〈嫉みし者〉と戦乙女ー①

 心臓の鼓動のような音が一回。出現の兆候はそれだけだったが、曽良場の住人全員がそれを聞いた。出現地点からの距離に関係なく一定の音量で一回きり。それこそは〈嫉みし者〉からの呼びかけだったのかもしれない。

 おかしなことだ。心臓のような音を立てたというのに、空中に現れたのは目だ。前回出現したときは目玉の集合体めいていたが、今度は大きな大きな目玉一つでの降臨。どちらの状態が完全に近いのかを理解できる者はいないだろう。召喚しようとしていた組織ですら把握していないに違いない。


 まぶたのような部位も見られて、人間の目に近いことが分かる。それを大いなる不安と共に人々は見上げていた。

 今の時代を生きる者にとってはその目が何らかの驚異だということは子供にも理解できた。しかし……奇妙なことに空の目はただそこにあるだけで何もしていないように見えたのだ。



『レイブンes部隊、現着。少しばかり見てくれが変わっているが……波動計測では87%の確率で前回と同様の個体だ。各機、落ち着いて対処しろ』

『前回の、目からビーム! はパターンを封入済みだ! 負ける要素は無いさ!』

『もう一度、空から叩き出すぞ! Go、Go、Go!』



 同盟アライアンスの空中部隊が、見計らったようなタイミングで輸送機に大型パワードスーツを満載して登場した。連合の勢力が強い曽良場で活躍することによって、住人達の信頼を向けさせたいというちょっとした下心はあるが、深淵を相手にするという行為はただそれだけでも勇敢だ。


 実際に人形ロボットにも見える彼らが、噴煙を上げつつ巨大な怪物に挑む姿は曽良場住人に深い安堵を与えて、同時に熱狂させた。これでもう助かったのだ。後は結果を待つのみなのだと……



『多弾頭ロケット、全弾命中!』

『いやっふぅー!』



 対神秘・対物理の両面において大型の怪異すら粉砕する特性の兵器。相手が得体の知れない存在であれ、敵であるなら無傷ということはあり得ない攻撃が完全に決まった。

 威力を示すような大量の煙が晴れ、そこにあったのは……



 ――こんなところに来なければ良かったのになぁ――



 満面の笑み。目しか無いにも関わらず、そうとしか思えない無邪気な笑みを深淵が形作った。



『……!? 対象健在! 攻撃の効果認められず!』

『兵装をパターンDに切り替え……なんだ?』

『レイブンの電装系が……! 操作が……!』

『操作が効かねぇ! だが飛行も移動も継続中……とりあえず落ちる心配は無い……のか……? なんだこれは……一体どうなってる? 一体なにをされているんだ!?』



/



「あれは……」



 中空の目玉。その周りを延々と虚しく飛ぶ機械人形達。

 あからさまな地獄ではないが、奇妙な不安を煽る光景が空に映し出されている。その雑踏の中でベリンダは群衆と同化して事の推移を見守っていた。



「おお……! うっすら目みたいなのが見える! いやぁ私にとってはまさに眼福だけど、何してるのアレ?」

「まぁ、推測にしかならんが……あの深淵は物理的な被害を齎すものでは無いのだろう。あくまでも結果的にそうなっているだけで、身じろぎでもすれば分からんがな。ああして浮かんでいることがアレの目的そのものなのだろう」

「うーん? ああ、なるほど。動揺する人たちを見て楽しんでいるのかな。愉快犯的な」

「楽しんでいるのか、単に食事なのかは分からんよ。深淵について分かっていることなど、何もない」



 他人事のようにベリンダは隣の狭霧華風と会話している。

 そう……これはもう他人事のはずだ。自分よりも強い連中が空で戦っている。あるいはもう戦おうとしていた、という段階まで追い詰められているかもしれないが……彼らにどうこうできないモノを劣っている自分がどうにかする術もまた無い。

 だというのに、ベリンダの手は固く握りしめられていた。



「じゃあ、事態はこれで収束?」

「いいや……何をしようとしているにせよ、完全に顕現した深淵が何もしないで終わるというのは考え難いよ。風景の一部となってくれるほどの可愛げは無い。どこかでまた動き出す。蟻の列を弄る子供のように……」



 ベリンダの推察は正しい。

 この都市で、彼女以上に深淵と見えたことのある者はいない。例えseals社の息のかかった企業であってもだ。



「この国で昔からある信仰と同じようなものだ。アレは、そもそも戦う意味が無い手合だ」

「ははぁ……頼むから静かにしてくれと耐えるしか無いわけだ。だからベリンダちゃんもそうする?」

「そうだな……それが似合いだ」

「案外、本当にそうなのかもね。じゃ、私は行くよ。ソウボー君もまだ戦っているみたいだし?」

「何……?」



 誰もが空を見上げて顧みない地の底で、愚かな戦士はまだ戦っている。

 そして自分もそれを手伝うのだと、何の力も持たない女が言っていた。

 

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