5.赤頭巾の夢は覚める

「ノエッ!」


 その声にハッとして、ノエはパッと目を開ける。

 過剰に摂取していた魔法薬が功を奏したようで、いつものように完全に気を失う一歩手前、あるいは気を失っていたが一瞬だけだった程度で済んだようだった。

 ノエの身体を支えていたのは、ヴィンセントだった。舞い上がった砂や埃、煤が付いたのだろう、普段は病的なほど白い頬は、今は真っ黒になっていた。


「ヴィンス」

「あぁ、喋れる程度には大丈夫みてぇですね。歩けます?」

「平気、歩ける」


 そうは言うものの、ノエの足取りはふらふらと覚束なかった。ヴィンセントは溜息を一つ吐き出してから、ノエの肩をそっと支えた。


「無理しないでください、ほら」

「……ごめん、ありがと」


 ヴィンセントに支えられながら、ノエはベディとフォルトゥナート、ミーアが座り込んでいるホームの元へ歩いて行った。


「ノエ」

「ベディ、お疲れ様。ありがとう、チェルシーをっぅぶ」


 ノエが言葉を紡ぐより早く、ベディは彼女の身体を抱き締めた。流石人形ドールと言うべきか、かなり力強い抱擁に、思わずノエは背中をバシバシと叩く。

 はっとしたベディが、慌ててノエを離した。彼女はぜぇぜぇと息を上げて、ベディに目を合わせる。


「ベディ、あの」

「あぁ、頬に傷が付いてしまってますね。破傷風になるかもしれませんし、一応早急な手当てを」

「ベディ、人の話を聞いて欲し」

「手や足に傷は?外套があるので、腕に怪我はないと思っていますが」

「っあーもう!」


 ノエは、話を聞いていないベディの両頬を挟み込み、無理やり自身と視線を合わせさせた。エメラルドグリーンとアイスブルーの双眸同士が、かち合う。


「自分は、大丈夫!分かった?!」

「す、すみません。その、……いつもは、」


 そこでベディの言葉が止まる。

 彼の言わんとしていることは分かった。あの固有能力スキルを用いて、今までノエがきちんと意識を保っていたことがないのだ。

 いつもは、ベディの目の前で倒れてしまう。今回はたまたま魔法薬の過剰摂取により微量に魔力が残ったことで、起きられているだけに過ぎない。

 ノエはベディの心配そうな顔を知っていたが、ここまで不安にさせていたのかと改めて認識することになった。

 少しだけしょげているようにも見えるベディに、ノエはぐいっと頬を手の甲で拭い、元気であることを証明するべく小さく笑いかける。

 その時、ベディの背後でごほん、と小さな咳払いが聞こえて来た。


「その、使い魔といちゃいちゃするのは構いませんけれど、一応事態の収拾は片付いていませんのよ。分かってるのかしら?」

「あ、ごめんミーア。ありがとう、陽動に付き合ってくれて。ヴィンスも、フォルも、助かった」

「礼を言うのは俺様達だっての。ノエのお陰で、犯人?見つかったわけだしさ」


 ミーアは、「いや、」や「べ、別に!」などと呟きながら、もごもごと口を動かしていた。

 対して、まだ魔力の消耗した分が戻っていないのか、フォルトゥナートは座り込んだまま手をひらひらと動かす。

 そんな二人の間に、赤い外套の少女――チェルシーは横たえられていた。


「彼女は」

「大丈夫です。抱き止めました。フォルトゥナート様の創造魔術の剣の砕けた破片で、外套や足を僅かに切っていますが、命に問題のある怪我は負っていません。ミーア様の診断によれば、魔力欠乏症による睡眠状態ということで、もう数時間も寝れば問題ないそうです」

「そっ、か」


 ノエは、ふっと安堵の息を吐き出した。その表情が和らいだのを見て、ベディの心にも充足感が満ちていくのを感じる。


「で、この子が、大量発生した人狼の原因……なんだよな。どういう経緯か、ノエは聞いてんのか?」

「はっきりとは、分からないけれど」


 ノエはそう前置きをしてから、四人に向けて半誘拐されていた間の話を彼らにする。

 運命の王子様を求め続けていたお姫様チェルシーの話を。


「……なかなか狂人ですわね。狂ってますわ」

「幼いからこそ、妄信できるということかもしれねぇですね。幼い頃の幻想を妄信し続ける。……それをこの子は、実行したってとこですか」

「でも、こんな小さな子一人で計画して、それを実行出来んのか?誰か他に協力者がいないと……」


 フォルトゥナートの指摘通り、チェルシーの見た目から考えられる年齢からしても、ロンドン市中全体を混乱させるこの人狼事件を考えられるのか。それは疑問点であった。

 だが眠っている彼女にしか、疑問の解答は分からない。


「………とにかく、このままここでじっと蹲ってる暇はなくてよ。点検職員達に見つかる前に、さっさと地上に出ましょう。イタリア男、貴方、彼女を抱えて上がりなさいな」

「はいはい、分かったよ。口うるさいお嬢さんシニョリーナっと」

「な、絶対悪口を言ったでしょう!私がイタリア語を分からないからと!」

「被害妄想すんなよ。俺が可憐なお嬢さんって口説いた可能性もあんだろ?ま、お前みたいな性悪女、口説かねぇけど」


 けけけ、とフォルトゥナートは笑いながら、チェルシーの身体を姫抱きする。そして彼はそのまま、地上へ出る為の階段へ向かった。ミーアは慌ててフォルトゥナートの後を追った。


「あのうるささじゃあ、階段のところで響きますね。……うるせぇことになるのは面倒なので、お先に。ベディと一緒に、ゆっくり来てくれればそれで」

「うん。……あの、ヴィンス」

「はい?」


 さっさとフォルトゥナートとミーアの後ろを追おうとしていたヴィンセントを呼び止め、ノエは気まずそうに視線を彷徨わせつつ、しかしはっきりと彼の瞳を見て口を動かす。


「ベディのこと、黙っててごめん。人形師や人形ドール自体は珍しくないけど、その、ベディみたいに精巧な人造霊魂を持った人形ドールは珍しいから、その、出来る限り隠しておきたくて。……嘘を吐いて、ごめん」

「言ったでしょう。俺達が無理やりベディから聞いたんだと。それに、魔術師としては、自身の手札を隠しておくというのは常識です。別段、腹を立てることでもないです」


 ヴィンセントはさらっとした口調でそう言い、がしがしと自身の黒髪を掻き混ぜる。それから、「まぁでも」と一言付け加えた。


「ベディが、しっかりと守ってくれてるようで何よりですよ。前までは、一人で無鉄砲に突っ込んでいく奴でしたから、お前」

「ヴィンス」

「フォルには俺から伝えておきますから。疲れたでしょう、身体をゆっくり休めてください」


 ヴィンセントも、爆音響くトンネル内で断切の魔眼とカラスの使役を行なったのだ。彼もまた疲れているだろう。だが、ノエはあえてそこを追及しようとはしなかった。


「ありがとう、ヴィンス」

「いいですよ」


 ヴィンセントはすたすたと、フォルトゥナートとミーアの後ろを追って足早に去って行った。


「あの、ノエ」

「……謝らなくていいよ。自分の為だったんでしょう。なら、ベディの行動は咎められるものじゃない」

「ですが、約束を違えてしまったことは事実です。……私がもう少し強ければ、固有能力スキルに頼らずとも任務を遂行できたかもしれません。ガウェイン卿やランスロット卿、トリスタン卿らだったら……。それくらいの力が私にあれば、」

「ベディ」


 柔らかな声で、ノエは落ち込んでしまっているベディの肩をトンと叩いた。

 彼の働きを労うように、優しく。しかし、その負の感情を追い払うように力強く。

 ベディの言う通り、彼の元となっているベディヴィエールは、あくまでも兵士数人の能力に匹敵する程度の力なのだ。

 他の円卓の騎士達に比べると、彼はどうしても劣った部類に属してしまう。もっと数多くの武勇があれば、それは今の彼の固有能力スキルとして反映されていただろう。


「そうだとしても、自分はベディが良いんだよ。他の誰でもない、自分を守ると誓ってくれた君が、良いんだ。だから、自分のことをそうやって言うのは止めて欲しい」


 だがノエにとってみれば、どれもこれもどうでもいいことだった。

 人形師ノエにとって、人形ベディだけが唯一契約を結んでも良いと思える相手だからだ。


「それに、自分はエンペントル卿に言ったからね。ベディは大切な仲間パートナーだって。それを違えるような発言は、いくら本人でも許さないよ?」


 冗談めかして言うノエに、ベディは小さく口元を綻ばせて頷いた。


「はい、ノエ」

「よし。それじゃあ三人の後を行くよ。見つかってお説教で済む案件じゃないからね。急ごう」

「はい」

「って、抱き上げなくても大丈夫っ!今回は倒れてないし、普通に歩けるって!」

「ですが、先程はヴィンセント様の支えがなければ歩くのも大変そうでしたし。ノエの足が速いのは理解していますが、それでも人形ドールの私の方が足は速いです」

「そうだけどね?……君、意外と抱擁するの好きというか、結構抱きつき魔だよね……」

「ノエに負担がかかるのが嫌なだけなので、他の方々に同様のことをするかと問われると否、なのですが」


 真面目なベディの返答に、ノエは苦笑いを浮かべるばかりだった。だが、彼の腕の中から逃げることはせず、甘んじてそれを受け入れていた。

 行きの際とは逆に、長く暗い階段をベディは駆け上がって行く。

 降りる際は段差に気を付けていたものだが、ベディの足にかかれば数段飛ばしで上がるので、降りる時の半分ほどの時間で旧駅から出ることとなった。


「ふぅ、何とかバレずに出れたかな」

「そのようですね」


 ノエは施錠ロックの簡易魔術を掛けて、旧駅の扉を閉じる。

 フォルトゥナートやヴィンセント、ミーア達の姿は既になかった。チェルシーのこともあり、先に時計塔へ戻ったのだろうと、ノエは算段を付けた。

 外は、既に朝の空気に変わっている。


「さ、ベディ。自分達も、家へ帰ろう」

「はい、ノエ」


 ベディはノエの言葉にしっかりと応じ、人のまばらな朝早いロンドンの街をゆっくりと歩き始めた。

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