3.アカデメイアの人形師

 ゴーンゴーン。

 間の抜けた授業終了を告げる鐘が鳴り、教授が「鐘も鳴ったことですし、続きはまた二日後の授業で」という言葉と共に、次の授業までに済ませておくべき課題を提示して、教授は長い髪を風にたなびかせて教室から出て行った。

 受講していた生徒は、大きく息を吐き出してから、めいめいに行動を開始する。

 学生食堂へ食べに行く者、昼食を買いに行く者。学院外へランチを食べに行く者。友人達あるいは研究室を共にする者同士で、現在進めている研究について話し合っている者の姿も見られる。

 少年は、その輪の中に入ることはなく、ゆっくりと席を立って教室を出た。人の多い門近くの広場ではなく、人が比較的少ない中庭へ足を動かす。

 外廊下を歩いている少年とすれ違う者は皆、少し驚いた顔をしつつも、厄介なものに関わらぬように視線を外す。

 そうだろうな、と少年は他人事のような感想を抱く。朝、鏡の中に立っていた己の姿は、試験前に徹夜をした学生といった雰囲気だった。

 目の下には隈。何を食べても腹は膨れず、その為に平生へいぜいよりも集中力が欠けてしまっている。夜はずっと歩き回っているからか、頭痛と足元の浮遊感を感じる。

 ようやく辿り着いた中庭。白い花を咲かせている木の傍に座り込み、朝学院へ来る前に買ったサンドウィッチへ、勢いよく齧り付いた。

 普段なら「食べている」という感覚だが、今はただ空腹を緩和させるために「胃袋に運んでいる」という意識を持つ。ここ数日はずっとこうだ。


「はぁ……」


 少年は溜息を吐き、ゆっくりと目を閉じる。

 眠気と共に考えることは、昨晩のこと。彼が半ば成り行きで契約を交わした人形ドール──ガイ・フォークスの顔を模した雑な仮面。倒れていた人物が、年端もいかぬ子どものような見た目をしていたこと。その王立機関研究学院アカデメイアへ行く途中に立ち寄って見たときには、既にいなくなっていたこと。

 この時期、ガイ・フォークスという人物は、ロンドンの祭りの主役である。彼を模した仮面を付けていたことに、特に深い意味はないのかもしれない。だが、少年は深く勘繰ってしまう。


「………あの人からの、メッセージ……」


 少年はぼそりと呟き、ゆっくりと目を開けると、目の前に自分を見下ろす顔があった。一瞬、衝撃で頭が動かず身体が固まったところを、目の前の人物に肩を押され、芝の上へ押し倒されてしまう。


「ッあんた……!」

「随分消耗してる」


 少年の言葉にかぶせるように、目の前の人物――先日出会った魔術師の二人の内の一人がそう言った。


「魔力回復が追い付いてない。きちんとご飯を食べて休眠してる?」


 ぴく、と頬が引き攣る。少年は、すぐに反論出来なかった。彼女はそのことには触れず、持ってきていた魔法薬を手に持つ。


「とりあえず、これ。前にも渡した魔法薬。飲んで」


 彼女に渡された薬草臭いそれを、少年は顔を顰めたまま一気に嚥下していく。


「ノエ、彼はどうしてここまで……」

「元々魔術の訓練を受けていない彼と、魔術師としての才を鍛えてきた自分とで違いがあるのは当然だ。彼の場合、魔力が通常よりも少ないのかもしれないし、魔術経路が細くて上手く魔力が流れていないことも考えられる。人形ドールは、動かすだけで魔力を消費する。……ここまで衰弱している状態で、よく学校へ来ようと思ったね」

「うる……さい、な……」


 感服した様子のノエに、少年はきっと睨み返す。その目の下の隈は、薬を摂取したお陰か、やや薄くなっていた。威勢の良さも戻ってきているが、最初に出会った頃に比べるとやつれていることは確かだ。


「……君、自分のこと、覚えてる……よね?」

「……古臭い魔術師。残念だけど、記憶力はあるから覚えているよ」


 少年は、眉間に皺を寄せたままそう言う。


「二人が、なんでここに来てるんだ。ここは、お前たちみたいな魔術師が来る場所じゃないだろ」

「特務員としての仕事があってね。——自分は、君に聞きたいことがある」


 ノエはたたずまいを正し、すっと片方の手を差し出した。少年がその意図を読めずに茫然としていると、彼女は小さく口角を上げる。どこかぎこちなく、作り物めいた笑顔だ。


「改めて。自分は、魔術協会のノエ・ブランジェット。君の名前と、君の人形ドールのことについて教えて欲しい」

「僕と……ガイのこと?」

「数日前から、ガイ・フォークスの顔を模した仮面を付けたバネ足ジャックらしき存在が、ロンドン市内を闊歩している。バネ足ジャックの異形は存在する。でも、ガイ・フォークス・ナイトが近いとはいえ、それが異形へ影響を与えることはない。君は、ガイの複製された魂を宿す人形ドールの所有者だ。何か、彼について知っていることと、夜に出歩いていることについても、少し聞かせて欲しい」


 ノエは、じっと少年の顔を覗き込む。彼の顔に僅かに差したのは、狼狽であった。


「——君、知ってるのか?」

「っ、魔術師に教えることは、何も、何も知らねぇよ!」

「嘘ですね」

「嘘だね」


 ノエとベディは同時にそう言い、じっと少年の顔を覗き込む。少年はバツが悪そうな顔をして、ふいと視線を外そうとする。


「教えて欲しい。これ以上、何も知らない人たちを、死なせたくはないから」


 真摯な眼差しで、ノエは少年の顔を見つめる。


「………アレン、アレン・クロックフォード」

「……アレン。いい名前だね。君は、バネ足ジャックに出会ったか、あるいは何らかの手段で知っているね。どうして知ってるのか、教えてもらっていい?」

「……夜、に、アイツと一緒に出歩いてた時、だ。急に建物の上から襲って来て、それに気付いたアイツが、付けてた仮面ごと顔面を砕いた」


 その砕かれたバネ足ジャックを、二人は知っている。今朝発見され、ヘンリーが引き取ったあのだ。


「仮面も顔面の骨もバラバラに砕けてたのは、そういうわけか」


 それを聞いたノエは納得の表情。

 人の顔面の骨は脆い。とはいえ、かなり本気で殴らねば、あのバネ足ジャックのようにぐちゃぐちゃにはならない。だが、異形の骨や硬質の魔銀ミスリルなどで造られた人形ドールの肉体ならば、一蹴りで粉砕することなど容易だ。


「では次に。君とガイ・フォークスが夜に出歩いていた理由は? 異形の蠢く夜に出歩くのは、自殺行為に等しい。アカデメイアに入れるほど優秀な頭を持つ君なら、分かっていることのはずだろ」

「それ、は……」


 アレンは視線を落として、口を何度かもごもごと動かす。ギュッと両手を握り締め、その手の内にはたっぷりと汗をかいていた。

 ノエは、そんな彼の肩を掴む。


「答えて、アレン。どんな答えでも、自分達は受け止める」

「教えてください、アレン様。ノエとフォルトゥナート様、ヴィンセント様にミーア様が、このロンドンの街を守ることが出来るように」

「………なら、条件がある。僕のことを聞くなら、僕に手を貸して欲しい。僕一人じゃ、駄目なんだ。

「ねえさん? 止める?」


 思わずノエは聞き返す。


「僕がガイ・フォークスの人形ドールを動かしたのは、姉さんしか知らない。普通の人なら、あの仮面をガイ・フォークス・ナイトが近いからってだけにしか思わない。けど、あれは……、あれで僕に、自分がまだ生きていて、あの研究を続けているということを伝えてるんだ」


 アレンの言葉には分からない部分が多く、聞きたいことは山ほどある。だが、彼はそれきり口を閉ざしてしまった。

 これ以上は、手を貸す条件を飲まないと喋らないぞ、と彼の目は力強く雄弁に語る。


「……分かった、アレン。自分達の力を貸す。若干一名、この約束を破る可能性があるのが居るが、何とか協力させることを約束する。…… 大いなる魔女モルガン・ル・フェに誓おう」


 魔術師の最上位の誓いの言葉は分からずとも、ノエの意思はしっかりと伝わったようで、アレンは小さく頷いた。

 そんなノエの肩を、とんとんとベディは叩く。


「良いのですか、ノエ。フォルトゥナート様達に了承を取らなくても」

「解決の糸口を逃す手はない。説得するさ」


 ノエは膝を伸ばし、倒れたままのアレンへ手を差し伸べた。


「とりあえず、仲間と合流。その後に、君の事情とやらを説明して欲しい。何度も説明する手間がかかるのは、君も嫌だろう?」


 彼女の手を取ることを、アレンは躊躇っていた。

 偉大なる蒸気機関により発展した文明に目を背け、過去ばかり追い続ける古臭い頭の持ち主ら。自分よりも劣った者だと評価していた存在と手を組むなど。

 だが、その思いを全て腹の奥へ飲み込んで、アレンは震える手でノエの手を取った。


「魔術師なんかと関わるのは、これっきりだ」

「あぁ、普通の人間ならその方がいい」


 アレンはノエに手を引かれて起き上がり、じろりと睨む。その目は、初めて出会った時のように鋭い視線を取り戻している。


「よし、ベディ。フォルやヴィンスと落ち合おう。思ったよりも大きな収穫だった」

「はい、ノエ」

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