深淵と戦おう――護兵――!

 何だこれは、なんだこれは、ナンダコレハ――!


 扉を開ききらない内に、双眸護兵は気脈を全速で周天させた。しかし、それでも足らぬと気脈に六道輪廻の炎を励起までして、己の状態を最高潮まで無理矢理に引き上げた。



「おおぉオオォォォ!?」



 常に冷静であれという教えもかなぐり捨てて、護兵は叫ぶ。


 それは戦闘者としてではない。圧殺される弱者が持つ生命の危機に対する本能に似ていた。つまりは正道の退魔師である護兵でも、隠し部屋の主とはそれほどの差があるということだ。

 しかも部屋を開けたのも護兵自身。選択した行動を取りやめる暇すらない。だが、最大限に引き出した能力が防備も引き上げたため、観察し現状を把握するという最低限の事前準備は半自動的に行われた。


 

 封印された部屋に鎮座する甲冑。

 目に入った瞬間、双眸護兵は真っ先に深淵騎士を連想した。だが、これは違う。封印騎士の物ですらない。単純にあまりに古すぎた。


 全てを見通す目はコレが数千年の時を経ていると冷静に告げている。だが、そんなことがあり得るのか?

 甲冑らしい甲冑。俗に言うフルプレートアーマーのデザインの鎧は、最古でも精々が千年前の代物のはずだ。全盛期では数百年程度しか現在と離れていない。


 地味だが、明らかにオーパーツの部類だ。

 もしや製作者は人間ではなく……そして人類の鎧はコレを模した物ではないのか。そんな考えさえ浮かぶ。


 旧支配者、その創造物、あるいはその敵対者達……彼らは現在の人類もかくやという技術を遥か古代から携えていたという。各地に残された遺跡にはその精緻な遺物が現存していたとも。


 これまで出会った深淵とはまるで違う。

 世に名高い名状しがたきモノどもの同類。正真の異界来訪者。原始宇宙から来たりしマレビトそのものである。



/


 ――潰す!


 その選択すら逃避に過ぎない。

 己が持つ最大の長所。すなわち戦闘力をもって現状から逃げ出そうとした・・・・・・・・に過ぎない。


 発光する気脈が双眸護兵の身体能力を極限まで引き上げて、人間大の暴威へと彼を変化せしめた。

 乱れ打たれる打撃と斬撃の乱舞。皮肉なことに混乱しきっているからこそ、それは最高の純度を叩き出す。掌打に足刀。喰らえば人間はおろか怪異すら跡形もなく残らぬだろう。


 鈍い金属音が立て続けに響き、古甲冑を腰掛けていた質素な玉座から叩き出した。古びた緑の壁へと甲冑は叩きつけられ、埃を撒き散らした。



「仕留め――」



 たのかどうか。判断する前に護兵は手にぬるりとした粘液がまとわり付いているのに気づいた。

 それは蛍光インクを撒き散らしたかのように、不自然な程に鮮やかな緑色だった。


 あまりに不快な感触に、一気に落下させられた気分で護兵はわずかに冷静へと戻った。狂乱状態から回帰した精神が現状を告げた。



 ――先の打撃による効果、皆無。



 甲冑は聖人のように壁へと打ち付けられた姿のまま。ただそのヘルムのみが闖入者を見据えている。



 ――間違えた・・・・。これは戦いを選ぶべき存在では無かった。



 対峙するだけで狂乱しそうな気配と思念を送りながらも、深淵は何もしない。ただ己の行為を悔やむ人間を、眺めて喜んでいる。



「……奉仕者でも、創造物でもない……」



 たどり着いた答えを思わずつぶやく。相手が言葉を返すこともない滑稽な一人芝居。

 宇宙に現れては、浮かんで消える巨大な目玉。アチラが深淵であり、ソレを召喚し供物を献上するのがこの甲冑の骸だと思っていた。


 だが違う。この甲冑のようなものもまた深淵そのもの。

 別種の深淵が同時に存在したわけでもない。


 コレはあの目玉の口なのだ。彼が人の後悔を喰らい、そして一定以上のエネルギを得た際にあの目玉が界の法則を超えて、実体化する。

 不定期に現れて人を狂乱させる怪異は、彼にとって所詮ゲップ・・・程度なのだ。



「お、オオォォォ!!」



 それを知ったところで双眸護兵は止まらない。なぜなら逃げ道はそこにしかない。

 コレが完全なる顕現を果たした時、世界はどうなるか? 語るまでもないことだ。彼の寝起きのあくび・・・で、少なくとも直下の曽良場全域のヒトは狂気に呑まれて滅びるだろう。下手をすれば世界全体すらも。


 掌底。打突。気刃。

 持てる限りを尽くして退魔師は甲冑を打ち据えるが、カタカタと笑うように鳴るだけだ。



『いあ、いあ。えむじ・りぐれ。すいすいぐりーふ』

「笑うなぁぁ!」



 護兵を完全に愛玩物か、菓子とでもみなしたのだろう。

 “深淵の口”はとうとう何事かをささやき出す。全く理解できない言語でも、嘲笑われていることだけは誰にでもわかるだろう。


 実際にソレにとって、獲物が興じる“何事か”はとても愛らしいものだ。どれだけ自身のサイズまで持ち上げて考えても、子犬がじゃれついてるようにしか思えないのだ。

 そんな真っ当な思考をしていると仮定しての話ではあるが、それがヒトと深淵のサイズ差であった。


 戦いを選ぶべきではなかった。双眸護兵が抱いた最初の感想は正しい。

 〈嫉みし者〉はヒトの視点から見た場合、最悪に近い類の深淵だ。つまりは戦いが成立しない手合。仮に〈嫉みし者〉と同等の力量がある退魔師が実在しようと、意味を成さない。


 彼には血肉も無く、魂すらもない。甲冑も食事をしやすくするために、誰かに作らせた入れ歯でしかない。ゆえに切った張ったなどは、どれだけ強力でも意味をなさない。


 〈嫉みし者〉を撃退しようと考えるのならば、全く別のアプローチが必要となる。気を用いた戦闘を行う操気師のみならず、あらゆる戦闘者にとっての鬼門だった。


/


 だからといって故郷の足下にこんな者がいると知った護兵は諦めるわけにはいかない。恋人、友、家族、教え子に同胞――ここには彼の宝物が詰まっているのだ。



「――炎刃!」

『……? ぺい・いっ、くとぅぐあ?』



 腕部の宝石より現出させた、餓鬼・針口の炎。

 護兵にとって後付された、取り得る最高の火力だった。それは確かに効果が認められた。


 甲冑からはわずかに煙が立ち、それを不思議そうに〈嫉みし者〉は見ていた。

 餓鬼の炎はただの熱ではない。六道輪廻のわずか一部分だが餓鬼道と地獄道に通じる、贖罪の炎なのだ。深淵が異界の生命だとするなら、これもまた異界の法。界を異なるがゆえに、〈嫉みし者〉の完全性にわずかながら傷をつけたのだ。



「通じ、おげぇぇぇっ――!」



 通じた、という言葉は形にならなかった。

 焼けた甲冑から上がった煙からは、魚の生臭さを何万倍にもしたような不快な臭いがした。それをわずかに吸っただけで護兵の肉体は生理的な反応から硬直して嘔吐した。



 ――駄目だ。相性が悪すぎる。誰か、手伝ってくれ。華風、博光、ベリンダ……これは俺には止められない。


 願いながら、無様な戦闘が再開された。

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