次の渡りまで【テーマ:再会】

 海鳥であるオオミズナギドリは、夏季に繁殖期を迎え、冬季になると越冬のために南下する。その飛行距離は一日1,000kmにも及ぶ。黒縁に白い斑点が特徴のオオカバマダラも、一年のうちに北上と南下を繰り返すチョウである。その移動距離は、カナダからメキシコまで、5,000kmを越えることもあるという。これらの《渡り》と呼ばれる現象は、餌や繁殖のため、あるいは気候的要因によって発生する。


 海洋生物学とかいう研究をしている友達が、かつて熱く語っていた。《渡り》をはじめとした生物の行動を研究する手法の一つとして、バイオロギングというものがあるらしい。GPSセンサーと加速度センサーを複合させた小さな記録機を生物に付け、その行動を記録し、移動範囲や姿勢から生態を解明するのだという。

 そうして僕は思い出した。その時に友達は、商売道具であろう小さな記録機を一つ、僕にくれたことを。




「やぁ。また会えたね」

 中肉中背、長めの黒髪、色白で瞳の色は黒。切れ長の目が笑っているように見える彼の名前は、ヒトトセさん、というらしい。

「はい。もうそんな季節なんですね」すでに何年目かになる挨拶を僕は返した。

「今まではどこにいたんですか?」

「北欧の方に」

「オーロラ見ました?」

「見たよ。ちょっと味気なかったかな」

 会うのは一年ぶりだろうか。

「それで、頼んだ物ある?」彼もいつもの調子で聞いてくる。

「はい。今回はちょっと大変でした」

「いつも助かるよ」

 これも何十回と繰り返してきたやり取りだ。そうして僕はヒトトセさんに、足の生えたオタマジャクシ五匹、アゲハチョウのサナギ三匹、富士樹海に生えた苔の花六センチ四方をそれぞれ渡した。

「ありがとう、良い状態だ」

 ヒトトセさんは大事に受け取ると、まずアゲハチョウのサナギを一つ、口の中に放り込んだ。

「そういえば、また頼み事なんだけど––––」

 サナギをごくりと飲み込んで、彼は言った。


「やぁ。また会えたね」

 次の季節。ヒトトセさんは僕の前にまた現れた。笑っているような切れ長の目で僕を見る彼の姿は、背の低い恰幅が良い体格、短めの赤髪、色黒で、瞳の色は緑だった。


 ヒトトセさんは、人ではない。

 ある日突然現れて、落ちている途中で掴み取った一片の桜の花弁が欲しいとか、七分の三まで紅葉したイチョウの葉が欲しいとか、そういう変わった物が欲しいと頼んでくる。そうしてフラッとどこかへ行ったかと思うと、季節がひと巡りする頃に以前とは全く異なる容姿で現れ、頼んだ物があるか聞いてくる。頼んだ物を受け取ると、丸飲みにする。クジラや鳥やカエルなんかを連想させるその光景を、僕はもう何年も繰り返し見てきた。


 頼み事を何度も叶えてきたのだから、ちょっとくらい––––ちょっと渡す物の中に友達からもらった記録機を隠して丸飲みさせるくらい、許されると思った。

 やがてヒトトセさんの腹の中から得られたデータは、こんな数値ありえないと友達に言わしめる物だった。どう解釈しても、現代の移動手段では実現不可能な速さで世界中を移動しているのだという。それも単独ではなく、まとまった集団としての動き方で。



「そういえば」ヒトトセさんの口端からハラビロカマキリの足が出てきた。丁寧に口に入れ直してもう一度、そういえば、と言い直す。

「もう、私たちは渡りの時期なんだ」

 新しい頼み事だと思っていた僕は面食らった。

「渡りって何ですか?」

「移動だよ」

「北欧とかですか」

「違う。次の星へ、だ」

 言葉の意味が理解できない僕を見て、ヒトトセさんはしまったという顔をした。

「気づいてると思ってたんだけどな。何年か前、僕に発信機飲み込ませたでしょう」

「……知ってたんですね」

「そりゃあね」



 正直なところ、得られたデータを僕は深く考えなかった。頼まれ事は苦ではなかったし––––最近のオタマジャクシや樹海の苔は苦労したけど––––年に一回会うかどうかだったんだ。


 ヒトトセさんは必ず僕が一人でいる時に現れる。だから彼を特別に気にしたことはなく、誰かに紹介したこともない。

 もしかしたら、他の人にも彼と同じく、年に一回会うだけのヒトがいるかもしれない。もしかしたら、それは彼のように突然現れ、同じく変わった物を頼んでいるかもしれない。もしかしたら、それは地球上のすべての人に対してヒトりずついるかもしれない。しかし、そのことをわざわざ誰かに言う人はいないだろう。一年に一回会うかどうかの人の話など、誰かに言うほどのことではないのだから。


 ヒトトセさんは、人ではない。正確に言えば、は、人ではない。とりもなおさず、それは彼らが何十年も前から地球に渡っていたことを意味した。


「君たちのおかげで、この星で長く生き永らえることができたよ」

 ヒトトセさんは言った。


 あなたたちは誰?

 なぜ会う度に姿形が変わるの?

 どうして地球に来たの?

 宇宙ってどんな所?

 矢継ぎ早の僕の質問に、あまり理解できないと思うけど、とヒトトセさんは困り顔で答えてくれた。

 遺伝子の変容速度が早い種であること、外部から遺伝子を取り込み伸長させて過度な変容の緩衝としていること、遺伝子を取り込む度にその影響を受けること、新たな遺伝子グループを求めて常に星々を渡っていること。

「宇宙はとても、寂しい所だよ」

 ヒトトセさんはそう締めくくった。


「この星にもう用はないってことですか」

「そんな言い方はやめて欲しい。この星で得られる遺伝子の多様性が飽和したんだ」

「また来ますか?」

「それはわからない。けど、遺伝子次第では同じ星に渡ることもあり得る」

「渡り、ですか」

「そう。次の場所へ、次の星へ、次の遺伝子へ。渡りの時が来た」

「それじゃあ、一つだけ教えてください」

「なに?」

 背が高く、痩せていて、金髪で色白のヒトトセさんが、綺麗な碧眼で僕を見た。

「次に会う時はどんな姿ですか?」

 ヒトトセさんは一瞬、キョトンとした顔をした。

「いや、今と全然違う見た目になっていたら気がつかないし」

「それは、わからないな」

 ヒトトセさんの切れ長の目が、そこだけは今までと変わらず笑っていた。



#新匿名短編コンテスト・再会編(2022/5/1~6/14)

https://kakuyomu.jp/works/16816927862378848244

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

匿名短編コンテスト投稿作品集 湫川 仰角 @gyoukaku37do

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ