見た限りでは、校内に敵の侵入している様子はなく、どうやらまだ学園を囲む四角四面の壁を突破された訳ではないらしい。

(寝間着のまま部屋の窓から飛び出して逃げる、なんて切迫した状況にはなってないみたいで助かったぜ……寝起き一分くらいで三階から飛び降りるとか、普通に自殺もんだしな……)

 軽く深呼吸をして浮き足立っていた思考を落ち着かせると、カイトは地上から姿が見えないように窓から離れ、装備の仕舞ってあるクローゼットへと静かに移動する。

「さて、これからどうするかね。クロードはまだ帰ってきてないみたいだし、武器だけでも持ってってやった方がいいか、入れ違いになる可能性を考慮してここに置いていった方がいいか……まだ内部への侵入を許してないなら態勢を整える時間的余裕はあるはずだし、途中で合流できたら俺の短剣貸してやるくらいの方がいいか」

 ぶつぶつと思考を垂れ流しにすることで逆に頭の中を整理し、何をするべきかこれからの予定を明確にしていくカイト。あれやこれやと考えながらも外から見えないよう半開きにしたクローゼットの扉に身を隠し、チュニックの腰紐をほどく。

 何の抵抗もなくすとんと肩口から落ちるチュニック。肌着も何も身につけていないので、階下の松明の明かりでぼんやりと照らし出された部屋の中に、青年の適度に鍛えられた裸身が浮かび上がる。

 ついでにへその下で蝶々結びされている下着の留め紐にも指をかけると、躊躇なくそれをほどいた。そして密着している下着と肌との間に指を差し入れて適度に隙間を作ると、寝汗でしっとりと濡れたそれを一気に足首までずり下げる。その場で足踏みをするようにしてつま先まで引き抜くと、下敷きになっていたチュニックもろとも足の指で摘んで持ち上げ、ベッドの上へと無造作に放った。

 そうして一度身につけているものを全て脱いで全裸になると、普段履いている紐綴じのものとは違い、ぴったりと肌に吸いつく素材で作られた下着をクローゼット備え付けの引き出しから取り出し、手早く履き直す。

 太ももを軽く締め付けるそれの裾に指を入れてよじれを直し、腰周りのゆがみなどもゴムをぐいと引っ張って位置を調節する。満足のいく位置に納められたところで、なだらかな起伏を描く鼠蹊部に、パチン、と小気味よい音を立ててゴムを打ち付けた。

 さらに、同じ素材でできた防刃加工済みのインナーシャツも頭からかぶるように着ると、軽く腰をひねったり腕を回したりして、しわになっている部分を伸ばす。インナーがしっかりと肌に密着すると、成長期らしく余計な肉のない引き締まった腹のラインや、日頃から身の丈ほどもある大きな得物を振り回しているためよく鍛えられた肩や胸の筋肉のシルエットなどが傍目からでも見て取れるようになる。

 最後に昨日洗濯したばかりでノリのきいたシャツを羽織り、さらにその上から要所に鉄板の入った上着に袖を通せば、上半身の準備は終了。


 お次は下半身ということで同じく防刃加工の施されたタイツを履き、指の形が浮かんで見えるくらいにまでしっかりと生地を引っ張る。指をもにもにと動かして具合を確かめたら、その上から膝などを鉄板で保護した無骨なズボンを履く。

 シャツの裾をしっかりズボンの中に入れ、色々な小物の入ったポーチも一緒にベルトで留めると、付属のホルスターに採集用の短剣を差し、ずり落ちないようにボタンで柄を押さえる。

 ポーチの中身を指先で軽く確認し、最後に身の丈程もある大きな両刃剣を背負えば、これで身支度は全て完了である。

 ひとまずベッドの上に放り投げておいたチュニックと下着を回収し、クローゼットの中に適当に放り込みつつ、カイトは再び窓の外の様子を軽くうかがう。

 至る所に松明がかかげられ、真昼ほどではないが明るく照らし出された校内。遠くから刃が肉を切り裂く音、人々の勝ちどきの声、獣の荒々しいうなり声、魔術と思しき爆発音などが響いてくるが、それらはまだ城壁の外でのこと。壁の内側で戦闘が発生しているような様子は感じ取れなかった。

(出張亀は気乗りしねぇけど、これだけ待っても戻ってこないってことは、やっぱこっちから行った方がいいんだろうか……)

 カイトが警鐘に飛び起きてから既に十分あまり。すぐさま荷物を持って駆けつけて現場に遭遇してしまっても気まずいなと思ったのでしばらく様子を見てゆっくりと準備をしていたカイトだったが、さすがにもう着るものを着るくらいの身支度は整えているだろうと判断し、クロードのベッド側に置いてあるチェストを開いて、彼の双剣だけをとりあえず手に取った。

 そうしててこてこと階段を降り、女子棟へ行こうかと一階のロビーへ来たところで、

「遅いぞ。お前なら五分以内には飛んでくると踏んでいたのに」

 と、階段のすぐ脇で仁王立ちしていたクロードからお叱りの言葉が飛んできた。

「えぇ……お前らの初夜を邪魔しないようにって気を使った結果なのに……」

「そういう気遣いは要らん。そもそも人に見られて困るようなことは何もしてないからな」

「え、うっそ……初夜なのに……?」

 本当に心底から驚いている様子のカイトに、クロードは深く深く溜息を吐く。

「お前がレナから性欲魔人と揶揄されていた理由がよく分かった。金輪際お前の下着は別に洗うからな」

「なにその思春期の女子みたいな。パパの服と一緒に洗濯しないでって言ったじゃん的な?」

「あぁ、クリス。存外早かったな。まぁ、意味はよく分からないが、たぶんそんな感じだ」

 いつの間に忍び寄っていたのか、階段のど真ん中を占領するカイトの後ろから、ひょっこりとクリスが顔を出す。さっとシャワーを浴びてからきたらしく、深夜だというのにふんわりと石鹸の香りがカイトの鼻腔をくすぐった。

「えーーーー、俺の時と態度が違くなーーーい?」

「そりゃそうだろう。別にクリスのことは急いで待っていた訳じゃあないからな」

「マージかよ、差別だ差別ーーー」

 ぶーぶーとカイトが非難の声を挙げていると、ようやくといった様子でレナが女子棟に続く通路から姿を現した。

「あら、ごめんなさい。あたしが最後だったのね。てっきりクリスが最後だと思ってたわ」

「なにこの謎の信頼。手早く身支度済ませちゃって、逆に申し訳なくなってくるんですけど?」

 納得がいかないとばかりに眉間にしわを寄せ、クリスが内心複雑そうに首を傾げていた。

「まぁ、いいだろう。とりあえずは状況の確認だ」

 カイトから双剣を受け取り、とりあえず寝間着の腰に巻いたクロードが、三人を寮の外へと促す。一番詳しく状況を把握しているに違いない教師陣のところへ移動しようということだった。その指示に異論はないので、三人もそれ以上無駄話はせず、すんなりとすぐそばの出入り口に向かった。


 そして、観音開きの木製のドアを大きく押し開けたところで、玄関のほんの数歩先にいた四足歩行の魔獣と目があった。

 握りこぶしほどはあろうかという巨大な緋色の目玉の中で、キュウと瞳孔の収束する様子がはっきりと見て取れる。それほどの近距離。待ち伏せされていたにも関わらず先手を取られずに済んだのは、ひとえに相手が室内灯の明るさに目が眩んで、一瞬反応が遅れたからに他ならない。

 全身から冷や汗が吹き出すのを感じながらクロードが腰の得物に手を伸ばそうとしたところで、彼の腕の下から顔を出したクリスが、抜き撃ちの三連射。獣の額に三つの風穴が開く。いつの間にか装着されていたサイレンサーのおかげで、銃声はほとんど響かない。

 さらに、相手の傷が治るまでのわずかな間にその懐へとスライディングで飛び込み、拳銃から変態モード・チェンジさせたショットガンで、無防備な腸を根こそぎ吹っ飛ばした。

 優に数百kgはあるだろう巨体が一瞬宙に浮くほどの衝撃。魔力変換式のためリロード要らずの二連装ショットガンを二丁で合計六連射というオーバーキル。

 どれほどオーバーかと言えば、腹部の肉が内臓も含めてほぼ全て消失し、背骨くらいしかまともに残っていないという有様。魔獣が持つ吸血鬼の血を全て消費しても修復不可能なほどのダメージを一発で与えることで、相手に何もさせないうちに仕留めてしまった。

「うわー、びっくりしたー。あやうく初手でゲームオーバーになっちゃうところだったー」

 無骨で大振りなショットガンをデフォルトの拳銃の状態へと戻したあと、クリスは大して驚いていなさそうな声で驚いたーと言いながら額に浮かんだ汗を拭う。その全身は魔獣の腹部から迸った返り血にまみれていたが、魔獣の亡骸が溶けるように消えていくのと同時に、返り血も跡形もなく蒸発した。少年の上着にべっとりと付着していた大量の鮮血は、わずかなシミすら残すことなく、きれいさっぱり消えてしまった。

 これもまた吸血鬼の――それもとりわけ「成り立て」の吸血鬼の特徴である。

 「ただそこに生きている」だけで世界の法則をねじ曲げている吸血鬼は、魂が消滅し、肉体が吸血鬼としての状態を維持できなくなると、世界からの修正力によってその存在を跡形もなく抹消されてしまう。故に、死してなおその肉体が亡骸としてきちんと残るような吸血鬼は、世界からの修正力などものともせず、この世に覇を唱えんとする強大凶悪な輩ということになる。

 そして、おそらくはこの襲撃の首謀者である獣様の吸血鬼も、一つの都市を相手だって大立ち回りを演じられるほど巨大な系譜ファミリアを率いていて、幾度となく人間世界に仇なしてきた悪逆の徒ということで間違いない。

 であれば、カイトたちのやることは一つ。売られたケンカは買う。ただそれだけ。

「すまん、クリス。助かった」

「いや。だいじょぶだいじょぶ。こっちのことあんな露骨に挑発してくるようなタイプだし、絶対このくらいのことはしてくるだろうなって予想してただけだから。むしろ、配置されてたコマがマヌケで助かったよ」

 さすがにこの状況下を寝間着で移動しようなどとは浅はかだった。そう肩を落とすクロードに、クリスはなんでもない様子で言葉を返した。おそらくは気にするなと慰めているのだろうが、いかんせん伝わりづらい。

「うーむ、しかしそうなると、もう城壁の防備は突破されちまったってことか? 帝都の方は大丈夫なのか?」

 動揺から多少立ち直ったらしいカイトが当然の疑問を口にする。

 彼がほんの五分十分前に自室からうかがった限りでは、襲撃は壁の外で食い止められていた様子だったのに、蓋を開けてみればこれである。となれば、城壁の向こうから聞こえてきていた戦闘音も、本当のものなのか怪しくなってきてしまう。

 さて、どうするべきか。と四人が首をかしげていると、寮から校舎へと通じる道に何かが動く気配。

 寮から漏れる灯りや敷地内に設置された篝火が届かない闇の中であるためはっきりとは姿が分からないが、このタイミングでなるべく足音を立てぬようににじり寄ってくる存在など、敵と考える以外の理由がない。

「まともに状況整理するひまも与えないってか? ご苦労なこって」

「五分に一回戦闘なんて、これはもうこの台詞の出番かな? 「話の途中ですまないが、ワイバーンだ!」」

「いや、ワイバーンなんかに来られたら、俺たち程度じゃひとたまりもなく死ぬだろう」

「ごめん、ネタにマジレスされると反応に困る」

「ちょっと静かに。今集中してるから」

 武器を構えつつのんびりと無駄口を叩いていたら、魔術の発動態勢に入ったレナにぴしゃりとたしなめられてしまった。心なし真剣な面持ちになった三人は、レナの射線を確保するため、摺り足で互いの位置を調節する。

 短い詠唱ののち、牽制と光源確保を目的とした小さな火球がいくつか闇の中へと撃ち込まれる。それらは地面に接触するとパッと燃え上がってほんの数秒限りの火柱となり、周囲を明るく照らし出した。

 その明かりで敵の位置を確認すると、カイトとクロードは同時に走り出した。

 総数は三体。どれも先ほどクリスがはらわたを吹き飛ばしたのと同じ四足歩行タイプの下級魔獣だった。しかし、普段ならば一人一体を相手にしてもお釣りが来る程度の相手であるが、吸血鬼化されているだろう今の状態ではその強さは未知数。軽率に一対一を狙うべきではない。

 ただし、カイトたちもそんなことは百も承知である。あえてカイトとクロードがそれぞれ別の相手に突撃する体をとったのは、あくまでも陽動。ほんの一瞬でも後衛のクリスたちから敵の意識をそらす為の囮である。

 そして、いくら吸血鬼化してステータスにバフが乗っているとはいえ、元が十把一絡げの雑魚魔獣。元々の知能の低さまではそう簡単にカバーしきれるものではない。あっさりとカイトたちの目論見にはまり、二方向から突っ込んでくるカイトたちのどちらに対応すべきかと視線を逡巡させてしまう。思考が混乱し、動きの止まった一瞬を見逃さず、そのマヌケな頭へクリスの狙撃が決まった。

 頭蓋骨を突き破り、ほんの数cmほど脳内を蹂躙したところで、魔力で作り出されていた弾丸が元の状態へと戻り、魔獣の頭蓋の中で炸裂する。電子レンジにかけられた生卵のように内側から破裂する魔獣の頭部。脳漿と血液をまき散らし、ぐらりと力なくくずおれる胴体。

 いかに吸血鬼へと変性し、強力な治癒能力が備わっているとはいえ、その命令を出す器官自体を喪ってしまえば意味はない。強力な吸血鬼であれば、頭を含む体の半分を消し飛ばされたとしても、即座に元通り修復することが可能であるが、一山いくらの木っ端吸血鬼にそんな大きく世界の理を歪める大道芸などできるはずもなく。頭部の上半分を喪った下級魔獣三体は、そのまま第二の生の幕を閉じたのだった。

「くそ、寝間着に肉片が」

「少し待てば消えるから大丈夫だろ」

「確かにそうだが、そういう問題じゃないんだよ。明日もこれ着て寝るんだぞ?」

「え? うん?」

「ダメだこいつ、それが何か?って顔していやがる」

 ぶつくさ雑談を交わしながら戻ってくるカイトとクロード。目の前で生き物がかなり凄惨かつ無惨な死に方をしているにもかかわらず気にするのがそこというあたり、クロードも相当という感じである。五十歩百歩。


 といったところで、校舎の方向から二足歩行の足音が響く。

 即座に警戒態勢に移る四人だったが、篝火の向こうに現れた教官の姿を見て緊張を解いた。

「あぁ、お前たち。丁度いいところに。今お前たちを呼びに来たところだったんだ。というか、何故警鐘が鳴っているのに外に出ている。他の生徒たちは皆自室で待機しているだろう?」

「あー、いやー、うん、ほら、昼間に吸血鬼襲来の話聞いてたじゃないですか。だからつい、ね……?」

「つい……じゃない。もし眷属の吸血鬼と遭遇していたらどうするつもりだったんだ」

「あ、それならさっき遭遇しましたけど、まぁ、なんとかなりました」

「なんとかなりました、じゃない。先ほど城壁の一部が破壊されたという報告も入ってきているし、今はまだお前たちでもなんとかなるレベルの眷属しかいないかもしれないが、じきに城壁外で食い止められていた強力な魔物が入り込んでくるぞ」

 とりあえず叱責を飛ばしたところで、いや本題はそこじゃない、とセルフつっこみを入れて話題の軌道修正を図る教官。

「お前たちを呼びに来たのには理由があってだな」

「伝令を頼みに来た?」

「その通りなんだが、クリス、私の台詞を先取りするな」

 クリスの頭に鋭くチョップ。そしてそのまま何事もなかったように話を続ける。

「お前たちには、クローディアの支部にいるはずのレオン殿にこの緊急事態を伝えに行って欲しいのだ。不甲斐ない話だが、我々は帝国の駐屯部隊と共に学園の防衛をするに手一杯で、帝都まで伝令を派遣する余裕がない。私も、お前たちを見送ったらすぐに戦線に戻る。なので、お前たちにはこちらの状況を伝えると共に、帝都側の状況も確認してきてもらいたいのだ。頼めるか?」

 これは衛兵などに誰何された時に使え、と教官が封印のされた書状を差し出す。

「アティール子爵の印だ。本来なら持ち主であるルート殿の許可を得るべきなのだろうが、緊急事態故無断で使わせてもらった」

「えぇ……無断はちょっとヤバくないっすか? 俺、他人の罪で投獄されるのはイヤですよ?」

「でもそれ、逆に言えばルートと連絡が取れないってことだよね? 先遣隊は大丈夫なの?」

 親友の安否が気にかかるクリス。

 通常であれば、たとえ離れていても事前に念話のラインをつないでおけば連絡を取り合うことができる。当然、情報の伝達速度が肝となる今回の作戦でも、先遣隊は後発隊とラインをつないでから出発していたはずである。それがつながらないということは、向こうの術者がラインを一方的に遮断したか、もしくは何らかの理由によりラインを維持できなくなったかの二択。そして、このような状況下で言うところの「何らかの事情」など、考えられるものは一つしかない。


 すなわち、術者の死亡である。


 さらに、本陣の最奥にいる念話術者にまで害が及んでいるということは、先遣隊そのものが壊滅的な被害を受けている可能性まで浮上してくる。故にクリスは、先遣隊の指揮を任されているであろう親友の安否を心配しているのである。

「……正直なことを言おう。我々は先遣隊からの最後の通信で、彼らが吸血鬼側から逆に奇襲を受けたこと、さらにその中にアウルミルの姿が確認されていることの報告を受けている。ルート殿の状況については、すぐさまアウルミル迎撃に出たというところまでしか分からない。お前は聡い子だからな、下手に隠すよりは包み隠さず話した方が、うまく自分の中で落としどころを見つけてくれるだろうと判断した。子供一人の心もろくに守ってやれない大人ですまないな……」

 その言葉が嘘偽りない本音であることは、クリスの視線を真っ正面から受け止めるその真摯な態度から伝わってくる。

 もしかすると既に親友がこの世にいないかもしれないと暗に告げられたクリスは、けれど、深呼吸を一つ、いつもと変わらぬ生意気な笑顔を浮かべてみせる。

「なーに辛気くさい顔してるのさ、教官。カイトやクロードならいざ知らず、ルートだよ? そのくらいの窮地、「うわー、さすがにびっくりしました」とか言いながら何食わぬ顔で切り抜けてくるって。心配いらないよ」

 その一見脳天気とも取れる言葉を受けて、教官は何かを言おうと口を開き、結局何も言えずに押し黙るしかなかった。

「……それで、帝都までの移動手段は? 今の話を聞く限りだと、早馬を走らせるくらいしかないのかなと思いますが」

 重苦しい空気を断ち切るため、努めて空気の読めないふりをしながらレナが話題を元に戻す。本当にレナは「強い」なぁ。と、その場にいた誰もが思った。

「その通りだ。お前たちには二人一組で馬に乗って帝都まで早駆けをしてもらう。お前たちを乗せた馬を無事城壁の外へ送り出すまでが、私にしてやれる精一杯だ。あとはお前たちが自力で何とかしろ」

「えーっと、教官、一つ質問」

「なんだ? 言ってみろ」

 律儀に挙手をしたカイトに、律儀に応じる教官。

「今の話聞いた限りだと、城壁の外の方が相対的にヤバい吸血鬼の眷属に遭遇する可能性が高いと思うんですが、もし仮に俺たちだけでそういうのに遭遇してしまった場合はどうすれば?」

「いい質問だ。そのためにお前たちを選んだんだからな」

「と言うと?」

「お前たちなら、たとえ自分たちよりはるかに強力な敵と遭遇しても、とりあえず逃げるだけの機転は利かせられるだろう? それに、ほんの数km早馬で駆け抜けることが目的だからな、銃と魔術と、遠距離からの攻撃手段が豊富なチームである方が好ましかったんだ」

「……それはつまり、俺たちに鉄砲玉をやれということでは?」

 気付いてはいけないものに気付いてしまった顔をするクロード。対する教官は「はっはっは」と笑うのみ。それが答えだった。

「さぁ、時間がないんだ。早く厩舎へ移動するぞ」

 露骨に話題を切り上げ、一行を追い立てる教官。「鬼畜ー! 悪魔ー! 人でなしー!」などと抗議の声を上げるも、あえなく黙殺されてしまう。

 そうしてある程度のおふざけが終わると、あとはカイトたちも周囲を警戒しつつ黙々と移動を開始する。こういう切り替えの早さが、カイトたちが戦場を駆け抜ける伝令役に適していると判断された要因の一つなのだろう。本人たちとしては不本意かもしれないが。

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