第1回 たった一つの愛のために(後編)

――真央は、もうお前の所にいないだろ?


 ……何を言っているんだ? だってさっき、真央の見送りをしただろう。


「つまらない冗談はよして下さい。面白くないですよ」


『こっちだよ。面白くないのは』


――いい加減、目を覚ませ。


 その言葉にイラッときた僕は、強気な口調で返信して、そのまま家を飛び出した。


「そこまで言うのでしたら、彼女の会社から証拠をとってきますよ!」



 きっと妬みだ。そうだ。そうに違いない。僕が婚約中であることを妬んでいるだけなんだ。僕がそう思いながら走っていると、真央の姿が見えた。間違いじゃない。真央は駆け足で自身の勤務先である会社の中へと入って行った。僕もそれを追うようにして会社の中へと駆け込む。


 だが、社内に入ると、惜しくもその姿を見失ってしまった。僕は慌てることなく真央の勤め先であるオフィスを受付嬢に告げ、ゆっくりとした足取りで向かった。そして、オフィスに着き、僕は辺りを見渡した。僕の姿を見たお偉いさんは、何故か呆れた様子でこちらに近づいて来る。


「正樹様。如何なさいましたか?」


「真央は? 真央さんはいらっしゃいませんか?」


 僕の言葉を聞くと、お偉いさんはため息を吐き、僕に告げる。


「正樹様。何度も仰いましたよね? 真央さんは、現在――」


――お近くの大学病院に居られます。


「……え?」


「ですから、大学病院でございます。いい加減、お帰り願いますか? もしよろしければ、いい精神科をご紹介いたしますよ?」


 僕は何も言わず、会社を出た。



 嘘だ。真央が病院だなんて信じられない。しかも、大学病院に入院中だなんて。僕は何となく、真央の会社の近くにある信号と交差点を見つめた。すると、その瞬間、頭に急な激痛が走る。と同時に視える景色。


 交差点……渋滞……赤信号……警察……赤い……赤い血……赤い血と……。


「うぁぁぁぁぁぁ!」


 僕はその場にしゃがみ込んだ。そうだ。思い出した。全部、全部。


 あの日。丁度、今朝の様に真央は急いでマンションを出て行った。勿論、キスを交わしてから。それから僕は、いつも通りにパソコンを開いて、同僚から送られた資料とメッセージを見て返信した。そう、それも丁度今朝のように。


「今日も真央が寝坊しそうになってて、大変だったんですよ」


 それから作業を始めた僕の元に、真央の会社から突然連絡が来たんだ。


『正樹様ですね? 真央さんが交通事故に遭い――』


――意識不明の重体で発見されました。


 その通告はまるで、死神の鎌が僕の首に掛けられた様だった。僕はスマホを落とし、急いで真央の会社に向かった。そして向かった先の交差点で見た光景は、思っていたよりも遥かに悲惨だった。


 信号は赤信号で止まり渋滞。辺りには警察が沢山いて、救急車も沢山止まっていた。そんな状況を、人々は楽しむ様にスマホを掲げ、録画や写真を撮っていた。僕はそんな人混みを掻い潜り、奥へと進んで行く。そして奥へと進んだ先で見た光景は、さらに悲惨なものだった。赤い血が飛び散り、真っ赤に濡れた真央が……。


 僕は真央に近寄った。そんな僕を、彼らはさらに面白がって撮る。録画し、投稿して”いいね”を稼ぐ。そんな彼らに、僕は精一杯の声を上げた。


「頼む……撮るな……撮らないでくれ! 放っておいてくれよ! 撮るなよ!」


 それからというもの、数日間に渡って、マスコミは僕の家を張り続けた。僕は在宅勤務ということもあり、ひたすら家に籠った。だが、鳴り響くインターフォンは、僕の精神を侵すには十分だった。それからマスコミは徐々に減っていき、人々は僕と真央の存在を忘れていったが、僕は……自身を閉ざした。


 あの日の朝を。あの日あるはずだった幸せな日々を、何度でも繰り返した。真央のお見舞いになど一度も行かず、ひたすら幸せだった日々に浸かった。



 全てを思い出した僕は、真央の入院している大学病院に向かった。そして案内された病室には、様々な医療機器に繋がれて自由を失った、永遠に眠ったままの真央の姿があった。僕はそこでもう一度現実を突きつけられ、病室から出て行ってしまった。そして、病室のすぐ近くにあるベンチに座り込んだ。


「なんで……なんでだよ……! 僕らはただ……幸せを求めただけじゃないか……! 僕は……愛を求めちゃいけなかったのか……!」


 僕は手で顔を覆った。


 そんな時だった。


――愛を失う時、“愛の式場”が開かれる。


 そんな言葉が、僕の頭の中に響いた。と同時に、病院全体が誰もいなくなったかの様に静かになる。その不自然さに僕が顔を上げると、目の前に花のアーチで囲われた大きな木の扉があった。先程まで無かった、違和感たっぷりの扉が、そこにあった。その瞬間、もう一度アナウンスの様に声が響く。


――新郎、前へ。


 僕はアナウンスに導かれる様に、その大きな木の扉を開く。すると、扉から差し込む光に身を包まれ、僕は本能的に目を閉じた。そしてゆっくりと目を開けた先は、至る所が花で飾られた教会……いわば、結婚式を挙げる様な式場だった。


「新郎、前へ」


 両手を広げる大きな石造の下に、ピンク色のカソックを着て、見た事の無い聖書を片手に持った若い神父が、僕にそう告げた。僕が恐る恐るその神父に近寄って行くと、ある違和感に気が付いた。


――歩きづらい。


 そう思って自分の服装を見ると、いつの間にか白いタキシードを着ていた。これではもう完全に結婚式の新郎ではないか。ということは、新婦も? そう思って歩きながら前を見つめると、神父の前にもう一人いた。姿と白いウェディングドレスからして、女性だろう。僕の新婦……まさか……! そう思った時にはすでに、僕は神父の前まで来ていた。やはりさっきからおかしい。自分の意思に反して、足が勝手に動いている。


「それでは、新郎新婦が揃いましたので、誓いの言葉といきましょう」


 僕が隣の女性を見ると、その正体はやはり――真央本人だった。僕は腰を抜かして驚きそうになったが、どうやらこの空間は腰を抜かすという行為すらも許してはくれないらしい。そして、そんな僕なんかお構いなしに、神父は話を進めていく。


「新郎。貴方は彼女を深く愛していますか?」


「はい」


 聞きたい事は山ほどあるが、とりあえず質問には答えておこう。じゃないと、何をされるか分かったもんじゃない。


「それは本当でしょうか?」


「え?」


 神父は突然そんな事を聞き始めた。おかしい、一般的に、そんな流れは無いはずだろう。一体何者なんだ、この神父は。


「何故そんな事を聞くんですか?」


「質問に答えなさい。貴方は、本当に彼女を深く愛していますか?」


「もちろんです」


「何故、そう言い切れるのですか? 愛を知らない、愛に恵まれなかった貴方が、何故彼女を深く愛していると言い切れるのですか?」


「それは……」


「貴方は両親に愛されず、自身を押し殺して生きてきた。愛が溢れるこの世界で、ただ貪欲に愛を求めて生きてきた。そんな貴方が、何故、彼女だけを深く愛していると断言できるのですか? お答えください」


「何故、あなたがそれを知っているのですか!」


「質問に答えなさい」


 神父は落ち着いた口調で、ただそう告げる。僕は的確に暗い過去を突いてくる神父の質問に対して、深く考え込む。考え込んで考え込んだ先に出てきたのは、真央の笑顔と温もり。そして、言葉。


『誰にも愛してもらえないんなら、私が愛してあげる。信じられないなら、私の目を見てごらん』


 僕は俯いた状態で、僕を見下す若い神父に対して答えをぶつける。


「……分かりません。何故、真央だけを深く愛していると断言できるのか、分かりません。そもそも、あなたの言う通り、僕は愛に恵まれてないから、愛がどんなものなのかも分かりません。でも!」


 僕は顔を上げて神父の冷たい、無機質な瞳を見つめる。


「真央が僕を受け入れてくれた時、真央が僕に笑顔を向けてくれた時、真央が僕に面白い事をした時、真央が僕に……優しい言葉を掛けてくれた時……それぞれの時に感じた同じ感情、温もりは、絶対に忘れる事がない! その時の温もりが愛だというのなら、僕はその温もりを、笑顔を、彼女に返してあげたい! それが、僕が彼女だけを深く愛しているという証拠だ!」


 神父はじっと僕を見つめる。そしてしばらくすると、その重たい口を開いた。


「なるほど。貴方の愛が本物であると証明されました。では――」


――貴方はそのたった一つの愛を守るために、その愛を犠牲にすると誓いますか?


「……は?」


 訳が分からない。本当にこの神父は何がしたいんだ。愛を確かめさせて、その上で結婚式(?)を続行させるんじゃないのか? そもそも、ここは一体何なんだ。何故、真央がここに居るんだ。


「どういう事だ! 何故、そんな事を誓わせる⁉ ここは結婚式の式場じゃないのか!」


「ここは、結婚式の式場などでは御座いません。初めにアナウンスさせて頂いた通り、”愛の式場”なのです。愛に恵まれなかった者、初めて深き愛を手にした者、歪んだ愛を手にした者……様々な形の愛を手にした者が、その愛を失い、酷く自身を見失った者が辿り着く式場なのです。いわば、ここは貴方達の深き愛を証明する、最初で最後の晴れ場なのです」


「愛の証明……? 何ですか……それ……」


「ですから、よくある物語の様に、『質問に答えたからその愛を成就させましょう』みたいな事はしない訳です。場合によっては、お相手の命を奪うことさえあります。そう、貴方の様な場合にですね」


 僕は酷く落胆し、その場に倒れこもうとした。が、この空間はそういった行為を一切許さない。僕が自由に動かせるのは視点と、口と、思考だけだ。僕は俯いた状態で、先程の神父の質問に答える。


「たった一つしかない愛を守るために……その愛を犠牲にすることなんて……そんなの誓える訳が無いだろ!」


「何故ですか? 貴方のその深き愛を生涯守るためですよ? 何が、そんなに貴方を邪魔しているのですか?」


「それは……」


 その瞬間、僕の後ろで教会の扉が勢いよく開かれた。すると同時に、僕の身体も無理やり動かされ、扉の方を向かされる。扉の向こうは光が溢れていて、はっきりとした景色を確認することが出来ない。が、薄っすらと何かが見えてきた。


 多分、僕と真央。それに……僕たちの子供。あれは、女の子かな? いや、男の子も居る。四人家族か……。あれはまさに……。


「あちらに視えているのが、貴方を迷わせているもの。この場合は、夢や望みというものでしょうか」


 夢や望み……か。そう、僕は、真央と温かい家庭を作りたい。僕が幼い頃から夢見た家庭を築きたい。だから、僕は、真央の生命維持装置を止める事が出来ない。あの瞬間、真央の病室に入った瞬間、分かったんだ。真央は生命維持装置に繋がなければならない程、重体である。それはつまり、もうこの世界に戻ってくる可能性が低いということだ。


「そうだよ……分かってるんだよ……このまま生かしておいても、何も変わらないって。でも、でも、ほんの少しの可能性に賭けたいんだよ! 彼女……真央は目覚めるかもしれない。そんな可能性に賭けたいんだよ!」


「自由を奪われた彼女の姿を見てもですか?」


「…………」


 脳裏に過る、真央の姿。真央はいつだって明るい人だった。ちょっと抜けている所があっても、そこがまた可愛くて。いつだって……いつだって真央は、自由で、僕を笑顔にしてくれた。僕を愛してくれた。


「僕だって、こんな事は間違ってるって分かってるんだ。それでも……それでも」


 扉の向こうからは賑やかで明るい声が聞こえる。僕がずっと憧れていた家庭。その家庭を、僕がただ「誓います」と答えただけで崩せてしまう。悩む僕の耳に、扉の向こうから真央の声が聞こえてくる。明るくて、可愛くて、周りに元気を与えてくれる様な、優しい声。


「決めたよ。僕は――」


――真央のたった一つの笑顔と幸せを守るために、僕の愛を犠牲にする。


 そう、僕がもらった愛を、真央に返すんだ。真央の幸せという、僕のたった一つの愛を守るために、その愛を犠牲にするんだ。


「では、誓いのキスを」


 神父にそう言われると、僕は自分の意思で、ウェディングドレス姿の真央に近づく。そして、真央のベールを上げた向こうには、いつもと変わらぬ笑顔を向ける真央がいた。作り物じゃない。本物の真央だ。それから、僕は真央に――。


――誓いのキスをした。


 すると同時に、教会の足場が消え、僕だけが深い深い暗闇の中へと落ちていった……。



 僕が目を覚ますと、そこは真央の病室だった。あれ? なんで僕はここにいるのだろう。今まで、何をしていたのだろう。立ち上がると、ベッドの上には生命維持装置に繋がれた真央が眠っていた。が、心電図はピーと甲高い電子音を上げていた。そう、真央は死んでしまったのだ。だが何故、生命維持装置に繋げているのに、真央は死んでしまったのだろう。何も分からない。


「真央、聞こえるかい?」


 話しかけるが、勿論、返事は無い。だが、苦しんでいる様子は無かった。微笑んだまま目を瞑っている為、意地悪で寝ているふりをしている様に見える。だからか、僕も死んでしまって凄く悲しい、という感情は無かった。勿論悲しいのだが、そうではない。全ての重荷から解放された様に軽く、そして、心が温かかった。あの時、真央に救ってもらったあの時の様に。


「真央、今までありがとう。愛を知らない僕に、たった一つの愛をくれて」


 そう言って、僕はふと、ポケットを探った。するとそこには、真央に渡すはずだった結婚指輪が入っていた。僕は微笑んで、真央の指に、その結婚指輪をはめた。


「さようなら、真央――」



 世界は、愛に溢れている。だからこそ、愛に恵まれぬ者は、貪欲に愛を求める。愛を求め続けた者が得た愛は、より深き愛となろう。


 だからこそ試すのだ。


――愛を失う時、“愛の式場”が開かれる。



 一方その頃、各地で相次ぐ不自然な死亡事件を捜査する、二人の警官がいた――。

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