オートクチュール・ポップコーン【テーマ:女装】
「立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。って言うけどさ」
平日昼下がりのカフェ。大きく開いた純白のパラソルが、テラス席の若い女性やカップルに丸い日陰を落としている。
僕はそのうちの一つで、先輩にアイスコーヒーを奢ってもらっていた。先輩はフルーツたっぷりのパンケーキにベリーのソースを沢山かけて、ナイフとフォークで器用に切り分け、そう言い出したのだった。
「綺麗な女性のことですよね」
切り分けられたパンケーキを眺めつつ、僕は答えた。パンケーキはいつまでたっても口に運ばれず、フォークの先で弄り回されている。
「女性だけを花に例えるのは不公平じゃない?」
「花といえば、みんな女性を思い浮かべるじゃないですか」
僕が答えると、先輩は口を尖らせしばらく考え「じゃあ、その花を実際に見たことは?」と質問を重ねた。
「百合くらいなら」と僕が返すと「綺麗だった?」とまた聞き返す。
「きれい、なんだろうなー、と」
先輩は僕の答えに「ふーん」とだけ言うと、いじり倒していたパンケーキを口に放り込んだ。
「じゃあ、他の花は?」
パンケーキを頬張りながら先輩は続ける。
「牡丹は見たことあるかもしれないですけど、芍薬はどんな花か知らないです」
「綺麗だと思う?」
「例えにもありますから、綺麗なんでしょうね」
「見たこともないのに、どうして綺麗だと思うの?」
「花だから、たぶんそうなんだろうなって」
「じゃあ、タンポポと芍薬ならどっちが綺麗だと思う?」
「……芍薬、でしょうか」
「綺麗なものの例えに使われているから?」
「そういうわけではないですけど……」
歯切れの悪い僕を尻目に、先輩は最初に注文したデカフェのコーヒーを一口啜った。
「んまい」と呟く先輩を眺めながら、この人のことなら迷いなく綺麗だと言い切るのに、と僕は考えた。
先輩のグラスを持つ手は白くて長くて、血色良く見えるネイルは主張しすぎず、とても良く似合っている。グラスに口付ける唇も艶やかで形良く、黒髪に隠れがちな大きくて真っ黒い瞳は吸い込まれるようだ。
「芍薬も牡丹も百合も、どうして綺麗だって言われるんだと思う?」
「先輩はそう思わないんですか」
「いや、綺麗だと思うよ。でも、そこらへんに生えてるタンポポだって綺麗だよね。だけど、綺麗な女性には例えられない。どうして?」
「さぁ、僕は男ですし……」
「ちょっとは考えてよ」
少しむくれる先輩の仕草も、口調も、容姿も、綺麗だ。
先輩は本当に、綺麗な女性に見える。
「私はね。その花を見る人たちが、綺麗であることを求めているからだと思う」
「自分が、ですか」
「うん。……だから俺は、この格好をしてる」
気がつくと、そこには普段の先輩が座っていた。
「実際に目で見て、嗅いで、触って、しっかり手入れして。その実感として、求めている綺麗さを自分自身で感じることが大事だろ」
「自分自身が感じるため……」
「ま、どんなものに何を求めるかは人それぞれだろうけど」
「そうなんでしょうか」
「そうだと思うよ」
微笑む先輩はもう、綺麗な女性だった。
「そんな感じで、緊張はほぐれた?」
「……なんとなく」
「じゃあ、そろそろ行ける?」
いつの間にか、皿のパンケーキはもうない。
「……はい。大丈夫、です」
僕が立ち上がると「あ、でも飲まないの? アイスコーヒー」と先輩は少し笑いながら聞いてきた。
「いや、口紅が落ちちゃうかな、と思って……」
「ん。そういう意識があるのなら良し!」
カラカラと笑う先輩を見て、僕はまた少し恥ずかしくなる。
アイスコーヒーはすっかり氷が溶けきっていた。
パラソルの外に出ると、初夏の日差しに皮膚がジリジリと照りつけられた。空にはくっきりとした輪郭の、大きな雲が浮かぶ。青と白で彩られた大海原の下で、大勢の人たちが買い物を楽しんでいた。先輩もまた、その中を楽しく泳ぐように歩く。
けれど僕は、先輩の隣を陰鬱な気持ちで歩いていた。雑踏の中、いつもより人の声が耳に入ってくる。
――あそこおいし―――ねぇ知って―――お待たせ――うわ――バイトで――いらっしゃ――ねぇ見てアレ―――上司が―――あれかわいい―――キモっ―――怖―――変なの―――――
僕はだんだんと先輩の後ろにまわり、そしてついには立ち止まった。僕がついてこないことを、先を歩く先輩はすぐに気づいた。
「どうしたの?」
「……やっぱり、帰りませんか。僕には出来ないです」
「出来てるじゃん」
「似合ってません」
「何を気にしてるのか知らないけど、たぶん気のせいだよ?」
「無理ですよ……すいません」
萎縮した僕を見て、先輩は大きく溜め息をつく。
「すいません……」
そして、もう一度謝る僕には何も言わず、先輩は「はい!」と大声を出して両手を打った。
「な、なんですか」
「お店入ってみよっか。服買お」
先輩は破顔しながらそんなことを言う。
「もちろん、可愛いのをね!」
「無理に決まってるじゃないですか!」
「えーどうして?」
「男だってバレちゃうからですよ! いや、先輩ならバレないんでしょうけど!」
「いやいや、分かるに決まってるじゃん。骨格も声もやっぱり男だもん」
気にする様子のない先輩に、僕が間違ったことを言っている気がしてくる。
「でも、お店の迷惑になるかもしれないし」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと客として行けばね。それに……」
「はい?」
「恥ずかしいと思うのは自然だけど、後ろめたいと思いながらやってる訳じゃないから」
そう言う先輩の目は真剣で、少しも笑っていなかった。
「……すいません」
僕は何も言えず、また謝ることしか出来なかった。
「じゃあー、あそこ!」
切り替えるように、先輩は小綺麗なセレクトショップを指差した。
「い、いやぁ……やっぱり抵抗が」
「いいからいいから! ほら入って!」
渋る僕を置いて先輩が先に店に入ると『いらっしゃいませー』と若い女性の声が聞こえてくる。明らかに強ばった僕を見て、先輩はニヤニヤと笑った。
「せっかくだから、いろんなものを見るべきだよ!」
それから僕は言われるがまま、先輩との買い物に連れ回された。
何件目かの店を出た時。いつの間にか夕立が降り始めていた。
「やまないねぇ」
先輩が呟く。
「まぁ、可愛いのたくさん買えたからいいよね……ちょっと、聞いてる?」
「高かった……全部高かった……」
「だよねぇ」
先輩はまたカラカラと笑う。
「でも可愛いのたくさんあったでしょ」
「……えぇ、まぁ」
「ただねー、やっぱりサイズが微妙に合わなくて着れない服も多いんだよねーくやしー」
それからしばらく、僕たちは店の軒先で曇天を見上げていた。
「……先輩」
「なに」
「先輩は綺麗でありたいから、その格好してるんですか」
「まー、そういう
「茶化さないでください」
「茶化してないよ、本当のこと。だって、可愛いじゃない?」
「可愛いから、ですか」
先輩の返事は少しだけ、間が開いた。
「お前、ゲームはする?」
「しますよ」
「RPGとかアクションは?」
「します」
「男と女どっち選ぶ?」
「女、かな」
「なんで?」
「可愛い装備が多いから」
「だろ? それでさ、現実もそうじゃないかって俺は思ったんだ」
先輩の瞳には、雨の中を行き交う人々が映っていた。
「化粧して、髪整えて、おしゃれして。なんていうか、選択肢がたくさんあるんだよ、女の子は。自分を表現できる方法がたくさんある」
雨足が少しだけ弱まる。
「最初の店に入る前、お前帰ろうとしたよな」
「はい」
「勝手な想像だけど、周りの声が気になったんだろ」
「……はい」
「当然だな、俺も最初はそうだった。周りからどういう風に見られているか、気になって仕方がないんだ」
先輩の言葉は、雨粒が染み込む様に静かだった。
「でも、どう見られてるのか気にし続けるのが悔しくてさ。だったら俺も、周りのこと見まくってやるって思った」
「どういう意味ですか?」
「お前、今日一日で何か気づくことあったか?」
僕はしばらく考え、一番印象に残ったことを言った。
「赤い靴はめっちゃ目立つ、ですかね」
先輩は大声で笑った。
「綺麗だと思ったか?」
「はい」
「それって男目線だとなかなか意識しないことだ」
「はい」
「自分が身につけるかも、と思って街を歩くとさ。今まで目につかなかったものが見えるんだよ。そうすると、今まで考えてもみなかったことがいきなり頭の中でポップコーンみたいに弾ける。あの靴可愛いとか、あの色使い良いとか、あの髪型やってみたい、とかな」
「そう、ですね」
「別に、俺はお前に女装を勧めてるわけじゃないし、価値観を変えようとしてるわけでもない。ただ、たくさんの選択肢が目の前にあるってことを言いたかったんだ。普段の俺たちにはそれが見えてないだけでさ」
僕はもう一度、街を見た。
そこには、色、形、文字、広告、映像、質感。雑踏、衣擦れ、笑い声で溢れていた。
それらすべてが、何か特別なものであるかのように、鮮明に映る気がした。
「自分にとって綺麗と思えるものくらい、自分が何を求めるかくらい、自分で決めたい。それだけの話だよ」
先輩がそう言ってから程なく、雨は上がった。
「はー、楽しかった!」
キラキラとした雨上がりの中、先輩は弾けるように笑う。
「僕も、楽しかったです」
次は、赤い靴を履いて先輩の隣を歩こうと、そう思った。
#女装男子匿名コンテスト (2019/6/10~6/24)
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