炎人の餓鬼

 戦で口を糊する者は誰に恨まれるとも知れぬ。

 古代より続く武芸者達の心得の一つである。一人傷つければ当人はもとよりその背後には、その者の家族、友人に同業者、さらには、さらには……と。恨みを持つ者はネズミのように増えていくのだ。

 

 それは一種の業であり、現代に至る退魔師も例外ではない。魔と呼ばれて排斥される者達にも繋がりはあるのだ。

 それを思えば今回の事件は極めて単純だった。かつてなぎ倒された者が立ち上がっただけの話。複雑な事情など何も有りはしない。首を取りそこねた因果が膨らんで、過去から這い出てきただけの話である。


 人が妖怪と成る場合がある。いわゆる徳を投げ捨て、外道に落ちた場合がそれだ。人中の餓鬼と呼ばれるソレは退魔師が相手をする中でも最もポピュラーと言っていい。

 一口に餓鬼と言っても様々な種類があり、一説には36もの種を数えるという。

 それに従って言えば、その男は針口と呼ばれるケチな亡者だった。針口は他者に物惜しみをして、法に従うこともなかった者が成るという餓鬼で文字通りのケチが高じて成るのだ。


 亡者の例に漏れず、この針口もまた満たされること無く永劫に苦しむはずであった。


/


 針口はその業を拭うために、手に掴むものも自分自身すら燃える餓鬼だ。

 罪を生産すれば次の地獄へと進めるはずだが、その火のために罪は増える一方で有り……当然に退魔師の討伐対象となる。端的に言って迷惑な存在なのだ。

 しかし、人が成る可能性がある妖怪というのは世評が中々に厄介だ。「救え」というものもあれば、神秘が当たり前になった時代にさえいなかったことにする者もいる。

 だから……信頼のおける身元の確かな退魔師が派遣されるのは当然の流れだった。


 それは偶然の再会を生み、思わぬ結果を生み出した。

 針口は今でもその光景を覚えていたのだ。


 かつて出会った輝く目の少年のことを。



『輪廻の法則に守られた貴方をみだりに退治することはできない……封じられて貰います。恨んでください』



 その声はあえて平坦にしているように感じられた。

 全身を生きたまま焼かれる耐え難い苦痛の中でも、耳の奥へとはっきりと染み込んでいった。そしてそれは救いでもあった。


 絶え間なく続く痛みは苦悶と嘆きの連鎖であり、紛らわすものが必要だった。だから多くの餓鬼は功徳を得ようとする前に凶行へと走ってしまうのだ。

 許された・・・・。恨んでも良いのだ。

 この幼い聖人の導きに従って存分に恨もう。痛みさえ感じなくなるほどに……


 誰も知らない投棄場で大人達が施した封印を針口は難なく破った。施された封印が弱かったとかでは断じて無い。俺を下したのは顔も知らぬ者達ではなく、あの幼い退魔師なのだという壮絶な理屈によって破ったのだ。


 それから想い続けた。

 あの子を恨むのに相応しい鬼となるべく……


/



「ご……ふっ!」



 柔らかいビジネスコートを貫いて、背中を襲った衝撃から復帰する。双眸護兵が炎の巨人に打倒されたのではない。自分から飛んで、無理な姿勢で着地したのだ。

 そうでもしなければやられていた。


 ……これまでに戦った相手。そして蓄えた知識。それらを考えてもこの怪物と一致するのは、何もない。

 炎を帯びた妖怪、魔物は少なくないが……それでも、これはもっと違うモノだと退魔師としての経験が言っていた。

 特に何も語らない怪物は、ひたすら人間のような動きで護兵へと組み付こうとする。



「……舐めるな!」



 曽良場工房で試作された戦闘用バックラーから刃が飛び出して、唸りを上げる。研究段階の魔力電池を組み込んだ品だが、今の段階では伝達過程でのロスが激しいために実用に耐えないとされていた防具兼武器である。

 しかし、熟練の操気士である双眸護兵にはそれは欠点にはならない。単に圧倒的な長所とならないだけだ。

 右腕に取り付けられたバックラーを自己の一部と認識。気刃を精製する。そしてその流れを利用して軸が回転して、恐るべきミキサーと化す。



「……ふっ!」



 呼気とともにソレを投げ放つ。

 殺戮ヨーヨーへと変化したバックラーが、炎に包まれた人影目掛けて追尾していく。小手から伸びた特殊ワイヤーによってある程度の操作が可能なのだ。

 

 歴史ある双眸流の得物としては邪道であろう。だがそれを使うことへの躊躇いを護兵は既に飲み下した後だった。元より優秀な姉を差し置いて襲名したのだ。これを機に新たな傍流となるのも一興。


 だが対手は放った回転気刃を滑るようにして回避した。それは明らかに戦闘技術を身につけた者の動きであり、妖怪でありながら武を習得した相手に護兵は舌を巻く。


 この奇妙な炎人は強敵であった。

 身に纏う炎が凶悪なことは言うまでもない。その炎により、攻め手は著しく限定される。

 さらには掴んだ物の発火速度が異常であることもこれまでの戦いで分かっていた。護兵の代わりに掴まれた道路標識は溶解して、パンの上のバターのようになっている。気による防備をもってしても接近戦を選ぶのは愚かしいことだった。


 だが、妖怪が特殊な能力をもつのは当たり前だ。この敵が厄介なのはそれ以上に……



「貴方は……我が双眸流と戦ったことがあるのですか?」

「……ッ……ァ……」



 炎人は答えない。あるいは答える機能が無いのか。

 だが、よく見れば何かを訴えているようにも見えた……実際にこの敵は護兵の動きを知っているかのように動く。

 しかし、それとも違う感覚を護兵は覚えた。流派に対応できることと、その使い手に対応できるかどうかは似ているようで別の問題だ。


 守破離という概念があるように、“修めた”と言われる領域にいる武人は独自の要素を付け足していくからである。

 つまり、この炎人は……



「貴方は知っているのですね。技ではなく、私を」

「ァァ……イイ……!」



 炎でその顔も姿もはっきりとは見えない。

 それでもすぐさま襲いかかってこないことが、事実だと伝えてくる。

 護兵は目を閉じて、更に深く集中して目を見開く。



「まず謝罪を……正直なところ、私は貴方を覚えていない。どこかで会ったのか。それとも戦ったのか? それすらも……」

「……」



 棒のように立ち尽くす炎人の姿は、火を消されなかったマッチ棒のように熱く切なかった。

 バックラーの気刃を消して、護兵は静かに右手を前に突き出して腰をわずかに下げた。最も基本的な戦闘の型である。



「それでも許されるなら、貴方に敬意を。考えたことも無かったことですが、貴方は私を倒すために己を磨いてきたのですね」

「……!」



 それが双眸護兵が苦戦する理由だった。

 俗世と修羅の世界、その両方に身を置く護兵は後ろめたさが無意識にあるために自己評価が低かった。

 まさか、己を目標に練磨する存在がいようなどとは思わなかったのである。



「退魔師、いえ、武人としてその想いに応えたい。これよりは私も生き残りなど考えない。決死に対して決死で迎え撃とう!」

「……ィィィィィッ!」



 声にならない声とともに疾駆する炎人。それは、子供が親に駆け寄るような一途さに満ちている。

 単なる突進だが、それはこの場合正道である。触れるもの全てを燃やす炎人の熱を用いるには、小技などむしろ無用の長物なのだ。


 迎え撃つ護兵もあろうことか前へ出た。

 触れれば死ぬ。だからどうしたというのか、後を捨ててこそ応えられることもあるのだ。

 しかし、実際に敵の炎は必殺だ。ゆえに護兵もまた単純に己の全てを込める。



「見て、読み、そして穿つ」



 全てを焦がす炎を前に、気を充溢させる場所を限定することで対抗する。双眸流の代名詞たる目と、相手を貫く右腕へと。

 余程にこの瞬間を想っていたであろう炎人の体当たりは、往年のレスラーのように淀み無く流れる。その想いに対抗するため守りを捨てた護兵の動きは、静謐だ。炎のような一生と連綿と繋がれてきた大河のような百生が交錯する。


 結果は決まっていた。


 護兵の抜き手は炎人の胸を完璧に捉えていた。炎人の熱は護兵の全身を炙り尽くしていた。激痛の中で、極限まで集中した視界が炎人の顔を捉える。

 長年の苦悶に歪んだ醜き顔だった。それに護兵もまた痛みを忘れた。

 


「貴方は……私の初めての仕事の……」

「……!」



 その言葉で炎人の顔がさらに歪んだ。護兵はなぜかそれを笑ったのだ、と理解することができた。



「……あり……とう……」



 何かを言い残して、炎人は安らかに崩れ落ちた。

 自分もその後に続くのだ、と感じたが最後の瞬間は訪れない。


 溶け落ちたバックラーの中にあった魔力電池が、赤い宝石へと変化して右腕へと癒着していく。それとともに炎の痛みは無くなっていく。



「これは……礼なのか」



 この宝石こそがあの醜い餓鬼の中にあった小さな徳の光なのだ。

 そしてその輝きを託された。

 最後の徳を己の敵へと捧げた醜い鬼は、次の輪廻で後悔することはないだろうか?



「……あるはずも無いな。それだけは確かだ。いずれは私もそちら地獄へ。それまで互いに研鑽を積み上げましょう」



 誓いだけを送って、退魔士は封鎖された道路で横になった。

 戦いの余波で周囲には火が残っているが、もはや苦にはならない。

 ほんの少しだけ休もう。これからはこの火に恥じぬよう、さらに強くあらねばならないのだから。

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