戦わないお仕事をしよう!

 護兵はいつもの仕事姿……ビジネスコートを着込んだ姿で市長室を訪れていた。


 行方不明になる冒険者。それは珍しいことではない。“未調査区域”は何が起こるか誰にもわからないのだ。端的に言えば物を落としても地面へと落ちない法則の地ですらあり得る。

 それが新しい時代の常識だ。



「とはいえ……我々が放って置くわけにいきませんね」

「勿論だ、先生。冒険者だの何だのはどうでもいい。大事なのはこの街で行方不明になるやつがいる……つまりは不幸な目に遭う連中がいるってことだ。起こるのは仕方なくとも、諦めてやる道理は何一つ無い!」



 多見の黒い瞳は正義に燃えていた。何の因果か上に立つものとなってしまったが、多見は今でもあの日のままなのだ。だから彼は苦しみ、そして正常でいられる。



「偉そうなことを言っても、前には出しませんからね多見さん。それと護兵先生にも報酬は定額をちゃんと提示してくださいね」

「金治……ちょっとは空気読めよ」



 横合いから突きつけられた現実に多見の正義の炎は鎮火してしまった。

 曽良場は復興中であり、資金源にそれほど余裕がない。中の上というと微妙な風にも聞こえるが、現実的な退魔師のレベルとしてはほぼ最高位。護兵を雇う金額は安くはないのだ。

 護兵より上……つまりは退魔師の中でもそれと知られるような面子となればおよそ常軌を逸した感性が顔を出すのが常であり、事態の収束には全く向かない。広げるのならば話は別であるが。



「そんなものを読んでたら補佐官は務まりませんよ。ねえ市長代理・・・・?」



 金治は何も間違った事は言っていない。

 定額で依頼をこなすのが連合の掟だ。減額も増額も余分な要素を増やしていくものである。そういう見方を持っているのが連合という組織の特徴である。


 遠慮のないやり取り。それを見るのが護兵は好きだった。

 上にいる人間が真っ当な人間性を保っている、というのは実に心地よいものだ。それで判断が狂うこともあるだろうが、好き嫌いは別の問題なのだ。



「ぐぬ……資料は用意しておいたから、狭霧さぎりの嬢ちゃんに調べて貰ってくれ先生」

華風かえに? 私でもこれぐらいは読めますが……」



 分厚いが少し安っぽいコピー用紙の束を受け取る。

 そこにあったのは簡単なリストだが、簡単なだけに読みやすい。この大学随一の頭脳の持ち主に頼るまでも無い。



「時々会っておかないと女の子は怖いぞ? それに俺達が頭をひねるよりもあの嬢ちゃんが1分考えた方が早いだろう?」

「それは……そうですね」



 逆に言えば頼らない理由も無い。護兵は少し考えてから、結局は顔馴染みの元へと足を運ぶことにした。


/


 書物に埋もれた小さな部屋で、黒の花が咲いていた。

 狭霧華風は年齢ごとに華やかになっていくようで、学生達にも人気がある。現在は復興支援臨時本部の顧問……という名の助言役である。金持ちならばこそだが、同時に能力も無ければ務まらない。


 艷やかな黒髪に、時折赤く見える瞳が蠱惑的に映ることもある。だが、護兵にとっては色気よりも親近感を覚える相手だ。

 曖昧な関係のまま続いた男女は、インスタントコーヒーを手に持ちながら仕事とプライベートの話を両立させていた。



「で、これがその資料かい。ソウボー君? 別に私でなくとも読めば一発だろう? 特徴があからさまに過ぎるよ」

「そうですね、部長」



 渡された資料は被害者の簡単な特徴や役割を記載してある。被害者に共通点があるなど一見すれば子供にでも分かる代物である。

 ましてや市長代理の多見と補佐官の金治は元警察。答えなどとっくに導き出しているだろう。



「部長はやめなよ。あの研究会はもう後輩のものだよ……華風でいいさ」

「女性の名を呼ぶのは気恥ずかしいものです」

「それを言う側の方が恥ずかしいさ。まぁ私だって誰彼構わずに呼ばせるわけじゃないけど……しかし、簡単な事件だね。現場がとても難しいことを除けば」



 護兵と同様にそれなりの退魔師であるドバトが持ってきたネタだ。さもありなん。



「消えた冒険者は全て伐採関係での作業員。しかし、それならもっと多くの人が消えるはずだ……となれば、木か? 場所か?」

「推測だけど、木じゃないかな。2km離れた地点に採掘場があるけど、そこでの冒険者には現在まで死亡はあっても、行方不明はいない」



 未調査区域……曽良場ジャングルは豊かな採集地だ。坑道と植物採集に適した場所もかなり近い。正確にはわざと拠点を絞っているので当然のことだ。


 木が原因で消える? 要領を得ないことであり、やはり実際に見てみなければ分からない。神秘の開示以来続く伝統でもこれが一番根強く残っている。

 護兵は視覚を強化する気功術師だ。見れば原因は分かるだろうが、解決するとなると話は別になる。戦闘系の退魔師である護兵は排除に適しているが、穏便に終わらせる場合の能力はそれほど高くなかった。

 

 幸いにして退魔師としての相棒は多芸だ。護兵の視界とリンクさせれば、事件を平穏裏に解決できる可能性は高い。



「博光と一緒が無難か……ありがとうございます、華風」

「私が行こうか?」

「止めましょう。貴方があの“未調査区域”に入ると何が起こるか、想像がつかない」



 狭霧華風はオカルトに執着している女だ。その理由は神秘を一切感知できないという特異体質による。

 なぜそんな存在が生まれたのかは不明だが、終息した後とは言え仮にも異界である曽良場ジャングルに足を踏み入れれば……どうなるかは誰にも不明である。



「……やれやれ。この体は厄介だね。世界は何もかもが変わったらしいのに、私にだけは実感ができない。……木か。思えばあの時が一番楽しかったね。初めて見れたものだったから」



 華風の言葉で護兵は思い出す。

 寒村での事件。屹立する天衝く大木の怪物に立ち向かった日だ。その時は必死だっただけだが、時を経てから振り返るとその光景は輝いていた。



「あそこまで物質面と妖質が共存しているものは中々お目にかかれませんよ。深淵を見つけることがあったら、その時は……」

「いいね。私とキミと、博光くんとベリンダちゃんであの日のように。いや、何だったらキミと二人きりでも良いかな?」



 護兵は笑った。

 悪くないが、深淵を前にすれば観光気分など吹き飛ぶだろう。だが、華風だけは変わらずに目を輝かせているはずだ。

 変わらないものがあるというのは素晴らしいことだった。


 どうも市長代理達にはお節介を焼かれたらしいことに気付いた護兵は静かに笑った。


/


 一帯を少しの間だけ立入禁止にしてもらった護兵と博光は伐採区画へとやってきた。

 元々荒事に来たわけではない。冒険者にしろ退魔師にせよ荒っぽい者も多いからこその措置だった。

 百鬼に関してはどうしようもできないが、会っても逃げるだけの自信も実力も備えている二人である。たまの血なまぐさくない仕事を楽しんでいた。

 しばらくすると仄かに発光する目を向けた護兵が幾つかの木を見出した。気眼によってようやく確認できるような、小さなモヤが特定の木にだけ絡みついている。

 そのうちの一本に博光が近づく。



「ゴっちゃん。これか?」

「ああ、間違いないよ。昼に見た時はただの木だったが……ふん。消えたのが少数というのも分かるな。少し目が良く見える奴なら、変わったものだと気付いただろう」



 見た目はシュロの木を小さくしたようなものだ。

 不思議なことに護兵の目で異常が感知できたのは、その木に限られていた。



「気脈の流れを操れるか?」

「やってみよう」



 博光の提案に、護兵は手を硬い樹皮に押し付けて流れを読み取る。人とは性質が違う植物の気を探るのは難しいはずだが、この木は異常にすんなりといった。



「うん。思ったとおりだ。気は万物に等しくあるとされているが、これはどことなく動物にほんのすこしだけ近いな。博光、解析は?」

「魔技研から借りた機械と、俺の符で合わせてやる。俺が符を当てたところに、気をずらして当ててくれ」



 博光は肩に背負っていた奇妙な包みを降ろした。

 白布から出てきたのはプリンターのような機材だ。符を素人でも解析できるように作られた機械だが、そうしたモノこそ本職の方がより効果的に使える。



「さらっと言ってくれるな。俺はお前と違って天才というわけではないんだ……っ。どうだ?」

「もうちょい表に……ミリ単位で、できるならもっと少しずつ近づけてくれ。出しすぎると俺らも危うい」



 木の本質を読み取りながら、警戒されないように少しだけズラす。言葉にすれば単純なことで、実際に単純だが人間がそれを行うのは計算機を片手に残った腕で編み物をするようなものだ。

 護兵の額に玉のような汗が浮かびだした頃、博光が近づけていた人型の紙の色が変わった。



「……世間的にはゴっちゃんも十分天才の範疇だよ」

「はぁ……は……天才なら息があがったりはせん。姉さんならもっとうまくやれる……」

「ん……出たぞ。曽良場と繋がった世界は随分と原始的だったのか? 樹精に近い反応だが……ああ、成程」



 軽薄そうな格好に真剣な顔つきで符を機械に差し込んでいた博光は一人で頷いている。プリンターに据え付けられた小さなモニターには何かの漢字がびっしりと表示されており、術体系が違う護兵には古文にしか見えない。



「木霊やドライアードに近い……というよりは成る前の存在とでも言うべきかね。 精神体というには本能的過ぎるが……いやいやこっちの方が正しい姿なのかもしれねぇな?」

「分かりやすく言ってくれ」

「この木の中にいるのは……樹の精霊のくせに酷く敏感なのさ。これまた珍しいことに肉体を容れ物程度にしか思っていない。だから斧やらでカーンと切られそうになると慌てて手頃な生き物に取り憑く」



 自らを倒した存在へと入り込み、仇なす。

 怪異としては珍しくない性質だが、ある種類の木全てがそれを備えているというならもはや一つの種族特性と言えるだろう。



「それで夜になると活性化して、新しい容れ物が破裂してしまう? 木の精というよりは寄生虫だな」



 夜行性の爆弾のようなものだ。しかもそれは生きていているとなれば、流石は未調査区域。まさに違う世界の生物だった。



「活性源は月の光か何かかね? その辺は細かく調べてみないと分からんが……窓ガラスに付いた大量の手形ってのもなぁ……少しでも実体があるのかな。確かに寄生虫って方が正しいかもしれん」

「結局、分からんということが分かっただけか。どうして特定の木にだけ住んでいるのかも不明だ」



 ある種のヤドカリのようなものなのだろうか?そう考えていた護兵は博光の言葉にふと顔を上げた。



「月ねぇ……そう言えば最近は月が随分と大きく見えるな」



 口では言ったが実際にはどうだったかと護兵は考える。慌ただしい世の中で空を見上げることなど随分と久しぶりのように思えたのだ。



「そうか? 木だけに気のせいじゃね?」



 博光の軽口に寒々しい空気が辺りを覆った。

 切ない気分を払うには確かにそれは効果があった。



「……帰るか」

「とりあえずはこの種類の木を切らないように通達を出して……準備を整えてから一本ぐらい引き抜いて研究室に回すか」



 報告書の草案をまとめながら歩く。博光と他愛ない話をしながらジャングルを歩いていると、景色は違うが学生時代に戻ったようだった。

 不思議な気分に護兵は再び顔を上げた。



「……月光か」



 月の光。特に満月の日は怪異が活発になるとされていた。それは神秘の開示よりもはるか前からのことだ。

 護兵の一族のように神秘に携わっていた者たちは、事実であると知っていた。そして開示などされる前から普通の人々もそう信じていた。


 ……もし異界の存在が月の魔力に魅せられたのならばどうなるのだろうか?



「職業病か。たまには天体観測とかするべきかな?」



 それこそ華風と一緒にするのも悪くない。

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