7.炎に抱かれて、彼は笑った
アレンの声に呼応して、ガイの口角は嫌味なほど吊り上がる。それと同時に彼の周囲には炎の玉がいくつも浮かび上がり、ぶわりと熱気が一気に辺りを包み込む。ガイの指先に灯っていた小さな炎は、拳大の大きさにまで膨らみ、さらに腕まで侵食を見せている。その熱と同等の輝きを、ガイの瞳は燃やしていた。
「
その火が言葉と共に、爆ぜる。
爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。
火の玉があちこちで爆発し、その近くにいたバネ足ジャックが次々と巻き込まれていく。先程までのガイの火力に比べると、各段にその威力も火力も桁違いに上がっている。バネ足ジャック達の四肢は弾け飛び、鉄鋼と肉が焼ける匂いが辺りに漂う。
それは、バネ足ジャックばかりを襲うわけではない。威力の高さゆえに操作が出来ないのか、ガイの火の玉は建物にも当たり、砕けた瓦礫片や融けた鉄骨片が雨のごとく降り注ぎ落ちる。ノエは素早く魔力を指先へ張り巡らせ、黒糸でライナスとオスカーを庇い、その三人をベディが剣で庇う。
圧倒的なまでの炎による蹂躙。
あまりの速さで行われる人形劇の崩壊に、レイラは笑みを張り付かせたまま呆然としている。その隙を突いて、アレンはだっと走り出した。
本当は、足を動かすことすらままならない。頭痛は酷く、耳鳴りはキィーンと激しい音を鳴らしている。それでも足を止めることなく、レイラの目の前へ躍り出る。そして、渾身の力を振り絞って身を逸らし、彼女の額めがけて己の額を思い切りぶつけた。
がちん、と。アレンの頭の中で音が鳴る。目の前で星が散る。しかし、何とか意識を保たせ、目の前で同じく星を散らしているレイラを見やった。そして、力を込めて彼女の体を床に押し倒す。さらにレイラは後頭部を打ち、かくりと力なくその場に倒れてしまった。
「は……は……」
乱れた息を何とか整えつつ、レイラの後ろ頭にまずは手をやった。微量の出血はみられるものの、致命傷とは程遠い。これ以上流れ続ければ危険だろうが、恐らく傷はすぐに塞がる。思い切り頭突きを当てた額も赤くなっているだけで、痣になって終わるだけだろうと、アレンの頭脳は結論付けた。ほっとアレンは胸を撫で下ろし、振り返る。
「……っ助かった。っガ……イ」
「っははは、いやぁ、無茶はするもんじゃあねぇなぁ」
アレンの視線の先、からからと笑うガイが立っていた。その体は衣服と共に燃えており、とてもではないが笑っている場合ではないであろう。
「ッ、火、いつもみたいに」
「消せたらいいんだがな。上手く魔力が動かせねぇ。それに、これは魔術の炎じゃなくて、そっから燃え移ったただの火だ。操れねぇよっと」
立つこともままならないのか、ガイはどかりとその場に座り込む。アレンは慌てて近寄ろうとしたが、彼の放つ文字通りの熱気に近寄ろうにも近寄れない。そんなアレンの行動に、ガイはにやにやと笑う。
「いやぁ、坊主も変わったもんだな。最初はあんなに、毛嫌いしてたじゃねぇか、俺のことを。それがここまで好かれるたあ、
「っ何死ぬみたいな話……」
「ここまで燃えて、俺の体が――……人造霊魂が無事に済むか? 答えはぁ、否だ。だろう、お嬢ちゃん?」
ガイの問いかけに、ノエは何も答えない。それが正しいが故の沈黙であると気付き、アレンはぐっと奥歯を噛み締める。
「
「確かに頑丈だ。人間よりもはるかにな。こんだけ燃えても痛みもなけりゃあ、こうして優雅にお話も可能と。でも、死というものがないわけじゃねぇのさ。血が流れりゃあ死ぬ、燃えりゃあ死ぬ。そこは変わんねぇよ」
炎が、ガイの体をどんどんと呑み込んでいく。ベディは、支えているノエの外套を軽く引いた。ノエは緩く首を振るう。
ノエの創造する黒糸では、フォルトゥナートの風では、ヴィンセントの機械仕掛けの烏では、ミーアの踊る赤い靴では、ライナスの燃やす目では、彼のことを助ける術にはならない。この場にいる誰も、水系の魔術を扱えないのだ。近くにテムズ川があるとはいえ、ガイの肉体がそれまでに耐えきれる保証はない。八方塞がりである。
「っははは。そんな目、すんなよ坊主。俺は、亡霊だ。本来、お前と関わり合うことなんてなかったはずの過去の亡霊。たまたまお前が俺を呼び寄せることが出来たってだけなんだぜ? お前さんはこれから、自分の道に向かって突き進めばいい。俺のことなんかに気に病む必要はねぇのさ」
ガイはアレンに向けてそう言い、今度はノエ達の方へと視線を移した。
「嬢ちゃん、聞こえてるかい?」
「……あぁ、大丈夫。君達が一掃してくれたお陰で、なんとか……。倒れずには済みそう、かな」
「そりゃあ良かった。……聞きたいことと言いたいことが一つずつ、あんだ」
「では、聞きたいことから」
「嬢ちゃんは、
ノエは僅かに逡巡した顔をして、しかしはっきりと口を動かした。
「——……君達の体は、異形の骨肉と魔術の神秘が詰まった体だが、根本は人間と同じだ。灰や煤がちゃんと残る」
「そりゃあ良い。最高だ。……それと、あんた俺に訊いたよな。どうして俺がこうして息をしていられるかってよぉ。あん時はちぃと誤魔化す言い方をしたが、本当はちゃんとした理由があるんだぜ?」
「……ぜひ、聞きたい。ミスター」
ノエに促され、ガイはへらりと楽しげに笑う。そして、沈黙したままのアレンの方へ顔を向けた。
「俺は、ガイ・フォークス。議事堂を爆破し、要人共をぶっ殺してやろうとして、結局首を折って死んだ哀れな男だ。生粋のロンドン市民にとっちゃあ、最悪な男さ! 嫌われ者だろうよ、俺は。……でもな、そこの坊主は俺を信用して、俺を相棒と認めてくれた! ちゃっちい拷問にかけられて、情報を
「ガイ……」
「………それが、貴方の杭になったのか」
「お嬢さん方の使う硬い表現は知らねぇが、ま、そういうことだ。——……おい、坊主、ちいせぇ俺の
ガイの口から零れる茶化した口調も、力がなくなってきている。アレンは強く強く歯を食い縛ったまま、じっと燃えていく彼を見つめ続けていた。視線を逸らすことなく、ただじいっと。彼を包む炎は、その姿を掻き消すほど大きくなっている。それでも、二人の視線は合っている。
少なくとも、アレンはそう感じていた。
「死ぬのはあれだがな、俺は、ちっとも悪い気分じゃねぇんだ」
「……はぁ?」
「一回目はな、憎たらしい死刑執行人に支えられて、手足を切り刻まれるのが恐ろしくて、後ろにいる仲間から「裏切者」って言われんのが怖くて、絞首台から飛び降りて死んだ。我ながら、惨めったらしい死に方だ! でも、今は晴れ晴れとしてんだ。お前との契約を果たし、お前達を助け、このくそったれな街を守った。それだけで、悪くねえ気分なんだ。単純だろ?」
喉の奥から押し殺した笑い声を零し、ガイはぎぎぎと動きの鈍くなった腕を自身の八の字の口髭へ持っていく。そして、二度ほどその髭の先を撫でる。
「強いて、言えば、……酒と、……煙草、と……やぁ、望みす、ぎ…な。……おい、ぼう……、アレン………。お、………悪くな、い……良い、……ご、……様だった、ぜ……」
ごうっと強い音が鳴り、炎柱が廃工場の天井を叩いた。ガイの言葉は掻き消え、残ったのは燃え盛る炎だけ。
歯を食い縛っていたアレンは、ゆっくりと口を開く。
「ガイ……。ガイ、ガイ! 馬鹿、大馬鹿野郎! ッ聞こえてんだろ! いいか、僕は魔術は嫌いだ! 魔術で作られた
アレンはそこで言葉を止め、溢れる涙を乱雑に拭う。逸る気持ちを押さえようと、シャツの胸元をぐっと握り、炎に抱かれた男に向けて叫び続ける。
「お前のことは、嫌いじゃない! 忘れないからな! 僕のこと、姉さんのこと、助けてくれたこと、探してくれたこと、守ってくれたこと! 全部全部、忘れてやらないんだからなッ! だから、だから、お前も……ッ、忘れんな、馬鹿っ!」
はぁはぁと肩で息をして、アレンはその場にがくりと倒れる。
彼の手の甲で確かに輝いていた契約紋は、一度微かに瞬いて――そして跡形もなく消えた。
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