新しい力を試そう!
雨が降る降る。雨が降る。
曽良場の都市区画を飲み込んだジャングルに、雨粒は良く映えた。
激しければ激しいほどに熱帯雨林のスコールめいて、緑の土地を灰色へと変えていく。激しすぎる雨の色が未調査区画を塗りつぶしていくのだ。
曽良場の街は言うまでもなく、日本にある。こんな光景はそうそうお目にかかれるものではないはずだが、
この森林は地球由来のモノではなく、異界と接した名残なのだ。産物のみならず天地自然にすら異界法則の名残が残っているのか……
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滝のように流れる水が轟音を発していた。
かつてのこのジャングルはこの大雨とも上手く共存していたのだろうが、半端に人間の都市と融合した現状ではそう上手くいかない。
多くの都市で未調査区域はダンジョンと呼称されているが、熱帯雨林に似た未調査区域の曽良場におけるダンジョンは人間の建造物との融合した姿を言う。
人の作ったビルや地下が樹木に覆われて変形したダンジョンでは旧時代の設計図という地図があるものの、半端に原型を残しているためかえって探索が難しい。
特に地下は未だに探索が進んでいなかった。
「この狭さと湿気では無理もないか」
幸いなことに旧時代の油じみた臭いは殆どなくなっている。代わりにむせ返るような植物の青臭さはあるが、十年前よりは遥かにマシであろう。
双眸護兵は冒険者達が採掘の過程で掘り当てた下水道に来ていた。
分厚い耐水紙に印刷した旧時代の地図と照らし合わせて見るが……“黒い霧事件”による地形の変化は想像以上だった。
そもそも冒険者達がこの地下空間への道を切り開いてしまったのも、そこに下水道など無いという知識ゆえだ。
そんなことを考えていると、横から草臥れた中年の冒険者が口を挟んだ。今回同行した川野辺という男で、退魔師としては下の部類だ。
「そんな地図なんざ役に立たねぇよ。そもそも下水道なんて元はそんなに広い空間じゃねえ。人が通れない程度の幅しかないのが多かったんだ。それが変化以来こうだぜ」
川野辺が顎で示すように、下水道と思しき通路の幅と高さは10メートルを超える。旧時代の下水道が30センチメートルから数メートルしか無いことを考えれば異常だろう。
「……空間の拡大? あるいは他の地下建造物と融合したのか? 何にせよ常識の外か。“黒い霧”を引き起こした兵器〈無明の悪夢〉は創界法の亜種という話だが……」
創界法。世界そのものを作り変える術で、ある意味では魔術の到達点とさえ言える。仮に護兵が気功術を極めることがあったとしても、方向性の違いから習得は叶わないだろう。
それはそれとして神秘に関わってきた一族としては、それが巻き起こした光景だけでも中々に興味深いものであるらしかった。護兵は飽きずに霧ががった地下空間を眺めている。
「いいねぇ。お偉いさんは……俺みたいなのは仕組みなんぞ知る機会もないし、知る気も無いね」
「? なにか気に障ったか? ならば謝る」
「はっ。とことん余裕があるね。報酬以外のことなんざ考えたくもない。そんなことが許されるのは力と時間に余裕があるからだ。あんたみたいにな」
川野辺としては精一杯に嫌味と勇気を込めた発言だったが、護兵は「ふぅん」と気にした様子もない。
――川野辺は仕方なしに冒険者となった人間であり、使い捨ての道具に過ぎない。下の下である彼らのたまり場に噂が広まったのも、坑道内のカナリアとして使われるためだろう。
安価な突撃銃を運んで撃つだけの装置。川野辺の価値はそれだけだ。ところがなぜか、そんな仕事にそれなりに名の通った退魔師が加わっているのだ。
川野辺が思ったことはただ一つ。怖い。それだけだった。
神秘に対応できなかったにも関わらず、神秘に関わらなければ飯が食えないのが彼のような存在だ。
下の域の冒険者にとっては実力者など、敵意ある妖怪と大差ない怪物である。その不安から逃れるために放った憎まれ口も全く効果を成さずにいると、川野辺は更に恐ろしくなった。“こいつは本当に俺と同じ人間なのか?”と――
「あんた……あんたみたいなのが何でこんな所に来るんだ? わざわざ戦わなくたって飯が食えるんだろう? 俺だったら……」
「危険な場所には近づかない……か。経験が足りない。知識が足りない。特にそれが自分に後付された物ならなおさらだ」
護兵は右手を擦った。
その中には名も知れぬ鬼から受け継いだ力が宿っている。検査でも中に赤い宝石がしっかりと確認されていた。
「貴方が思うように、俺は馬鹿なんでしょうね。危険と一切関わらずに一生を過ごしていける自信などないのだから」
それこそ下の冒険者には何を言っているのか分からないことである。護兵は首を振って説明した。
「……火を扱う練習をしなければならないのですよ。お誂え向きに、中から幾つかの気配を感じます。俺が前に出るので援護はお願いします」
「……は」
歯牙にかける必要のない格下を真面目に相手をするとは。双眸護兵は川野辺の想像を遥かに超えて馬鹿であった。
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足元の悪さは想像以上だが、鍛錬した平衡感覚には問題が無い。
地下通路めいた姿に変化した下水道はびっしりと細い木で覆われており、その根や枝が足の動きを妨げるだろう。
それを問題なく歩きながら、油断なく気配を探知する。
……いる。
かねてより各都市で懸念されている存在だ。いや、恐らくは他の都市ではとっくに確認まですませていてもおかしくはない。
この地下空間は中央に激しい水路もあり、発生にはそう悪くない環境に思えた。
……曽良場のジャングルは未調査区域としては極めて地味な部類に入るのだ。安全とさえ言える。だからこそ、驚異が実際に顔を出すまでに何も気付かぬことが多い傾向が見られた。
敵は未調査区域を挟んだ反対側の“百鬼”だけだ。という感覚が無意識に広がっている。だからこそどちらかというと体制側寄りの自分が来たのだ。
集を変えるにはまず頭から。こうした事例があったのだ、と知らしめねばならない。
とん、とん、と戦闘に少しでも良い地面へとリズムよく飛んでいると後ろから荒々しい息が聞こえる。川野辺が安価で名高い突撃銃のさらに模造品を肩に、息を切らして追ってきている。
時折木の根に足を引っ掛けて、顎を出しながらよろめく様は見るからに苦しそうだ。
「……時代は変わったが、こうも残酷とは思わなかった」
実戦練習兼調査対象と接触するまで、まだかなりの距離がある。魔力電池の原料となる石がそこら中に埋まっているせいで、視覚による探査ではなく漠然とした気配だよりだが未だ安全圏と言っていい。
つまりはここまで、そしてこれからしばらくは単に移動しているだけだ。
旧時代は誰もが直面していた問題だが……魔術で空を飛び、レイブンと呼ばれる人型ロボットが闊歩する時代にあっては神秘や科学で強化されていないただの人間は虚弱に過ぎた。
「……なにを言っても失礼だな」
護兵自身も気を操ることによって運動能力を高め、体調を半自動的に整えている。さらに現在では名もなき餓鬼から託された力さえ持っている。
そんな護兵が労ろうと、哀れもうと強者から投げつけられる蔑みにしか聞こえないだろう。
こうしたときこそ自身の異常さと世界の歪みを見せつけられた気分になるのだ。博光や他の退魔師はどう考えているのだろうか?
“普通”とは違う。“普通”とは何なのだろう? 新時代に適応した人間とそうでない者。あるいはその中間。はてさて異常なのはどれだろうか。
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平常時の体力を保ったまま、護兵はピタリと足を止めた。
数分の後に息を切らして川野辺が追いついてくる。
「どうし――」
「
断定した次の瞬間に、擦過していく影に護兵は飛んだ。その手に川野辺の首根っこを掴んだままと思えない速度でだ。肉体派の術士としてただでさえ速かった速度は、今や音を置き去りにしかねなかった。
曲線を描く側面の壁に着地して、ゆっくりと落下する。
「……っ。やはり身体能力が向上し過ぎている。摺り合わせが必要か!」
右手のバックラーの下から熱を感じる。餓鬼から託されたのは彼の存在そのものだった。現在の双眸護兵は鍛錬で積んだものに、妖怪の能力がそのまま乗っている。
急激な強化はそれまでの経験を台無しにして戦闘技術の低下を招きかねない。そのために敵との戦いが必要だった。
「わ! わ!」
吊り下げられたまま川野辺は影に向かって闇雲に銃を乱射している。屋内に響き渡る音が反響して、耳に痛いほどだ。
精度が低い安価な銃というのもあるだろうが、影はそれでも銃弾の速度を平然と躱してのける。
動きが止まった一瞬で、整備用の灯火に照らされてその姿が明らかになる。
蜘蛛だ。植物でできた八本の足を持ち、胴体部は時折鼓動するように伸び縮みしていた。サイズは1メートルほど。
これこそが異界との接続により懸念されていた敵。
「異世界の存在との混交生物!」
魚や蟹の中には毒を持つ他者を食らって体内に毒を蓄えるものがある。
それと同じように異界の生物を喰らい、交わり、代を重ねて変貌した新種の生物群だ。曽良場ジャングルには魔力を蓄積した存在が多く、そして虫のような生物は代替わりが激しい。
こうした存在が現れることは目に見えていた。
「しかし……これほどの能力とはな。これでは旧時代からの退魔師でも……」
新たな驚異は魔力によって強化された動物たちとも言える。野生に生きた彼らのベースは強靭であり、人間とは比較にならない。
つまりは神秘を身につけた害獣に等しい。
目の前の蜘蛛が好例だろう。この蜘蛛は異界の植物を食らって魔力を帯びて身体能力をあげた、天然の気功術士だ。
当然ながら人間、それも退魔師よりも圧倒的に速い。
「ひぃっ。ひっ。付き合ってられるか!」
「止せ! 川野辺さん!」
銃を乱射しながら護兵の手を振り払い、元の道を辿ろうとする川野辺。それは格好の獲物だった。なんて遅い動物だろう。そう蜘蛛が言った気がした。
護兵の目の前で川野辺の首が失われて、胴体はしばらく走ったあとに動かなくなった。
天井に張り付いた植物蜘蛛は人の頭部を前足に捧げ持ったまま、じっと護兵を無機質に見つめてきた。
睨み合う両者。彼の生息圏に踏み込んできたのは人間ではあるが、この施設は元々人間が作ったものであって……悪いのはどちらか?
「落とし所として……勝敗で決めましょうか?」
「シャァッ!」
声のような音と共に蜘蛛が駆け回る。フェイントにも見えるのがこの蜘蛛の知性、あるいは闘争本能の証かもしれない。
1体1ならば
ならば……決意した瞬間に、右腕のバックラーが赤熱化する。バックラーのみならず右腕全体が、熱された鉄のように赤く染まる。
「貴方程度は一瞬で倒してのける。それが、これからの時代に通用する証となる」
気を循環させる。これまでとは違い気脈が二本並行して走っている感覚をイメージする。それは生命全てに宿る無色の生命力と、火を司る赤の気脈だ。
「収束、精製、並びに付属!炎刃……形成!」
小手から気で編まれた刃が伸びる。それまでの気刃とは違い、赤い宝石のようなクリスタルレッドの輝き。
蜘蛛の本能が火を避けようとするが……
「無駄だ」
今の護兵は気の強化に加えて餓鬼の身体能力までもが乗っていた。常態でかつての最大速度を叩き出し、暗殺者めいた動きの蜘蛛をピッタリと捉えて離さない。
一瞬の邂逅に、蜘蛛の感情が無い目に恐怖が宿ったように見えた。
「双眸流――〈炎刃双拝〉」
護兵だけの双眸流が発揮される。
いつの間にか投げ放たれた焔の回転刃と化したバックラーが弧を描いて、敵の背後を強襲する。併せて護兵自身が炎刃を手足に纏わせて襲撃する。
ただ一人で行われる挟撃に、さしもの蜘蛛も為す術無く溶断された。
/
「これがこれからの時代の戦いか。時代に置いていかれるか、付いていけるか。結局はいつも通りのことだ」
焼け焦げる蜘蛛を見下ろしながら、護兵は頷き再び構えを取った。
「次はもっと上手くやらせてもらおう」
その言葉に惹きつけられたか、あるいは蜘蛛の焦げた臭いに導かれたのか。それは分からないが、護兵の周囲に体に植物の要素を持った怪物達が次々と顔を出す。
安全な未調査区域など無い。曽良場のそれも一皮むけば恐るべき魔境であること、他の都市と変わりない。
この日から曽良場のジャングルの地下は要警戒区域に指定された。
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