2.静かな朝を、二人で

 ノエは、ゆっくりと瞼を開ける。

 夢の中でかつて無邪気に慕っていた彼女へ伸ばした手は、彼女の作った人形ドールであるベディが握っていた。

 体熱を持たない人形ドールのひんやりとした温度が、握っている手を伝ってノエへと侵入はいってくる。

 それに気付くと同時に、食欲をそそる香ばしい香りが、鼻を優しく撫で始めた。


「ぅ………」


 小さく呻き、ノエは更に目をぱちぱちと何度か瞬かせて、視線をゆっくりと動かしていく。

 そして、ぼうっとした寝惚け眼のノエのアイスブルーの瞳と、じっと双眸に焦点を合わせるベディのリーフグリーンの瞳がかち合った。


「おはようございます、ノエ」

「……ぅん、ベディ」

「はい、ノエ。今日は朝食兼昼食に、トーストと片面焼きの目玉焼きサニーサイドアップ、ベーコン、サラダを用意してます」

「ぅぁー……ん、ありがと。……えと、そんなに寝てた?」

「はい。……恐らく、私に魔力を過剰供給したことが原因でしょう。起きられますか?」


 ベディと繋いでいた手を離し、ノエはゆっくりとソファから身体を起こす。その目の前にあるテーブルには、ベディが作った朝食が並べられている。

 綺麗に焼かれた片面焼きの目玉焼きサニーサイドアップとカリカリに焼かれたベーコンが乗せられたトースト、バランス良い配色でボウルに盛られたサラダ、そして黄金色のシロップが入れられた特製のミルクティー。

 ノエはぼうっとした顔のまま数秒間それらを見つめ、目を覚ます為にぱんっと両頬を叩いた。唐突な行動に、ベディはびくっと肩を震わせた。


「ありがとう、ベディ」

「……いえ。これくらいは」


 ノエの褒め言葉に、ベディはふるふると首を横に振るった。彼にとっては、彼女に尽くすことこそが、存在意義であり当たり前なのだ。

 そうして、二人の遅い昼食が始まる。

 深夜まで働いているときは、どうしても朝食ではなくブランチ頃の時間帯からご飯を食べるのが日常であった。

 ベディは食べずとも動けるが、ノエが一緒に食事を摂って欲しいというささやかな願いと、出来る限り様々な物から魔素を取り入れてノエへの負担を軽減させたいという目論みから、余程の事がない限りは彼も食事を摂るのが日課だった。

 もぐもぐと二人は口を動かして食事を済ませ、ゆっくりと食後の紅茶を楽しむタイミングで、ノエはベディに話を切り出した。


「今日、なんだけど。アリスの屋敷に行こうと思う」

「はい。昨日――正しくは今日の朝、そのように言ってましたね」

「うん。……で、さ。その、君はついて来る?疲れたりとかだったら、ここで待っててもいいよ?」


 ノエの問いかけに、ベディは軽く首を傾けた。

 いつだってノエは、ベディを連れ立って様々な場所へ赴いてくれる。色々な世界をべディに見せたいから、と。

 彼女が言葉を濁しながら問いかけてくることは、ベディにとっては初めてのことであった。


「従者としては、ついて行きますが。何か問題があるのでしたら、扉の外で待つなり屋敷の外で待つなりします」

「いや、流石に外には出させないよ。……その、自分が、アリスの義妹なのは知ってるね?」

「はい、昨日知りました」

「うん。……それが原因で、向こうの人間に嫌われてるんだ自分は」


 ベディは更に首を傾げ、ノエはそんな彼に言葉を選びながら説明をし始めた。


 魔術家系において、家が代々伝えていく名誉や地位、魔術は一子相伝を基本としている。家督争いという不必要な争いを避けるため、長子にしか家を継げない仕組みになっているのだ。

 ウェルズリー家においては、アリステラが当主としてウェルズリーの魔術研究を行なっている。

 だが、彼女は未だ婚約者もいない独り身。もし彼女が何らかのことで死亡した場合、ウェルズリー家直系の跡継ぎがいなくなってしまうという事態が起こる。

 それを回避するため、魔術協会の十席会合グランド・ローグを始めとした権威ある魔術家系は、分家を使ってその地位を守ろうと動く。

 ウェルズリー家には、分家が二家ある。万が一死亡した場合のアリステラの代わりは、この二つの家の当主のどちらかが引き継ぐ予定であった。

 だが、ここで異例の魔術師が入ってくる。

 それが、三年ほど前にアリステラの義妹となったノエだ。

 アリステラの気まぐれなたった一言によって、ノエは歴史の浅い家柄のブランジェット家の身でありながら、アリステラの次を受け継げる地位に就いた──否、就いてのだ。

 まず、本家の使用人一同がアリステラに抗議をし、次いで分家からも嫌味混じりの抗議文が寄せられた。

 だが、アリステラはそれらを全く取り合わず、放ったまま。これが原因で、ノエはアリステラ側近以外の本家の住人と、二分家の全員からかなり嫌われている。


「自分としては、分家のどちらが引き継ぐのかが決まるまでの『お飾り当主』にしかなるつもりが無いって言ってるけどね。やっぱり信用されてないみたいでさ。そのまま、ブランジェット家に作り替えるんじゃないかって」


 事実、養子が家を継ぐことは珍しい話ではない。

 身分の低い家の当主が、身分の高い家に生まれた次子以降を貰い受けて家を盛り立てようとする事例は、決して少なくない。そして、その逆もまた時折起こっている真実だ。だからこそ分家二家は、ノエを警戒している。

 ノエは、紅茶に口を付けた。そして、ティーカップからベディへと、視線を移した。


「彼らの暴言や嫌味が、ベディにまで向けられるのが、自分は嫌だ」

「ノエ……」


 ベディは、じっと目を見つめてくるノエと視線を交わらせる。

 ノエには、暴言や嫌味を相手から言われるという経験があるのだろう。優しい彼女は、それ故にベディの身を案じている。


「……ノエ。私は主人たる貴方を、あらゆる攻撃から守るのが役目です。私としては、貴方のお心遣いは感謝しています、ノエ。ですが、私は貴方を守る為に傍に仕えているのです。——貴方が私を望む限り」

「ベディ……。う、ん。そ、か。うん、ありがとう、ベディ」


 彼の真摯な言葉に、ノエは歯切れ悪く言葉を紡いでから、照れ臭そうに小さくはにかんだ。

 そして、ティーカップの残りを全て飲み干すと、再び気持ちを切り替えるために両手で頬をべちんと軽く叩いた。


「よし、ベディ。自分が食器を片付けるから、あそこから機械仕掛けの蟲エンジン・コクーンを見つけて欲しい」

「……あの、あそこ、ですか」


 ノエの指差す先に、ベディは視線を動かす。

 彼女が示した応接用とは違う、もう一つの研究用のテーブルには、彼女の魔術研究テーマである『魂』に関する書物が、まるで塔のように高く積まれている。また、それは一つではない。塔はいくつもテーブルの上に乱立していた。ひと言で言えば、探すのがかなり大変そうであるということだ。


「……分かりました。必ず見つけます」

「ごめんね、よろしく頼むね!」


 ノエは、自身とベディの食べ終えた皿を簡易キッチンへと運び、すぐに食器洗いを開始する。

 ベディは、本の塔を崩さぬよう慎重に、それでいて対象物である機械仕掛けの蟲エンジン・コクーンの探索を開始した。


「……見つけました、ノエ」


 ベディが何とか乱雑なテーブルの上から、目標物である黒い楕円体を見つけだした時には、ノエは既に食器洗いを終えて、アリステラ宛の手紙を書いていた。


「ありがとう、ベディ。それじゃあ、そこのボタン押してくれる?」

「はい」


 つるりとした楕円体の中で、唯一の突起部をグッと押し込む。

 すると、その中からガチャガチャと歯車同士が噛み合う機械音がし始め、反対側から節のある六つ足が飛び出した。その細い六つの足で、ベディの手の平の上に立つ。

 押し込んだ箇所からは小型回転翼プロペラが飛び出し、勢いよく回り出して宙を飛んだ。

 そして、彼の手の近くで停止飛行ホバリングをし始める。

 それは主に、郵便局や地図屋などで軽い荷物を運ぶ際に使われる機関機械マシーンだ。その見た目から、機械仕掛けの蟲エンジン・コクーンと呼ばれている。

 本来は、外で使用されるものでは無いが、これはアリステラがノエとの連絡用にと特別に発注した物で、小さな回転翼プロペラでも風を捕まえて飛べる仕組みになっている。


「よし、無事に起動完了と」


 ノエは書いていた手紙を封等の中に封し、糊で止める。そしてくるりと丸めて、その細い六つ足の間に通すようにして握らせる。それから紐を使って、手紙と機体とを結び付けた。

 そして部屋の窓を開け、機械仕掛けの蟲エンジン・コクーンを外に向けて投げ飛ばす。

 機体は大きく左右に揺れて飛び立ったものの、すぐに風に乗って回転翼プロペラを回して飛んで行った。

 小さくなっていく機体を、ノエとベディは見送った。


「……落ちないのですか」


 ベディが差しているのは、機械仕掛けの蟲エンジン・コクーンの機体ではなく、その機体が持つ手紙のことだった。紐で括りつけた程度のもので、大きな衝撃が加われば、ぽろりと落としてしまいそうだ。


「あぁ、落ちても問題ないよ。あの子がアリスの屋敷に届くことに意味がある。さて、外に出かける準備をしておこう。……自分の見立てだと、一時間と少しくらいで迎えは来るだろうから」

「了解しました」


 ノエの言葉に、ベディは静かに頷いた。

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