顔をあげよう!
神秘が開示されてもう随分と経つ。
確かに魔法や超科学は身近になり、旧い社会体制は崩壊しつつある。
だが、全てではなかった。それが最も顕著なのが宗教だろう。
実在することが分かった以上は、神がいても不思議はない。少なくとも奇跡を行使することを許された者はいるのだから、過去の逸話などは真実と見ることができるようになった。
民衆にぴったりと寄り添って拡大を続ける大宗教は勿論健在。同時に、非常にマイナーでカルトな宗教団体が現れては消えていった。
その中でも多く見られるのが〈深淵〉信仰である。とにかく意味不明な存在が多い深淵だが、幅が広いだけあって中には明確な恩恵を授けてくれるモノもある。
魔術を初めとした神秘関連の技術は、努力と才の両方が必要だ。科学の恩恵を得るには時間か知恵か、あるいは金のいずれかが求められる。
だからこそ邪法、外道の誹りを受けようとも手軽に力を手に入れられる深淵信仰は無くならない。――なぁに、生贄には自分以外を捧げればいい。それでも己から取りたいのなら仕方ない。――投げやりな思考で価値のあるものを献上して、手軽に力を得る。
後々困るかもしれないが、“手軽さ”は全てを押しのけるほどの魅力があるのだ。
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捻れたサイボーグの腕を踏み潰しながら、同時に護兵は苦虫を噛み潰した顔をした。
……何とも後味の悪い仕事だ。
「ひっく。ひっ。俺の腕が……俺の腕が
「足がねぇよぉ。大会は明日なんだよぉ……!」
薬でも使っていたのか。このクラブにいた若者達は、敗北してしばらくすると俯きながらすすり泣いている。
深淵を信奉する団体には|seals社――元は深淵へと対抗するための組織だったが、ミイラ取りがミイラになった組織。トップ不在の状態だが、世界中へと深淵による混乱を広めている$が関わっている集団が多いとされているが、これは極めつけだった。
人の弱みにつけ込み希望を見せつけて、手に負えない存在を召喚させようとする……その悪辣さと己は前に出ない姿勢に反吐が出そうだ。
自分も暴力を生業とする身であり偏見は自戒すべきだ。そう思っても義憤じみた怒りは収まらない。あえて呼吸を意識しつつ、クラブの中を護兵は探索し始めた。
深淵を召喚するのは今まで見た若者では不足だ。術者なり祭具があるだろう。
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「封印騎士、っていうのはさ。どういう人達なんだい?」
「どう……といっても、それぐらいは知っているだろう。元々seals社に属していた者が離脱、本来の目的を見失わずに深淵の排除と封印を目指す者だ。私の父もそうだった」
ミノタウロスのシェフがコック帽を被って、目の前でステーキを焼いている。
いつもならば、食には目がないベリンダも目を伏して眺めているだけだった。彼女の己に対する失望の深さがうかがえる。
ベリンダの父は封印騎士としては風変わりな男だった。誓いを守りながらも、家庭を捨てなかった。
努めを忘れたことはないが、極東よりも西欧、中東、アフリカの方が深淵出現頻度は高い。そこだけ見れば楽な方向へと進んだと言われるだろうし、実際に言われていた。
それでもベリンダの父が極東の島国を彷徨したのは、愛した妻の故郷だったからだ。ミヨシという姓を娘に継がせているところを見れば、彼の愛情深さが分かるだろう。自分の故郷よりも妻の故郷を守り、そして一粒種である娘にもそこで普通に生きていて欲しいと願った。
「いい話だねぇ……と言いたいけど、それで何でベリンダちゃんまで騎士になるのさ」
「そこは単純だ。母が亡くなって父についていく機会が増えると、深淵の端くれぐらいは見たからな。崇高な仕事だと次第に思うようになった。だが……」
世界は変わった。
神秘を実用レベルで身につけた者はそうそういないとはいっても、母数が増えれば自然と頭角を表す者が増える。
そうして……自然と深淵へと向き合う力と精神の持ち主は増え、封印騎士は唯一の存在ではなくなった。
「あのカラクリ達は私よりも善戦していたな。結局は組織の後ろ盾と人数がモノを言う。私が前に出るなど必要なくなってしまった……」
カラクリというのは同盟が使う大型パワードスーツ・レイヴンのことだ。大きく、そして力強い。物理的に対抗するのならば確かに、ああした存在の方が優れていることは疑いない。
そして神秘でも搭乗者次第で上を行くはずだ。
最早自分は意味のない旧型に過ぎない……
年老いた者が得るような感慨を若い娘は抱いていた。
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護兵はクラブハウスの中をくまなく探索していた。
とはいえ彼の目は気によって強化しており、霊的な痕跡をたどることは容易い。若者達の無軌道な動きの痕跡の中から地下へと通じる扉を見つけた。
クラブハウスの内装が途端に西洋ファンタジーめいた石壁に繋がっている。螺旋状の階段は薄緑の気味悪さとともに、どこまでも続いていくようだ。
壁を触ればぬるりとした触感が伝う。奇妙なことだった。
ここまで湿気があるのなら、クラブハウスまで苔が生えていてもおかしくはない。だというのにこの階段は切り離された異界のようだ。
「ようだ、ではなく実際にそうなのかもしれない。それが深淵の恐ろしさか」
ベリンダはよくもこんな存在どもと日頃から戦えている。
ここは空に浮かぶあの目玉へのアクセスポイントに過ぎず……底から漏れ出る圧力ですら、恐らくは下級眷属や奉仕者のものに過ぎない。だというのに足は自然と後退しそうになる。
いかな退魔師とて所詮は
それでも戦えるのは……
「惚れた弱み? アレでもう少しおとなしくなってくれれば……いや、それは部長じゃないな」
人の持つ強さ……絆を描いて最下層にあった扉を開いた。
/
それは怨念。妄念にして執念。
古の甲冑がカタカタと笑った。
彼に供物を捧げるは館に集う敗残者たち。偽りの救いが偽りであると知りながら、逃避に耽溺した者たちこそが彼の信者に相応しい。
――私の人生はこんなはずではなかった。
そうだ。歌えよ、嘆き、笑え。
あるべき姿と離れた現在にさらなる未来を思い描き、過去を恥じろ。
――あの時、こうしていれば。
そうだ。そうすればお前は今頃、幸福だった。
そしてお前はそうしなかった。ゆえにお前の不幸は全てお前自身が望んだことだ。
――ああ、許してください
そうだ。許そう。
お前の嘆きは甘い。何であろうと許してやろう。だからいつまでも苦しむが良い。
それこそがお前の望み。
願いを叶えてやるというのだ。心の底からの願いでなくては許さない。表面的な幸福などお前が望むものではない。お前が本当に望んでいるのはコレだ。
妬みこそがヒトの源泉。だからこそお前たちは常に上を睨めあげているのだろう?
だからこそ我らが神は応える。
彼こそは瞳そのもの。墜落の浮遊者。何人たりとも御身を止めること能わず。
ここに星辰が満ちて、〈嫉みし者〉が起動した。
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