承:真夏の太陽は恋に似て(2)

 と、彼らがどこかほっこりとした空気に包まれたところで、講堂のドアがあわただしく開かれ、試験結果の記入された大布を持って教員数名が現れた。

 やにわに講堂の中の空気が緊張する。それ以前もどちらかと言えば張りつめた雰囲気はあったのだが、教官が現れた今となっては、先ほどまでの張りつめ具合など比べものにならないほどの緊張が、その場を満たした。

 掲示が終わると教員たちは速やかに生徒たちのために場所を空け、入ってきたドアの横にひと塊になって控えている。

 カイトたちもすぐにでも確認に行きたいところだったが、あまり急ぐのもがっついているように見えて良くない、という思春期にありがちな謎の見栄っ張り思考を披露し、人垣がある程度まで捌けるのを待つことにした。

 ところが、結果発表を見た生徒たちが、次々に驚きの表情を浮かべてカイトたちを振り返るではないか。その様子をさすがに不審に思ったカイトが立ち上がろうとするが、背の小さなクリスがその動きを手で制し、人混みの隙間をぬってすいすいと垂れ幕の前まで移動した。

 そして、すぐに行きよりもさらに厳しい顔を浮かべて戻ってくる。その中に混じった困惑の色を目ざとく読みとったクロードが「……何かあったのか?」と静かに問いかける。

「うーん、何と説明したらいいか……端的に言うと、ぼくら…試験、落ちてた」

 無言のまま目を見開く三人。

 一瞬ののち、すっくとレナが立ち上がり、歩き出そうとした矢先、大慌てで飛びついてきたカイトとクロードに羽交い締めにして動きを止めた。

「待て! 早まるな! まずは落ち着いて理由を聞きに行こう!」

 すさまじく慌てた声音でカイトがレナに呼びかけ、クリスも「どうどう」と応援に回る。

「ダメよ。納得がいかないわ。どうしてあたしたちが落第なのか、その理由をきっちりかっちり重箱の隅までくまなく教えてもらわないと、あたしは止まれない」

「それは俺たちも同じ気持ちだが、今は耐えろ! 今のお前は弾みで教官たちに魔術をぶっ放しかねない!」

 故意に人身事故を起こされてはたまらない! と必死にレナの暴走を押しとどめ、沈静化するまでひたすら耐える。そうしてあれこれ攻防を繰り返すこと数分。結果発表の垂れ幕の前から人がいなくなるのとほぼ同時に、レナはようやく全身にみなぎらせていた怒気を引っ込めた。

「少し……落ち着いた。向こうも待ってくれているみたいだし、なるべく穏便に話を聞きに行きましょ」

 長く、静かに息を吐いたレナがいつもの雰囲気に戻っているのを確認すると、カイトたちはようやく三人がかりによる拘束をほどいた。そして、そのまま四人連れ立って、講堂の入口脇で彼らが来るのを静かになっていた妙齢の女性教官に声をかけた。

「教官……理由、教えてもらえます?」

「あぁ、もちろんだ……だが、ここでは駄目だな。少し場所を移そう」

 講堂内に残っている生徒たちからの好奇の視線を感じ取った教官が、あごで外を指し示す。その指示に従い、カイトたちは講堂を出て、人通りのすくない場所まで移動する。奇しくも、その場所は、これからクロードが一世一代の大勝負にでるはずの空き教室のすぐ近くだった。

「さて、ここまでくれば大丈夫だろう。まずは、何が原因でお前たちが落第だったのかを教える。その後、何故そんなことが起きたのか、考えられる理由を教えてくれ」

「……?」

 その妙な表現に引っかかりを覚えるカイト。けれど、誰何の声を上げるよりも早く、教官が話を再開した。

「端的に言ってしまえば、お前たちが提出したキマイラの素材。あれはキマイラのものではなかった」

「はぁ!?」

 何をバカな、という顔で素っ頓狂な声を上げるカイトたち。けれど、クリスだけは冷静に、あごに指を当てて数秒押し黙る。

「それはつまり……あれはキマイラではなく、別の何かだったってことですか?」

「察しがいいな。そういうことだ。我々が鑑定した結果、お前たちが言うところのキマイラの素材は、あの階層では一般的な魔物であるワーウルフの牙とジャガーフェイスの毛皮であることが分かった。こいつらは一頭ずつ討伐したところで、とてもではないが合格点を出せるレベルの魔物ではない。だが、私はお前たちが嘘を吐いているとは思っていないし、同席していたルート殿からも同じような意見をもらっている」

 そこで一旦言葉を切った妙齢の女性教官は、ゆっくりとカイトたちの顔を見回す。

「……そこで、先ほどの発言になる訳だ。お前たちはあの日、あの場所で、いったい「何」と戦ったのだ?」

 自分たちの仕留めたものが何だったのか。そんなことを聞かれたところで、今の今までそんなことを意識したこともなかったカイトたちにしてみれば、キマイラはキマイラだったとしか答えようがない。

「……もしかして、ここ数日異様に魔物の素材が出回ってることと関係あったりする?」

 あごに指を当て、しばし沈思黙考のポーズを取っていたクリスが、再び真剣な面もちで口を開いた。

「え、なに、どゆこと?」

「あぁ、さすがルート殿の元相棒。本当に察しがいい」

「この前帝都に買い物に行った時から、ちょっとおかしいとは思ってたんだよね。いくらなんでも量が多すぎるって」

 何がどうなればそんな思考の飛躍が起きるのか、全く以て見当のつかないカイトたちが目をまん丸にする横で、クリスは教官と共に二人だけで話を進めていってしまう。

「ぼくが確認した限りでも、第二城壁の商店街。第五区の大型百貨店。第三区の術具の見本市マーケット。みんなみんな供給過多の安売りセールをやっててさ。偶然っていう可能性もあるにはあるけど、これだけ同時多発的に供給過多になるなんて、よっぽど偶然に偶然が重なりまくらない限りはあり得ないでしょ。だってそれぞれ仕入れてる魔物の素材は全然別物なんだよ? なのに軒並み供給過多の状態に陥るなんて、誰かが意図的に引き起こしてるとしか思えないでしょ」

 たしかに、今クリスの挙げた場所は冒険者たちから積極的に魔物の素材を買い取っているところであり、たとえばどこぞの冒険者が気合を入れすぎたせいで何かしらの素材が大量に市場に流入し、一部の商品の値段が引き下げられることはある。

 けれど、これらの市場が欲しているものは決して単一の魔物から採れるものではない。時折発生する素材の供給過多は、あくまでも市場の一部に限られたことであり、いくら冒険者が徒党を組んで魔物狩りに勤しんでみたところで、彼らは大量輸送の可能な流通経路を持っている訳ではないので、一度に市場へと運び込める量は自然と限られてくる。

 つまり、大規模な運搬能力を持った何らかの集団が組織だって行動を起こしでもしない限り、帝都中の市場で素材の供給過多などという事態は引き起こせないのだ。

 裏を返せば、そういった事態が現に発生しているということは、そこには確実に何者かの意図が働いているということになる。

 そこに今さっき聞かされたばかりの事実を加えて、クリスはこう考えた訳だ。「誰かが元々迷宮に棲息していた魔物を駆逐して、代わりに別の「何か」をはびこらせようとしてるんじゃない?」と。

「別の……何か……?」

 そんな荒唐無稽な話、にわかには信じられるか。思わず声の漏れたクロードの顔には、そんな言葉が書いてあるようだった。

「まぁ、普通はそうだよねー……でも、聖教会的には、思い当たる節がない訳でもないんじゃない?」

「まさか……吸血鬼……?」

「……その通りだ。我々は、この事態を、この国においては約十年ぶりとなる吸血鬼による侵攻だと予想している」

 クリスからの問いかけ、そしてレナのこぼした言葉を、教官は渋面を作って肯定する。


 吸血鬼。


 それはこの世界において、もはや厄災とでも呼んだ方がいいほどの人類にとっての「天敵」である。

 なにしろ、彼らは生命維持のために人を食らう。

 それだけを聞けば、野山にいる熊や森に棲む狼なども人を襲い、その肉を食らうことはある。天敵などとはおおげさな、と思うかもしれない。しかし、そういった野生の肉食動物にとって人間は、「食べられるものの一部に含まれている」に過ぎない。

けれど、吸血鬼にとっての人間は、そうではない。

 そもそもとして、彼ら吸血鬼は「人間しか食べない」。「人間からも栄養が取れる」のではなく、「人間だけが栄養源」なのである。

 つまりはどういうことか。彼ら吸血鬼は、そのほぼ全てが人間の中から生じ、人間を食らって成長し、人間にのみ仇なす存在となる。

 これを「天敵」と呼ばずして、他に何と呼ぼう。もちろん、その性質上、中には人間ではなく獣などを栄養源とするものもいるが、それはごく少数であるため、今はさておく。

 そして、この「天敵」の存在こそが、聖教会がわざわざ全世界に「学園」を設立し、各地で戦力となる人材の育成に力を注いでいる真の理由である。

 かつて混沌に満ちていた世界に秩序の光をもたらし、あまねく不浄を地上から祓い清めた聖レヴェノスを信仰する彼ら聖教会にとって、吸血鬼とは聖レヴェノスの威光に背を向け、再び地上に不浄を蔓延させんとする絶対の異端である。無辜の人々の安寧を脅かし、不浄を以て人間世界を転覆せしめんとする彼らを、聖教会は決して赦さないし見逃しもしない。

 吸血鬼を発見し次第即座に討滅できるように、聖教会は世界中の教会に戦力を駐屯させ、各地の防備に当たらせている。さらには、吸血鬼を討滅するための専用部隊も編成し、吸血鬼発見の報が届き次第速やかに現地へ部隊を派遣、対象を撃滅するべく聖教会の総本山に待機させている。

 そして、その対吸血鬼専用部隊こそが、ジャッジメント。ほんの数ヶ月前にクリスの元チームメイトであるルート・フォン・スフィールが若干十五歳にして選出された、精鋭中の精鋭部隊である。

 しかし、彼らが対吸血鬼用の特殊部隊であるということは、公にされてはいない。あくまでも、表向きには教皇直属の近衛部隊という位置づけである。

 なにしろ、彼らの部隊の結成理由をつまびらかにするということは、神に愛されたる人間の中から、その御心に背くものがいるということ――つまりは神の威光が絶対ではないと宣言するようなもの。そんなこと、神の愛し子たる聖レヴェノスを崇める聖教会としては、決して公的に認めることはできない。

 ゆえに、ジャッジメントはその真の目的を伏され、表面的には世界中の信徒を束ねる教皇猊下のお側に使え、その御身をお守りする栄誉ある部隊として扱われている。

 深い溜息と共にかぶりを振った教官は、「これは他言無用だぞ」と前置きしてから話を続けた。

「こんなことは考えたくもないが、我々は、ほぼ間違いなく吸血鬼の脅威にさらされている。それも、十年前、様々な幸運に助けられてようやく撃退した彼の悪名高き獣王――」

「――アウルミル」

絞り出すような声で、カイトがその名を呟いた。

「凶星の祖に名を連ね、数百年に渡って聖教会と血で血を洗う殺し合いを繰り返している、最低最悪の熊もどき野郎……」

「……あぁ、その通りだ。すまない……だが……」

「分かってますって。だからわざわざ俺に話してくれたんでしょ? 一人で先走るなよって釘を刺す意味も兼ねて」

「はぁ、お見通しか……まさか心配する側が気を使われてしまうとはな」

「ねぇ、ちょっと待ってよ。あたしは全然話が見えないわ」

 教官とカイトがなにやら二人で勝手に通じ合って勝手に話を進めていってしまっているところに、眉間にくっきりとしわを寄せたレナが置いてけぼりにするなと抗議の声を上げた。

「あぁ、そうか。お前やクリスは知らないんだったな。カイトがここの孤児院で育った理由」

「まぁ、別に言いふらすようなものでもないし……」

 クロードの言葉に、決してのけ者にしようとしていた訳ではない、と弁解の表情を浮かべながら、カイトはばつの悪そうな様子で頭をかいた。

「俺さ、今でこそクーランジュって名字だけど、昔はツェリエガだったんだよ。カイト・ツェリエガ。ツェリエガ村のカイト。これでなんとなく話は伝わった?」

「伝わった……と言いたいところだけど、どうやらとても大事なことみたいだから、あなたの口から、あなたの言葉で、はっきりと聞かせてもらえるかしら? …ごめんなさい、イヤなことを強制させて」

 カイトの出身を聞いたレナははっと息を飲み、両手で口元を覆った。そして、しばし目を伏せたあと、カイトの顔をまっすぐに見据えて、そう言ったのだった。

 レナは本当に「強い」なぁ…と苦笑を浮かべたあと、一度息を吐き、軽く吸ってから、カイトもしかとレナに向き直る。

「そうだよ。俺は、十年前、あのクソ吸血鬼に壊滅させられたツェリエガ村の生き残りだ。あの夜の光景が今でも忘れられないから、いつかこの手であのクソ野郎をぶち殺してやりたいから、俺はこうしてこの「学園」で吸血鬼と闘うための力を磨いているんだ」

 真っ正面からぶつけられた言葉。そこに込められた意志の強さを感じ取り、レナはむしろニコリと微笑んだ。

「あんたがジャッジメントを目標にしてる理由、ようやく分かった。クリスとチームメイトになってなかったら、同じ話聞かされても意味分かってなかっただろうとは思うけど」

「それはつまり、ぼく様々ってこと?」

「悪いが少し黙ってろ。今おそらく感動的な場面だから」

 あえて空気を読まずにおちゃらけてみようとしたクリスだったが、流石に時と場合を考えろ、とクロードに口を押さえられた。

「まぁ、俺が特殊なだけだろ。普通はスカウトされた経験がある訳でもないのに、あの部隊の本当の任務について知ってる若者なんていないだろうし」

 カイトは、吸血鬼に襲われ、村を壊滅させられながらも救援が来るまで発見されずに済んだという奇跡を成し遂げているため、当時その場に派遣された隊員から、ジャッジメントという部隊の真の目的について聞かされていた。そして、自分もいつかは襲い来る吸血鬼の群れをなぎ倒し、活路を開いてくれた彼のようになりたいと、日々研鑽に励んでいるのだった。

「で、先生? あたしたちにそんな話をした本当の理由は何ですか? なんとなく予想はつきますけど、そこは、ほら、やっぱりきちんと先生の口から聞きたいじゃないですか」

 柔らかく目尻を下げた状態からシームレスに鋭い目つきへと変貌させ、レナが静かに妙齢の女性教官を見上げる。

「……流石は「冷たい炎の女王様」だな。そうやってねめつけられると、肝が冷えるような思いがするよ」

「なっ!? そ、そういう学生同士のおふざけをこういう場に持ち出してくるのはやめてくださいよ!」

「ははは、いくら私が生徒たちから遠巻きにされているからといって、そういったトレンドにも疎いとは思わないことだな」

「ちなみに密告者はワタシデース」

「クリス、それはこれから一ヶ月、あなたの夕食のデザートをあたしにくれるっていう宣言でいいのかしら?」

「おっとぉ~? このタイミングでの自白は自殺行為だったかな~? うまい具合に普段の意趣返しになると思ったんだけどな~?」

「で、話を戻してもイイデスカ?」

「なんでカタコト?」

「いや、お前のマネ」

「そうだな。クーランジュの言うとおりだ。いつまでもお前たちを拘束していては、他の生徒たちからいったい何事だと怪しまれてしまう。ここからは無駄話なしでさっさと片付けよう」

「は~い」

 元気に手を挙げるクリス。いけしゃあしゃあとはまさにこのことである。

「無駄話の原因が無駄にいい返事しやがって……で、俺たちはいったいどこの村に配属されるんですか?」

「ん? どういうことだ?」

「え、いや、てっきり吸血鬼の親玉退治はルートくんやここの教員たちが当たるとして、事が事なだけにあまりおおっぴらに帝都の守備隊は動かせないでしょうし、周辺の村への警戒には、実地研修とかって名目で俺たち学園の生徒たちを派遣することで対応するんだろうなと思ったんですが、違ったでしょうか?」

「いや、確かにそういう対応をするつもりだったんだが、流石にそれは単刀直入がすぎるぞ。今はその前段階として、お前たちがキマイラもどきと遭遇した場所や戦闘の様子などを聞かせてもらおうと思っていたんだが……」

「はっはー、クロード怒られてやんのー。このエエカッコしいめ……いたっ」

 流石に話が飛躍しすぎだとたしなめられたクロードを、カイトが指を差してからかうと、当の本人から照れ隠しのために無言の鉄拳制裁が下された。

「うん、まぁ、そういうことなら、一番場を俯瞰できる立場にいたぼくが適任かな?」

 急に真面目な雰囲気になったクリスが口を開いた。そのあまりの急転直下ぶりに、クロードすらも「お、おう……」と若干引き気味の反応をしてしまう。

「ぶ~、なにさ、その反応。ぼくは真面目なこととか言っちゃダメなワケ~?」

「いや、鋭角ターン決めてくるなと思って……」

「ふふん、ギャップ萌えというやつだよ」

「無駄話はなしで頼むと言ったぞ?」

「はーい。じゃあ率直に。たぶんアレは吸血鬼の「血」を使って別々の生き物を強引に「つないだ」だけで、僕らが戦った段階ではまだ吸血鬼化はしていなかったと思うよ。でなければ、初手で吹っ飛ばした蛇の頭が戦闘中に復活してないのはおかしい」

 吸血鬼。

 それは世界の理を歪め、完全なる不死へと至らんとするもの。故に彼らは例外なく強力な再生能力を持ち、多少の傷であれば数分とかからずに治ってしまうのが普通だ。

 であれば当然、カイトたちと戦っている間、それらしい兆候を何も示さなかったあのキマイラが、既に吸血鬼となっていた可能性はとても低い。けれど、クリスはあえて「まだ」という表現を使った。それは何故か。

 答えは簡単だ。

「吸血鬼になるには、一度肉体的に死ななきゃならない。もしかするとだけど、あのキマイラ、ぼくらとの戦いで丸焦げになって死んだのをきっかけにして、吸血鬼に覚醒してるのかもね」

 そう、吸血鬼が存在そのものを異端とされている理由。それがこの「一度死し、自力で蘇生したもの」であるという点にある。

 レヴェノス聖教において、死後の魂に安寧をもたらすことができるのは、神やその系譜たる神子のみ。そして、死後の魂に裁定を下し、輪廻の道を決めることができるのもまた、神と神子のみなのだ。

 故に、俗世を生きる凡百の魂にしか過ぎぬものが自分で勝手に死後の魂を元の肉体に輪廻させることなど、神への冒涜以外の何物でもない。神の威光を土足で踏み荒らし、その権威を地へと引きずり降ろさんとする存在を、聖教会は決して赦さない。だからこそ、彼らは血眼になって吸血鬼を探し、当人の身を以てその罪を購わせている。

「もし仮にその推測が当たっているとした場合、下手に迷宮から出てきた魔物を殲滅するのは危険ってことか」

 あごに手を当て、カイトがぽつりと漏らす。「だろうな」とクロードがうなずき、言葉を引き継いだ。

「もし同じように、まだ吸血鬼化していない魔物をけしかけられていた場合、倒した先から吸血鬼になって復活してきて二度手間三度手間になる、なんてことも十分にあり得るだろう」

「かといって、相手の戦力が全然分からないから、いちいち生け捕りにするのも効率が悪いわよね。ひょっとしたら、一万体くらい湯水のごとく出てくる可能性だってある訳だし」

「でもさでもさ、たぶんその点についてはある程度把握できてるでしょ? 市場に流通してる素材の量や種類を調べれば、だいたいどの階層のどのあたりが狙われたのかってのが推測できるだろうし。敵もたぶん、こっちが対策を講じられるようにそうやって挑発してきてるんだろうからさ」

 視線で話を振られた教官は一度嘆息し、そしてうなずく。

「お前たちと話をしていると本当に理解が早くて助かるんだが、こうも子供気なく聡いところを見せられてしまうと、少し末恐ろしい気がしてくるよ」

「ふっふーん、偉い?」

「あぁ、偉い偉い」

 胸を張るクリスの頭を軽く撫で、教官は話を続ける。

「状況はだいたいお前たちの推測通りだ。我々はこの数日の間に調査を進め、既に敵の潜伏している場所について、ある程度把握を済ませている。あとは本部から応援が到着し次第、アウルミル討滅作戦を開始する予定だ。お前たち学生には、このあと、午後から特別実地研修の実施を伝え、派遣先を知らせる予定でいた」

「ん? 応援?」

 教官の言葉を聞いたカイトが首をかしげる。

「うちには丁度ルートくんっていう専門家がいるんだし、わざわざ本部から応援を呼んでくる必要なんてないんじゃ……?」

「いくら単身での吸血鬼討滅実績を持つとはいえ、ルート殿がジャッジメントとして活動するのは今回が初めてだ。それに、凶星の祖と対峙する時は必ず複数の隊員で当たるようにと決まっている」

 さらに、と教官は指折り数えたあと、カイトに向かって意味深な目配せをした。

「今回は特殊なケースでな、前回戦ったことのある者がまだ存命ということで、「彼」の知恵と経験を借りることになった」

 「彼」という言葉を聞いた瞬間、カイトが「まさか!」と背筋を伸ばし、目を見開いた。

「そう、その「まさか」だ。今はアストール王国の客員軍人としてかの国で活動することが多いが、数年前まではこのクレメント帝国を専任地とされていた鉄拳の戦士、レオン・ゼクトール殿だよ」

 レオン・ゼクトール。ルートと同じく十代の頃にジャッジメントの一員となり、それから二十年近くが経つ三十半ばにして依然現役。接近戦を得意としており、渾身の力をこめて放たれるその拳は、巨大な岩石すらも容易に打ち砕くという。

 そして、カイトにとってなによりも重要なのは、彼がツェリエガ村への救援に駆けつけたジャッジメントであるということ。言い換えれば、レオン・ゼクトールという男は、カイト・クーランジュの命の恩人なのである。

 そんな人物がもうじきこの地にやってくるというのだから、カイトのテンションが急上昇するのもうなずけるというものだ。

「ちなみに、あの方の到着は今日の夕方だそうだ。そして明日の早朝、日の出前には既に迷宮周辺で陣を張っている先遣隊と合流するために出発するから、まぁ、一目見られれば御の字といったところだろうな。お前たちの出発はその後だ」

「いや、全然大丈夫です! むしろあの人にお礼を言うのは、俺がジャッジメントになって、対等の立場になってからって決めてるんで!」

「そうか。なら、しっかりと励めよ」

「言われなくとも!」

 そこまで話をしたところで、「さすがに時間をかけ過ぎたな」と教官は立ち去り、あとにはカイトたち四人だけが残された。

「うーむ、これはまずいな。興奮して、何か話をするというテンションではなくなってしまった…という訳だからクリス! ちょっと食堂まで付き合え!」

「えぇ……その話の運び方はちょっと雑じゃない? まぁ、元の予定よりは自然だから付き合うけど……」

 興奮冷めやらぬといった体で走り去っていったカイトの背中を追い、「じゃああとは若いお二人で……」と余計な言葉を置き土産にクリスも小走りでその場を後にする。

 そうして当初の予定通り、クロードとレナの二人だけが、ひと気のない空き教室の前に残された。

 しばしの沈黙。

 急に訪れた静寂に戸惑い、レナもクロードも口を開こうとしては閉じ、開こうとしては閉じ、を繰り返してしまう。当然のごとく二人からは死角になる場所から覗き見をしているカイトとクリスは、声に出すことなく「やれー! ぶちかませー! 当たって砕けろだー!」などと野次を飛ばしている。

 視界に入ってはいないが、そういう下卑た声援を投げかけられているのを肌で感じ取っているクロードは、(あいつら後でぶっ飛ばす……)と内心で悪態を吐く。

 そして、小さく息を吸い、吐き、また吸って、しかとレナの顔を見据える。


「……レナ、この後は空き教室で長期休暇の予定について皆で話し合おうという約束になっていたかと思うんだが、実はアレは嘘なんだ。本当は、俺からお前に、大事な話がある。そのためにカイトに嘘の予定でお前をここに連れてくる手筈だったんだ。まさか教官がここを密談の場所に選ぶとは思っていなかったから、ちょっと予定は狂ってしまったけど……」


「うん、まぁ、なんとなく適当な口実で呼び出されたんだろうなってのは予想がついてたけど……まさか「そういう」話?」

 眉尻を下げ、戸惑いを露わにするレナに、「そういう話だ」と真っ向からうなずくクロード。

「騙すようなまねをして本当にすまないと思っているが、真っ当に呼び出そうと思ったら、絶対に警戒されて応じてはくれないだろうなと思ったからな」

「ま、確かにそうね。あたし、色恋沙汰は嫌いですって体で通してるものね」

 嘆息し、軽くかぶりを振ったレナだったが、意を決したように顔を上げると、クロードの視線を真っ向から受け止める。

「さ、どうぞ。知ってるとは思うけど、こういうのをなぁなぁで済ませるのは性に合わないの」

「えっ!? そ、そんな言い方をするっていうことは、つまり……!?」

 覚悟を決めたはずのクロードだったが、当然玉砕するものと思っていたところに予想外のレナの態度を食らい、今度はこちらが困惑する。

「ほら、早く。あなたが言わないならこっちから言うわよ」

「いや! 分かった! 言う! 言うから! むしろ言わせてくれ!」

 普段の冷静な態度はどこへやら。完全にテンパってしまったクロードだったが、それでも雲散霧消しかけた理性をかき集めて精一杯の虚勢を張る。


「……レ、レナ……ずっと前からお前のことが好きだった。俺と付き合ってくれないか?」


「いいわよ」

 即答。しかし、緊張に凝り固まったクロードが何事かを言う前に、彼女は更に言葉を続ける。

「で、どこに付き合ってほしいのかしら? 買い物なら他に適任がいると思うけど」

「レ、レナ!」

「冗談よ」

 思わず非難の声を上げたクロードに、イタズラっぽくレナが微笑む。

「もちろん、その「付き合って」の意味は分かってるわよ。ちょっとからかってみただけ。じらされた仕返しにね。……えぇ、あたしなんかでよければ、よろこんで」

 にっこりと笑みを浮かべ、レナはクロードへと右手を差し出す。そして、恭しくその手を取った彼は、その指先に優しくキスをした。

「なっ!?」

 今度はレナが取り乱す番。

 「なっ、なっ、なっ」と壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返す彼女を見て、クロードが「……仕返しだ」を楽しげに目を細めた。

 そしてその様子を一部始終見せつけられていたカイトとクリス。最初こそゲスな野次を飛ばしていた二人だったが、途中からクロードたちのやりとりの甘酸っぱさに思考をヤられ、無言で頭を抱えていた。


 のちに彼らはこう語る。「前々からイケるとは思っていたが、まさか両片想いだったとは予想していなかったし、それが晴れて両想いになるとここまでの破壊力になるとは夢にも思っていなかった」と。

 これが、試験の結果発表当日、まだ太陽も南中していない午前のこと。まだ彼らが穏やかな日常を満喫できていたころのこと。


 それから丸一日が過ぎ、そろそろ日付も変わろうかという時間帯に夜襲を告げる鐘が打ち鳴らされ、嵐の前の静けさは唐突に終わりを告げた。

 そして、この夜を境に、カイトたち四人の運命も大きく動き出すことになるのだった。

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