黒い霧を退けよう!
神秘の実在が明かされてからというもの、世界は揺れに揺れてきた。変わらざるを得ない体制、秩序…一言で言うならば常識。
妖怪や獣人と言ったおとぎ話の存在が隣人となり、友人となるのに相応しい時間が流れる。その中でもたくましい人々…特に若者たちは世界によく順応したと言っていい。
自身も神秘を身につけ、狼男にも話しかけ、夜毎起こる事件に負けずに騒いだ。次第にその世界が当たり前のものとなった頃…再び揺れは起こった。しかも今度は極めつけであるように敏い者達は感じとる。
それは正しい。世界は再び姿を変える。
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『こちらはロシアの現在の様子です! あの黒い霧は一体、なんなのでしょ……ああっ星がっ! 水が滴る……っ』
「アレに近付くなら、もっとしっかりしろよ、リポーター」
魔導蹴球部の監督である不知火円也はぼやいた。
相手が懐中電灯兼ラジオであることが締まらない。しかし、自分以上に疲弊した者達がいびきもかかずに泥のように眠る休憩所で反応してくれるものは他に無かった。
「おっす」
「おっす退魔師」
休憩所に入ってきた軽薄そうな若者の姿で円也は随分と救われた思いになった。だぶだぶとした服装でいかにも退廃的学生だが、歴史ある退魔師であるこの男の近くは世界で一番安全な場所の一つだった。少なくとも今は。
どっかと隅に腰掛けて調息する退魔師…名を符木津博光という。円也達、オカルト系のサークル出身者にとっては有名人。ここ曽良場大学に在籍している現役のプロ退魔師二人の片割れだった。
円也は時折何かを受信するラジオを指で示して、笑った。博光も片目を開けて応じる。
「なぁ博光……今やメディア様よりも、俺達の方が事情通でマジ笑えねぇか?」
「生き残ったやつの特権だな。名前は分からねぇけどあのクラスの術を相手に真っ向勝負できてる俺達は……まぁちょっとだけ歴史に名前が残るかもな」
「歴史の方が残るか、怪しいがな」
円也が浮かべる笑いは強がりの発露だ。
不知火円也は名字に相応しい火炎系の魔術を身につけている。才能もある。だが悲しいかなそれでも一般人であり、戦闘者ではなかった。戦闘向きの能力を持っていることと、実際に向いているかは全く別のことであると思い知っていた。
だからといって泣き言を言うこともできない。
円也にとっては単純に情けないことであるし、眼前の博光とあと一人の休憩時間は自分たちの半分以下だ。この曽良場大学が未だに黒い霧を用いたテロに負けていないのは、二人の手腕に過ぎない。
「しかしまぁ……お前らマジすげぇな」
だから、その賞賛の声が本職の側から出たのは円也にとって驚きだった。それはこちらのセリフというものである。
「何がだよ。銃持った妖怪相手じゃ俺達なんて…」
「強い弱いじゃねぇーよ。俺やゴッちゃんが前張ってるのは単に意地と慣れだ。お前らみたいな勇気じゃねぇ。俺達は慣れてるから逆にそういうのが出ないんだよ、マジで」
そう言って符木津博光はぐるりと周りを見回した。疲れ切って寝ている後輩たちがそこにはいる。神秘の力を持っているとは言え、今ではそれも当たり前のことだ。魔術などカルチャースクールでも学べる時代なのだ。
歴史ある符木津家に生まれた博光には分かるが、現在曽良場の街を……いや、世界中で用いられている黒い霧はそこらで学べる術とは桁が違う。
「それを相手にお前らはこの大学を守ろうとしてやがる。俺達よりよっぽどイカれてやがる」
「……は。まぁ初めて一人暮らしした街だしな。バイトして買った車もまだ現役だ。あんな訳わかんねぇ霧を相手に逃げ出したんじゃ締まらんだろ」
気分を持て余して精一杯の強がりを口にすれば、不思議なことに活力が戻った気がした円也は事前のミーティングで聞けなかったことを聞くことにした。
「あの黒い霧ってなんだ?」
/
「ん~。中々落ちませんねぇこの学舎。どう思います私?」
「何人か手練がいるんでしょうねぇ私」
「それに頭が回る者もいる。同一人物かもねぇ私」
幾つもの頭を持ち、蛇の尾を持つ亜人が上手くいかない事態に身悶えしている。美しい顔立ちだがそれが異形感を増していた。
彼女は幻想民族解放戦線・
自分自身で会話をしているために滑稽にも映るが、霧の中に異世界を作り出す百鬼の最新兵器……〈無明の悪夢〉を持たされて地方都市の攻略に手こずったとなると……この時点で失態の部類に入る。
果てに失敗などすれば粛清もされかねないが、命の危険などよりも無能扱いされるのは神話の多頭蛇の末裔たる彼女自身のプライドが許さない。
「ああ……一旦霧の中に入れてしまえば容易に落とせるはずだったのに、私のせいよ私!」
〈無明の悪夢〉は使用者……この場合はクリータ…の意思によって霧の中の地形を思うがままに変形・変質させることが可能だ。地の利を一方的に奪取することが可能であり、兵器としてどれほど凶悪かは歴史を紐解けばわかろうものだ。
加えて語るならば副次的であり、諸刃の剣とはいえ異世界との接続をも可能とする。
ソレに対して、小賢しいこの街の住人達が取った対策は単純にして明快だった。つまりは霧自体を足止めして取り込まれない。黒い霧の長所である外界との強力な遮断効果を逆用して、侵攻を遅らせているのだ。
「忌々しいハエども! こうなれば霧に頼らずに潰すだけ! 行くわよ、者共!」
それが敵の狙いと分かっていてもクリータは踏み込んだ。
学徒と治安機構の残存勢力が手を組んだことで手間取ってはいるが、人間の兵器で武装した亜人種と妖怪の集団ならば力押しすれば済むのだ。
勝利は目前である。そして次の街へと流れ込んで無理矢理にでも失態を覆すのだ。
/
『……かかった。我慢比べはこちらの勝ちだよソウボー君。まだ行けるかい?』
「少し息を整えれば、あと十数時間は動き続けられる。我が流派ながら地味だと思っていたが、気功術はこういう時便利だ」
スマートフォン越しのかつてのオカルト研究会部長の声に、双眸護兵は意気揚々と応じた。敵の方が戦闘員は多いが、勝利の前提である霧に巻き込まれないという目標がまず達成できたのだ。
それを可能としたのは部長…狭霧華風の力だ。
神秘を一切感知できないという得意な体質である華風だが、それゆえに霧の向こう側と内部が
一方、敵である百鬼の集団からはそんなことが分かるはずもない。
護兵は慣れない手付きで無線機を弄って、警察機構の生き残り達へと繋ぐ。
『先生か。こっちはいつでも行けるが、あれに正面から突っ込むのは避けたいぞ。トカゲと虚無僧みたいな連中がマシンガン持ってて、とんだ世紀末絵図だ』
「案外と余裕ですね、多見さん。敷地まで引き入れてから、博光の仕掛けを一旦外します。そこを狙って……」
『親玉だけを潰すか。そこは信じるが、残った兵どもはどうするんだ』
「行けそうなら倒しますが、そうでないなら引きます。あれほどの兵器は恐らく首魁だけにしか渡されていないでしょうから、黒い霧さえ止めれば街半分は助かります」
すでに霧に覆われた部分は現時点ではどうすることもできない。だからこその半分だ。
この大学を拠点にしていたがゆえに、防衛線めいて街は二分されるだろう。その後のことは護兵には分からない。
兵たちについてはある種諦めている。しかし、今の世界の住人ならばたかだか300人程度の兵隊で支配することはできない。
「では、博光を引っ張り出します。援護と奇襲の後のことはお願いします」
『おおよ。そこまで頼らない、っていうかここで頼って悪いとさえ思うわ』
相変わらず頼もしい人だな。
そう思いながら、護兵は準備運動に入る。黒い霧ほどの術ならば強大な核が必要となるが、そういった大規模な存在は目撃されていない。恐らくは首魁自身が核となっている。それ相応に強力な妖怪か魔物であるだろうが……一瞬でかたをつけなければならないのだ。なにせ冷静に退かれて黒い霧を再稼働されればジリ貧で敗北する。
「……だが、負けん」
『双眸流は無敵、ってね。しかし私はこういう時に危機感が共有できないなぁ見えないんだもの』
部長である華風の綺麗な声を背に、双眸護兵は定位置へと駆けた。
/
パラパラと間の抜けたように聞こえる音を奏でながら、鉄火の軍団が青春の舞台を蹂躙していく。規律の取れた足並みで三角の編笠を被った人間のような影とトカゲ人間達が行進していく。
「さっきの武術家野郎。俺の兄弟の頭を潰しやがった」
「いや、お前ら全員兄弟だろ。そりゃ誰かしら死ぬわ」
「人間なんぞが俺らに何かする時点で罪なんだよ。次に顔だしたらミンチに変えてやる……!」
足並みは整っていても、頭は揃っていないらしい。人間ではない自負を持つ怪物達が人間の兵隊の真似事をしている様子こそが滑稽だということには誰も思い至らない。
リザードマンが次の一歩を踏み出した時、彼の足元が陥没した。原始的な落とし穴だ。
「のわっ!?」
「……ぷっ」
「笑いやがったなテメェ! くそ学生共が!」
毒づくトカゲ男の眼前で編笠が弾けた。落とし穴に合わせた古典的な奇襲。古代と現在で違うのはそれがサッカーボールや野球ボールということぐらいだろう。
「食らえ分裂魔球!」
「おらぁ火炎球!」
素人の嗜みとは言え腐っても魔術に属する技だ。まともに受ければ妖怪であっても骨ぐらいは折れ、場合によっては死に至る。
一瞬の動揺から立ち直った妖怪部隊が反撃に転じようとした瞬間に、けたたましく銃声が鳴り響いた。訓練された妖怪たちはとりあえず銃声の方向に向かって撃ちかけるが……
「スピーカー!?」
大学の構内には放送のためのスピーカーが幾らでもある。そこに音を流せば、感覚が優れている存在ほどよくハマってくれる。徐々に混乱が大きくなる。
この大学内には小細工が無数に仕掛けてあるが、何一つ目新しいモノは無い。こうまで上手く行くのは妖怪たちが兵……半端に人間の技術を身につけた捨て駒だからだ。
そしてそこに、博光の式神である紙兵達が躍りかかる。
紙兵は攻撃力こそ符によって大したモノだが、紙であるために防御は脆い。ここまでの小細工の数々は博光の式神を接近させるためでもあったのだ。
「よっし上々! 頼むぜゴっちゃん!」
紙兵の侵攻が上手く行っているのを確認した博光は、一際派手な色の式神を空に飛ばした。
/
『合図来たよ! ソウボー君、警察さん達出番!』
「おおっ!」
多彩な得物……対怪異用に試作された武装であるために姿も役割も統一されていない武器を手に、警官隊の生き残り達が突撃を敢行する。
狙うは街を蹂躙した敵の首魁。そして、今までを学生達に任せていた不甲斐なさを晴らす機会だ。彼らの士気は高い。歴戦の勇者もかくやというほどに。
イベント広場において街を守る衛視達と、首魁を守る多頭蛇の眷属達がぶつかり合う!
しかし、鍛え上げた人間と鍛え上げた妖怪ではその差は歴然だった。レンチのような武具を振り回す警官が首を噛まれて絶命した。
その蛇目掛けて棘の付いた警棒を振り下ろそうとした警官は、背後から首に爪を立てられた。悲惨な死を迎える彼らには何かやりきったような表情が浮かんでいる。
「どうやら、治安機構の生き残りね私」
「そうね相手の精鋭部隊とも言えるわね私」
「こいつらを排除すれば、あとは素人ばかりね私」
「「「じゃあ、彼らを私達の世界に案内してあげましょう」」」
近衛に守られたクリータは悠然と胸元に埋め込まれた兵器を発動した。これこそが黒い霧の発生源、〈無明の悪夢〉だ。そして――
「それを……待っていた!」
警官たちに隠れていた双眸護兵が飛び上がる。それを見た警官たちはさらに前へと押し出て、敵を乱戦に集中させようとする。
双眸護兵が操る気功術……双眸流は目を気によって強化することであらゆるものを見透かす。それは眼前のクリータも例外ではなかった。
目の前で倒れていく大人たちを血を吐く思いで見過ごしてきたのは、全てこの時のため。
敵の首魁を見る。ただ外見だけではなく、内部の気と生命力の流れから正体を見破る。クリータ自身は多少強力な魔物に過ぎない。だが、祖先に余程の存在がいたのだろう。血が薄れたとは言え、その因子はクリータの奥底に眠っている。
黒い霧はクリータの力ではなく、クリータを通して古代の偉大な存在からエネルギーを得て起動しているのだ。
ならば、やることは一つ。
気刃を形成して羽のように、鋭く落ちていく護兵。それをクリータの3つの頭が迎え撃った。
炎で左腕を焼かれた。牙が足に食らいついてきた。爪が額を裂いた。全て仔細なし。
双眸護兵の攻撃はただ触れるだけで完成するのだから。
「「「――え?」」」
「レディの胸を触って失礼」
護兵の指がクリータの胸にほんのわずかに触れただけで、空間そのものに亀裂が入る音がした。ガラスが割れる音によく似ている。
護兵が行ったのは、ほんの少しだけ黒い霧の核周辺の力の流れを乱したことだけだ。気功師である護兵は触れればそれぐらいはできる。
「強力で偉大なものほど、少しのズレが致命的になる。貴方の先祖はともかく、貴方自身は黒い霧を操れる器じゃない。だから、こうなるんですよ!」
「「「あ、あ、ああああ、ああ!?」」」
空間の亀裂はクリータの内側から発生していた。それは異界との接触回線のほんの僅かな歪みだが、祖先に対して遥かに劣るクリータの体はそれに耐えられない。
「「「い、いやぁぁっぁぁぁ!」」」
内側からめくれ上がる次元に呑まれる多頭の蛇女。憎むべき敵であっても、哀れみを抱くほどにその最期は悲惨だった。
こちらの次元とあちらの次元。それぞれに半端に残ったクリータの肉体は奇妙なオブジェと化して、この地に永遠に残るのだ。
/
「あー、終わった終わった。流石はゴッちゃん。本番には馬鹿強いね」
「だけどMVPはお前だろ博光? 黒い霧を止める方法よく思いついたな?」
「地形に方角は陰陽道から派生した流派の十八番だ。風水でもいいけどよ。しかしまぁ……これからどうするのよ、この街」
「さぁ……? まぁ今まで通りに何とかなるんじゃないか? 部長もいるし」
語り合う親友達は眼下に広がる光景を眺めた。
クリータの肉体だったオブジェが門のようになったその向こう……かつて曽良場の都市だった区画は隆起した崖や、岩に囲まれている。見たこともない木々で覆われている姿は、控えめに言うならば原始のジャングルだろう。
「あーあ、ゲーセンも飲み屋も無事じゃないだろうなぁ」
「大学が残ってるだけマシだろ? マインスイーパーでもやってろよ」
疲れから二人は大の字になって、広場に寝転んだ。
遠くから綺麗な声が聞こえる。我らが部長の声だった。昔、ただの部学生だったことを思い出す。いくつになってもきっと彼女は部長のままだ。
「前だろうとこれからだろうと、騒がしい毎日に決まってる」
そう言って護兵は少し眠ることにした。
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