7.ボクの役割だと思うから

「へぇ、実に面白い作戦内容だね」


 ノエ達三人は、アレン達と別れた後に、直接<ブラック・バグ>の隠れ家へ向かった。報酬として支払う本を持って来てはいなかったが、ライナスは三人を向かい入れた。

 ノエから伝えられた大まかな作戦内容に、ライナスはにこにこと実に楽し気に口元を綻ばせている。


「まぁ、そういうわけなんで、俺がこちらでお世話になっても構わねぇですかね? もちろん、仕事の手伝いは無償でしますし、手を抜きはしませんよ」

「人手が減っている今、一人でも手伝いが入ってくれるのはありがたいが……」


 ライナスはそこで言葉を区切り、じろじろとヴィンセントの体を値踏みするように目を動かす。それから、ノエ、ベディにも同様の視線を向けた。


「……ただ、その背丈と見た目じゃあ、煙突掃除人には見えないな。煙突内に入ったら、つっかえてしまえそうだし……。君よりもノエの方が適任だと思うけどね」

「危険な仕事を、率先して女性に任せるわけにはいかねぇんでね。でも、そうですか、本業がそう言うなら、俺も適任じゃないかもしれないですね」

「うん。じゃあ、誰に任せたらよいか、分かるだろう?」


 ライナスは、小さな手をヴィンセントに向けた。

 全員、ライナスの行動の意図が読めなかったものの、すぐに察したヴィンセントは、眉間に皺を寄せる。

 ライナスは、自分が囮役になると暗に口にしていた。


「申し出は嬉しいですけどね、民間人は巻き込めねぇですよ」

「それに、君が安全に帰って来れる保証はない。最悪、死ぬ場合もある」

「……その点に関しては、問題ない。ボクは、一般人じゃないからね」


 ライナスはそう言って、エメラルドグリーンの瞳を閉じる。そして再び目が開かれたとき、目の色は一転、鮮やかなスカーレット色に染まっていた。

 ライナスはポケットから新聞紙の切れ端を取り出すと、それを赤く染まった瞳で見る。すると、火元もないというのに、ぼっと一瞬で紙の先に炎が灯った。


「……燃焼の魔眼」


 同じ魔眼持ちであるヴィンセントが、ぼそりと口を動かす。

 それは、魔眼の一種。見た物体を燃やすことのできる魔法を秘めた眼である。

 ライナスは軽く頭を振るい、改めて三人と視線を合わせた。その色は、既に元の色へ戻っていた。彼は、手の中で完全に燃えカスとなった灰を、板張りの床にそのまま捨てる。


「少しの時間だけだし、使える範囲も狭い。でも、炎は燃え広がってくれる。服にでも火を付けたら、時間稼ぎにはなる。これなら、手足を縛られてる状態でも対抗できるだろう?」


 ライナスの言う通り、彼の瞳があれば両手足を縛られたとしても、何とか対抗することが出来るだろう。ヴィンセントの魔眼では、眼帯をそもそも外さなければならないという手間があるため、その点でもライナスの方が適任と言えた。


「ですが、ライナス様の身が危険にさらされることに変わりは、」

「危険も承知さ。でも、ボクの手で仲間を救う手段はこれしかない。……全て君達に任せるのは、ボクとしては好ましくないからね。それに、こういうのには見返りがつきものだろう?」

「……お前たちの仲間を助けに行った英雄ヒーロー、という肩書きを得るだけでは不満と?」

「当然だ。もらえると思えるものは何でももらう。貧民街スラムで生き抜くすべだよ」


 ライナスはにやりと笑う。


「……さすが、変な知恵は身に付けてますね。何が入用いりようなんです?」

「取締局への入局許可。あぁ、学校に行きたいわけでも、異形共を倒したいわけでもない。そんな正義感、ボクにはないからね。それよりも、図書館に入りたいんだ。そこに行けるように計らってくれないかな」

「……研究機関は、協会に勤める者にとって大切な場所だ。部外者を入れることは出来ない」

「知ってるとも、魔術協会の仕組みくらい。少し金を払うだけで分かるような話だ」


 時計塔研究機関は、魔術協会が数百年かけて培ってきた知識の集積場所。おいそれと公開しないのは、当然の規律である。

 ライナスの口元は笑っているが、決してその目は笑っていない。じっとノエとヴィンセント、ベディに視線を注いでいた。


「——こんな腐った場所から脱するには、全員が知恵を身に付けるしかない。ボクはそう考えている」


 ライナスの意見はもっともなものだ。

 貧民街スラムで生きる者は、よほど幸運に恵まれていない限りは、そのまま貧民街スラムで息絶えていく。一生涯の中で、決して質の良い衣服に身を包み、健康上問題ない食品を口にすることはない。それが定められた運命ものだった。


「だから、ボクは本を求めてる。そこで学んだことを煙突掃除人の子達に教えてる。皆で勉強すれば、この暮らしを変える何かを、誰かを生み出すことが出来るかもしれないからね。だから、ボクは自由に図書館を出入りできる権利を求める」


 ライナスの目は、真剣そのもの。生半可な気持ちで口にしていないことが分かる。だが二人の立場からしても、規律を曲げてライナスを招くことも、規律を破ることも出来ない。


「……ライナス、君が研究機関の図書館部分に入りたいのなら、取締局で異端者免許を取得する必要がある」

「っボクは、魔術師側に加担する気は、」

「違いますよ。異端者免許は、魔術協会に属さない魔術師に発行される免許のことです。魔術協会に属していない魔術師——異端者を、協会側が把握するために作られているものです」

「……その免許があったら」

「図書館には入れる。研究機関の最深部にまでは入れないけど。……ただ、君の魔眼の能力で取得できるかどうかは、分からない。でも、君が合法的に図書館に入れる方法は、これしかない」


 ノエの言葉に、ライナスは表情を曇らせる。

 異端者免許は、誰にでも取得できるわけではない。取得希望者の魔術師としての才が問われる。ライナスの魔眼は、一般人の目線でいえば魔術だが、軽い火を起こす程度の魔眼ものだ。魔術師としての才があると認められるかどうか、かなり厳しいだろう。


「……それしか方法がないなら、ボクは受けるとも」

「………分かった。なら、君がもし合格できない状況になったなら、自分がサポートしよう」


 ノエの発言に、ライナスは目を丸くした。


「………ノエ、君はかなり偉い人なのかい?」

「いや、自分は偉くない。自分の義理の姉が偉い立場にあるだけだ。そして、それを自分も利用できるだけ。………使えるものは使う、だろう?」


 ノエが小さく笑って見せると、ライナスもまた、にやりと口角を上げて笑い返した。


「君、なかなかいい性格をしてるな。その意見には賛同だ」

「よろしいのですか、ノエ」


 ノエの横に並び立つベディの顔には、不安げな色が浮かんでいた。

 アリステラが、ノエから頼られることを嫌がることはないだろう。むしろ、喜んで協力するに違いない。ただ、その後に要求される見返りを考えれば、ノエには何の得もない話だ。


「いいよ。この仕事に必要なのは、スピードだ。後のことは後のことで考える。ヴィンスも、いいかな?」

「俺が煙突掃除人に見えない以上、頼れるのはライナス達だけですからね。俺は構いませんよ。……ライナス、本当に良いんですかね?」


 ライナスはこくりと頷き、そっとヴィンセントに手を差し出した。彼はその小さな手に、小型発信機を乗せる。ライナスはそれを握って、とんと自身の胸を叩いた。


「任せたまえ。……あぁ、オスカーには内密に頼む。彼はボクのことを慕ってくれている分、こういう命を投げ打つような真似、絶対に許さないだろうからね」

「まあ、確かに……。許さないだろうね」

「良いのですか、それでも引き受けて」

「あぁ。ボクがやりたいんだ。仲間を助けるためにね。誰にだって、課せられた自分の役割というのがある。これは、ボクがすべき役割だ。そう判断したまでだよ」


 ライナスはベディに向かってそう言い、ノエとヴィンセントへ視線を戻した。


「仕事以外は、基本的にボクはここから動かない。ここにいなかったら連れ去られたと認識していい。そうだな……、朝の九時までには煙突掃除を終えるから、それ以降でいなかったら確定だ。そうだ、ここの扉の開け方も教えておこう」


 ライナスは椅子を降り、すたすたと玄関の方へ向かって行く。三人は、ライナスの後ろを追って行った。

 玄関の厚い扉の裏は、いくつもの歯車で作られた仕掛けがあった。その下、細い郵便受けをライナスは指差す。


「ここに外から指を入れるんだ。右側に回るように誘導すれば開き、反対側に回るようにすれば閉まる。年季の入った繊細なものだから、優しく扱ってくれたまえよ?」

「えぇ、了解です。じゃあ、こっちも使い方を教えますよ」


 ヴィンセントは、ライナスの手の内にある小型発信機について、簡単な説明をした。ライナスは感心した声を上げ、手の中の小さな機械をじろじろと見始める。


「ほぁー……。最近の研究はすごいんだな。さすが、英国随一の頭脳が揃う王立機関研究学院アカデメイアの人が開発しただけあるな」

「それでは、よろしくお願いしますよ、ライナス」

「自分の身の安全を第一に。決して、自分一人で仲間の仇を取ろうだなんて考えないこと。いいね?」

「分かっているとも」


 ライナスは、ふわりと口角を上げて微笑む。


「全て完璧に任せてくれ、とは言えないが、期待に添えるだけのことはしてみせる。……あの子達のためにも」


 ライナスの瞳には、強い決意が宿っていた。

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