3.心臓泥棒
「……
「うーん、やっぱり知らないか」
ノエの疑問に、アリステラは呆れる。「結構最近有名なんだけど」と言葉を重ねても、ノエは首を捻るばかりだった。
基本的に、魔術師は己の魔術工房に籠るものだ。外と断絶し、ひたすらに魔術に隠された知恵の真髄を極め、原初を探り
「ホワイトチャペル地区で、ここ一週間で三人の死体が上がってる。内二名は、魔術師。心臓を抉られて、死んでた」
その残酷な殺害方法に、思わずノエは眉を寄せる。
「だから、
ノエの問いに、アリステラは首を横に振った。
ロンドンの街に巣食う異形は、おおよそ二つに分けられる。
人の間で語られている都市伝説のイメージを借りて生み落ちるものと、そうではないものだ。
ロンドンには、実に多種多様な都市伝説が存在する。
その怪人や怪物の姿に成り代わり、人々を襲う異形は、少なくない。その話に則った弱点が生じてしまうものの、その怪人の力や怪物の強みを、自らのものとして行使出来るのだ。デメリットとしては軽いだろう。
一方、元から存在する異形も居る。これには、魔獣や人魚、吸血鬼や人狼などが当てはまる。
これらは幻獣種と呼ばれて、他の異形とは区別される。
彼らは、魔術師にとっては、魔術を発動するのに際しての触媒として非常に有益な生き物達だ。
そんな彼らが引き起こす事件を対処するのが、特務課に属する魔術師の仕事なのだ。
「面倒だなぁ……。範囲は絞れたけど」
「お、流石だね。どの範囲まで絞ったのさ?」
「異形じゃないってところまで」
ぽろりと零したノエの言葉に、ベディは目を丸くする。
この時計塔取締局に運ばれてくる依頼というだけで、前提として異形や幽霊が絡んでいる可能性のある事件であるというのに、ノエはあっさりとそれを一蹴してした。
「な、何故それが分かるのですか?」
「……あ、そか。……ベディ、自分と君とは
ノエは、何もない左手の甲をするりと撫でた。だが、そこにはノエとベディの契約の烙印があることを、何も言わずとも二人は理解していた。
ベディの身の安定に必要な魔力の供給源は、経口摂取する食べ物の他にノエの魔力が担っている。
「だけど、異形は大気の魔素しか取り込めない。それだけじゃあ、常に飢餓に近い状態に陥る。だから、下位の異形や共食いをすることで体内に魔力を収めて、身体の構成基盤を安定化させる。……人を食べることも、よくあることだよ」
それから、ノエはとんっと自身の心臓を叩いた。
どの生命体にとっても、エネルギーを生み出し全体に巡らせる部位だ。魔術師にとっては、魔力を生み出す重大な魔力炉とも言える。
「心臓を食べるのは、異形に関わらずあり得る話だけど、異形は骨まで喰らうのが普通。都市伝説の異形ならば、逸話に基づいた行動として心臓だけを取るのはあり得る話だけど、アリスはノーと言った。そして、心臓を抉られていたって言った。
つまり、死体を食い散らかされていたわけじゃないってこと。……踏まえると、犯人は異形じゃない。そして、幽霊は人間は食わない。彼らの主食は精気だから」
ノエは一旦唇を湿らせるべく、紅茶を口に運んだ。そして、続ける。
「心臓の利用価値は、魔術においてはとても高い。大魔術を発動させるのにも、魔術儀式を行なうのにも使える。だから、魔術師が犯人の可能性が高いと思った。……それだけだよ」
彼女の言葉には一切の澱みはなかった。
まるで、積み木を組み立てていくかのように、アリステラが口にした情報だけで、簡単な推理をしていた。
「いやぁ、お見事!流石、解体者様だね?」
「止めて、その呼び方」
ノエは吐き捨てるようにそう言い、やや険のある瞳でアリステラを睨む。
解体。
それは、魔術師が最も嫌悪する行為を指す言葉だ。
魔術師が血脈と共に代々受け継いでいる魔術研究を暴くことは、彼らの培ってきた歴史を侮辱することに繋がる。そのため、魔術師同士はよほどのことがない限りは、その家の魔術の全てを明らかにはしない。
ゆえに、魔術を暴露するような魔術師は、魔術師ではなく解体者と呼ばれ、揶揄されるのだ。
「いいじゃないか。君の鮮やかな解体劇があったからこそ、君は私の義理の妹の身分に付けているのだから」
だが、アリステラはそう言って、けらけらと笑う。まったく気にした様子などない。
「……あの、あまり、ノエを揶揄わないでください、アリステラ様」
ベディがじ、とアリステラを見てそう言うと、彼女はひゅうっとまた口笛を吹いて「分かった」と短く応じた。
「確かにノエの言う通り、遺体には心臓を抉った以外の損壊はない。異形にも頭が良い奴はいるけれど、彼らは慢性的に魔力不足だ。心臓の魔力量が大きいとしても、他の部位を喰らわない筈はない。
心臓が必要だった何者かが持っていったというのは、私も同じ意見かな!」
彼女は柔らかく微笑んで、紅茶を一口飲んた。ノエももぐもぐと、アップルパイを食べ進める。
「で、引き受けるよね?」
「拒否権があるとは思っていないけど」
「うん、私のことをよく知ってくれているようで何よりだよ」
アリステラは弾んだ声で言い、紅茶を全て飲み干して立ち上がった。
「それじゃ、用事は以上だから!私に協力できることがあれば、何でも言って!出来る範囲で助けてあげるよ」
「善処する」
ゆっくり居座っていくのかと思いきや、彼女はあっさりと扉の方へ向かって行く。
「あ、ノエ」
「何?」
「いいコンビだと思うよ、君とその子は。男の子っぽい女魔術師と、女の子っぽい騎士様なんてさ!」
「ッアリス!」
「あはは、じゃあねー」
アリステラはけらけらと笑いながら、部屋を出て行った。
ノエは浮かせていた腰を溜息と共に下ろし、ごくりと紅茶を飲んだ。
「その、……まるで嵐のような方ですね、アリステラ様は」
「本当、面倒臭い人だよ」
ノエはそう言って、最後の一口を頬張った。
ベディはトレイの上に、空いたティーカップやティーポットを乗せ始めた。それを慌ててノエが止める。
「ベディ」
「私が片付けます」
「これくらい、自分がするよ」
「いえ、ノエ。座っていてください」
従者として動くベディのプライドなのか、彼の態度は頑なだった。
ノエはすぐに諦めて、ベディに食事の後片付けを任せて、アリステラの置き土産である書状を手に取り、その内容にしっかりと目を通していく。
深く刻まれた彼女の眉間の皺は、消えることはなかった。
流し台で食器類を洗いながら、ベディはノエへ問いかける。
「簡単では、なさそうですか?」
「あの人が自分に簡単な仕事を任せてくるとは思わないから、ちょっと難しいかもね。討伐だから、戦闘は絶対に避けられないだろうし」
ノエはぐっと両手両足を伸ばして、ソファの背もたれに寄りかかった。そして、手近にあった枕を腕の中に抱いた。
全ての食器類を洗い終わり、タオルで水気を拭き取ろうとしたベディを、柔らかな声音でノエが呼んだ。
「はい?」
タオルで拭くのを止め、ベディはノエの傍へ寄る。
主人に呼ばれれば、いついかなる時であってもすぐに傍に行くのが、出来た従者のすべきことだ。ベディはそれを心得ていた。
ノエがソファに座ったままであったので、ベディが片足をカーペットの上に付き、彼女と視線を合わせる。
すると、ふっとノエは口元に小さく笑みを見せ、ベディの髪の毛を梳くように優しく撫で始めた。
「朝からありがとう、ベディ。疲れてない?」
その言葉と手の温もりに、ベディは心を震わせた。
自身の身の内に、人の魂がないことは知っている。
この身の内に流れているのは、温かな血液ではない。身体を構成しているものには骨もなく、肉ですらない。身を覆う皮膚すら、作り物である。
髪の毛も、睫毛も、眼球も、爪も、ベディの身体を生み出し、形成しているものは全て人工物だ。目の前の彼女は、ぬいぐるみや
それでもノエはたった一人の、ベディという人格を有している者として見ているのだろうと。それを感じ取れるだけで、胸の内が熱くなる。
あの人との初対面にも負けず劣らずの感動が、頭の中を占めている。
「……ベディ?」
反応のないベディに、ノエは不安げな声を零す。ハッとして、すぐに頭を撫でている彼女の手を取って、その手の甲に額を乗せた。
「すみません、我が主よ。嬉しくて、つい固まってしまいました」
「もう、名前で呼んでってば。自分は、敬われるほどの魔術師じゃないんだから」
ベディが顔を上げると、ノエは僅かに頬を膨らませて彼の目を見ていた。
彼は小さく微笑んで、頷く。
「はい、分かりました。ノエ」
「……身体の調子がおかしいわけじゃ、無いんだね?」
「はい、異常はございません」
「ん、良かった」
心の底から安堵する彼女の声音に、ベディはまた首を縦に振った。
「……よし。じゃ、今日の夜十二時前から準備して、一時にはここを出よう。ホワイトチャペルはここから少し遠いから、馬車を使っていくよ」
「はい、かしこまりました。ノエ」
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