幕間――未来交錯線――極地探検・④

 多少趣味の広い人間ならば旧支配者という名前に聞き覚えはあるだろう。とある作家が記した作品に登場する、古の怪物として名高いのだ。

 怪物というのはあくまでも人から見た話であって、彼らとの邂逅は人類にとっても旧支配者にとっても思わぬ悲劇となるのだが、そこはまた別の話だ。


 ここでいう旧支配者とは南極に眠っていた“古のもの達”を指す。有り体に言えば現人類以前の地球支配者……その一種……であるらしく、人間とはやや違いがあるものの知性が極めて高い種族だ。

 

 なぜこの存在を退魔師が知悉しているかと言えば、伝承から妖怪が生まれるようにその存在が現実のものとなる可能性があったからだ。それでなくとも、深淵と称される類はこの大作家が記した物語における存在と酷似した点が見られる。一部の者は彼が既にこうした存在と接触していた証左とさえ考えている。

 そんなわけで古のものをはじめとした旧支配者達や外来種族の知識は、退魔師達にとって不可欠のものとなったのだ。空想が現実を侵食していく。それは昔からよくあることなのだ。



「オォラア! ふざけろボケが! ヒトデ頭らしく海に帰れ!」



 “鉄槌”の異名に相応しい一撃を、イルマが見舞う。

 罵倒のようにこの深遠にはどこか海棲生物らしいところがあり、極東に生まれた者にとっては馴染み深いイカやタコに似たところがある。



「ふむ。ぐにゃあと言った感じよな」

「なるほど。これは手強い」



 物理的にも、呪術的にも申し分ない強打だった。

 しかし星型頭部の生命体は、食らった箇所が歪んではいても、ダメージを負ったという印象が全く無いように退魔師達には見受けられた。

 傍から見ていた二人はそう感じたが、イルマは少し違和感を覚えたのか舌打ちしながら首を傾げている。


 古のもの達が腕を振るい、叩きつける度に氷が砕ける。

 恐ろしい膂力だが、技巧などは感じられない。先読みして回避が可能な範疇であり、当然に当たらない。そして方向性は違えど3名は歴戦の狩人。そこからさらに反撃へと出る。


 護兵の気を込めた格闘術。イルマの殺法。

 通じはするものの、効いていない。今度は護兵も気がついたが……



「なんだ、コレは……触れていない?」

「あれだな、暖簾に腕押しとか糠に釘って感じだ。向こうは気にせず殴ってきやがるあたりがマジで腹立つな……で、あんたはなんで切れるんだよ」



 二人が奇妙な手応えを感じているのを横目に、十兵衛のみが相手に次々と裂傷を加えている。気色の悪い断面から漏れ出た緑がかった液体がツンと臭う。

 流石に歴史に名を残した剣豪というべきか。相手の連打があるため、切り落とすという段階まではたどり着けていないが、奇妙な弾力を持った相手の肉体を確かに裂いている。



「ふむ……拙者からすれば二人が切れんほうが不思議よ。不思議。暖簾に腕押しならば暖簾を切る感覚で良かろうに。拙者でできるのだ。術にも通じるお前さん方ができぬ道理もなし、よ。そぅれ!」

「スパッと難しいこと言ってくれますね。それにコイツら……暖簾じゃない。霧か幻の類です」

「あん? そりゃ変な手応えだがよ。肉は付いてるだろ」



 護兵は氣力を目に回して見る。見えている視界を言語化するのは難しいが、集中すれば物質的な視界と霊的な視界のピントを徐々にズラして試行錯誤することも可能だった。



「こちらから見れば、肉体と魂が若干ズレて見える。正確に言えば肉の方にフィルターがかかっているような……これはどこかで見覚えが……」



 その違和感に親しみがあり過ぎて気付かなかったのだ。醜悪な怪物が、怜悧な美女の姿と重なる。

 気付けば、戦いは緩慢な、間の抜けたものへと変わっていった。退魔師達はどうやって敵を狩るかのための沈黙とも取れるが、深淵の側は不可解だ。



「おい、連合の……弱点を今の内に……」



 イルマが冷静だったのはそこまでだった。星型頭のうちの一体が触手を突き刺して、何かを前に出してくる。死体だ。ひび割れたフルフェイスを被った女の死体。先にいた狩人の内一人だろう。



「てめえ……挑発のつもりか。ゲテモノは美味いと相場が決まってるが……」

「待て、様子がおかしい」



 突き刺した触手が少し膨らんだ。そう感じたとき女の肉が痙攣を起こして、大きく仰け反った。まさに挑発のための嗜虐にしか見えないが……衝撃は耳から訪れた。



『あなた方はどこまで現状を把握している?』



 女の死体が口を利いた。

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