3.ウェルズリー邸へ

 ウェルズリー家に行くとしても、ノエの支度は非常に簡素なものだった。

 いつもよりも念入りに身なりを整えて綺麗にしておくことと、万が一に備えて数枚の銀符ぎんふをポケットに忍ばせておくこと。この二つをするだけなので、準備時間はそれほど必要ではない。

 ベディも、きっちりとした外行き用のウエストコートを着用し、普段よりも執事らしさが増した恰好になった。

 その後はお互いに会話をすることはなく、ノエは研究用テーブルに積まれた本を読み始め、ベディはそんな彼女をぼうっと眺めていた。

 そうして数十分後に、こんこんと控えめなノック音が部屋の中に響いた。

 立ち上がろうとしたノエを、ベディは片手で軽く制する。


「ノエ、私が応対します」

「あ、や、ベディ、君だと少々刺激が強いかもし」


 ノエががたっと立ち上がったと同時に、ベディはドアノブを回して扉を開く。


「やぁ、三ヶ月ぶりだな、ノエ・ブランジェット……と、君が我が姫が言っていた人形ドールか」


 ある程度の冷静値は高いベディでも、その来訪者の姿に、思わず目を丸くしてまじまじと見てしまった。

 質の良い燕尾服を身に纏った、絵に描いたような英国紳士風の男だ。ベディも高身長の方だが、彼の方がまだ高いだろう。だが、それよりも特筆すべき特徴が、彼の顔面であった。

 シルクハットに付いた漆黒のヴェールの下、そこにあるのは人面ではない。兎の頭が据えてあった。

 作り物ではない、とベティはすぐに直感した。

 ひくひくと長細い髭の付いた鼻は忙しなく動き、シルクハットから飛び出した黒く長い耳は忙しなく小刻みに揺れている。ヴェールに隠れて見えないが、その向こう側にはきっと円らな瞳があるのだろう。顔の毛並みも作られた仮面にしては、あまりにも精巧に出来過ぎている。


「え、えと……」

「ふむ、本当に人間そのもののようだ。そこら辺の人形ドールとは、まるで比べ物にならないな」

「……誰にも言うなって言ってるのに。アリス、口軽すぎないか。君達にも喋ってるの?」

「私達だけだよ。他の使用人が居る時は、一切口にしていない。大いなる魔女モルガン・ル・フェに誓おう」


 ヨーロッパ出自の魔術師が、誓いの言葉を告げる際の慣用表現の一つであるそのセリフに、ベディが小さく眉を寄せたのにノエは気付く。

 モルガン・ル・フェは、彼の霊魂の元になっている人物が仕えた王の異父姉に当たる魔女だ。生前に彼女と何らかの関わりがあったのかもしれない、とノエは考えながら、二人の間に立った。


「ベディ、彼はアリステラの魔術で出来た使い魔のマーチだ。マーチ、この彼がベディだ。自分の人形ドールとして、手助けしてくれてる。仲良くしてやってくれると嬉しい」

「あぁ。……どうも、従者という身の上同士、仲良くしよう」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 見た目は兎頭の異形だが、その声はとても落ち着きのある低い声で、別段どこにも変わったところはなかった。

 生前も様々な体験をしたベディであるが、それでもこの出会いは指折りの衝撃であった。


「外に馬車を待たせている。準備が出来ているのなら、向かおうか」

「分かった。行こう、ベディ」

「はい、ノエ」


 マーチはそう言って、すたすたと昇降機リフトの方へ向かって歩き出す。

 ノエとベディは外套を羽織ってから、彼の後ろを追っていった。


 ロビーのエントランスホールでは、一般人がじろじろと視線を向けている。主に後ろの二人ではなく先を行くマーチに向けて、だ。

 魔術師である受付の女性職員や資料を運ぶ男性職員達は、マーチが第七席のウェルズリー家の使い魔だということも周知の事実であるので、大きな反応は一切無かった。


「あの、ノエ」

「うん?」

「彼は、人形ドールではないのですか?その、私と同じように見えるので」


 兎頭であるということを除けば、彼の所作は穏やかで柔らかなもので、感情もあるように見える。今日の明け方に刃を交えた使い魔――ホムンクルス達とは全く違う。

 ノエは「あー……」と声を漏らしながら、玄関の扉を開けた。その先の光景に、ベディは目を丸くする。


「………ひとまず、馬車に乗ってから教えるよ」


 ノエもまた、ベディが目を向けている馬車へ視線を移した。

 そこには、街に走っている馬車とは明らかに格が違う、ウェルズリー家の家紋があしらわれた馬車があった。

 黒く塗られた車体は艶々としており、手綱を持つ御者は清潔感のある身なりで、背筋をしゃんと伸ばしていた。街で走る乗合馬車オムニバスのだらしない恰好をした御者や、煤だらけの汚れた車体との差を見せ付けている。

 マーチはドアを開け、二人に対して頭を垂れて、馬車に乗るのを待っている。

 無言で、しかし決定的に周囲との違いを明確に示していた。

 ノエはベディの手を引いて、背を屈めてドアをくぐる。

 キャビンの中のソファも、乗合馬車オムニバスの硬いソファとは比べられないほどふかふかで、改めて第七席の家柄という魔術協会でも指折りの身分の高さを強く感じる。

 二人が座ったのを確認して、マーチは御者に指示を出し、彼も身を小さくして乗り込んだ。


「凄い、ですね」

「これくらいで驚いてたら、第十席の金ピカ成金悪趣味馬車で目を剥くよ、ベディ」

「分かりました。気を付けます」

「なんか返答として微妙に違う気もするけど。ま、さっきの質問に答えようか。マーチとベディの違い」

「お願いします」


 ノエは小さく微笑んで、「それじゃあ」と口にする。

 魔術の解体の際もそうだが、ノエは知識を開け出して語る時には流暢によく話す。表情も生き生きとして、どこか楽しさを感じさせる。


「まぁ、そもそもの違いとして、人形ドールは特別加工された異形の素材や人工物、それに大量の魔術式で出来てるけど、使い魔は魔術師の血肉や動物の遺骸に、霊魂を掛け合わせて出来てる」

「死者の魂ということ、ですか」 

「そう。一から造り上げる工程を踏まなくても、ある程度の知識を引き継げるからね。だから、使い魔っていうのは幽霊が憑りついて動かしてる、って言い換えてもいい。……昨日のホムンクルス達には、宿されてなかったみたいだけど」

「霊魂がなくても、身体そのものは動かせるからな。加えて自我があることによって、命令遵守にならない可能性もある。必要最低限の所作や会話だけを必要とするなら、わざわざ面倒な手順を踏んで霊魂を憑かせることをしない、という魔術師は多い」


 ノエの言葉を引き継いだのは、マーチであった。

 彼の言葉に、ノエも頷く。


「で、ここから、本題。マーチはアリスの使い魔だけど、この手法を取ってるわけじゃない。アリスの魔力で作られた、魔素と魔力の集合体みたいなものだよ。幽霊が魔素を霊素に変換して結合させて、姿形を取るのと同じ。マーチの身体は魔素で出来てるから、好き勝手に姿を変えられる。アリスの趣味が反映した形が、兎と人間を掛け合わせたような姿ってだけ」

「アリステラ様の魔力だけで……」

「彼女、魔力だけは一流並みにあるからね。これくらいのことは簡単にやって見せる」


 マーチはシルクハットを脱ぎ、傍らの空いた席に置いた。そして円らな黒い瞳で、じいっとベディの瞳を覗いた。


「魔女狩りの動乱によって、多くの魔術の技術や魔術式が失われた今、その内の一つである完全な人形ドールにお目にかかれるとは。やはりノエ・ブランジェット、君の母は凄腕の魔術師だよ」


 現代にも人形ドールを用いる魔術師──人形師や、人形ドールを作る職人は居るが、彼らの扱う人形ドールは、ベディの完成度からすれば、雲泥の差である。

 ベディは、——否、彼を生み出した創造主は、人形師の中で最も腕のある人物だと言っても良い。

 マーチの賞賛の言葉に、ノエは眉を八の字にして笑う。

 色々な感情が、ごちゃごちゃと渦巻いているのだろう。複雑な面持ちだ。

 彼女は小さく息を吐き、それからベディへ視線を向けた。


「ベディ、お願いがある」

「はい、ノエ、なんでしょうか?」

「出来る限り、使い魔のように振る舞って欲しい。基本的には、あまり喋らずに自分の後ろに立っててくれてればいい。君のことを、あの人達に知られるのは困るから」

「分かりました」


 ノエの真剣な顔に、ベディは反論もせずに従順に頷いた。

 過去の人物をそのまま写し取った人造霊魂で動く人形ドールという存在が貴重である今、ベディの正体が分かってしまうと困ることがあるのだろうと察することは、容易だった。

 次に彼女は、マーチに目を向ける。


「マーチ。君達にもお願い。あの屋敷の中でベディの正体を、口にしないで欲しい」

「我が姫に命令されない限りは、君の願いを聞き入れよう」

「……ありがとう」

「礼を言わずとも良い。ノエ・ブランジェット、君は、我が姫の義妹なのだから」


 マーチは軽く髭を撫でる。

 それきりキャビンの中は静まり返り、ガタガタと軽く揺れる馬車の音ばかりが響いていた。

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